第30話 最後の光

 どれくらい経ったのだろうか。僕の涙は枯れてしまったようだ。地面に倒れる二人を運ぶ。力の入らない大人の身体は思ったより重かった。それでもなるべく引きずることのないよう、丁寧に移動させた。そして二人を横たわらせて並べた。丘の中央で真波を挟むようにして。これでいい。


 その辺に投げられたカバンを開ける。中にあったタオルで手を拭く。手に持っていた血だらけのそれも拭いて、カバンにしまった。 

三人の姿を目に焼き付けてから、もう一度山を降りた。道は相変わらず暗いが、登りよりも早く進んだ。麓に停めてあった車に到着した。父のポッケから持ってきた鍵でロックを開ける。車のトランクからパーカーを取り出して羽織った。誰のものかわからない薄手のグレーのパーカーを。その上からカバンを下げる。ふいにミラーを見ると顔に赤い点が付いていた。それをタオルで拭い取る。スマホを開くと思ったより遅くなっていた。さっきまで開いていた画面を閉じる。ファスナーを首元まで閉める。フードを被って病院に向かう。


 昨日と同じようにこっそりと病院に忍び込む。春田さんが開けて置いてくれたのか、フェンスの扉も空いており中まではすんなり入れた。そこからは昨日以上に慎重に進む。まるで泥棒のようにフードで顔を隠し、辺りを警戒する。途中誰かの話し声が聞こえて身を隠した。しかしその声はすぐに遠ざかる。

 幸いなことに誰にも会うことなく、屋上に辿り着いた。きっと空いているであろう、扉に手を掛ける。あっさりと回るドアノブ。扉を開けて反対方向に進む。何も考えることなく進んで行く。すると春田さんがまた歌を歌ってフェンスに腕を置いていた。

「来たのね」春田さんは僕の方を振り返る。

「やり残したことはしっかりと終わらせてきたの?」

「はい」春田さんの横に並ぶ。

「両親に全てを伝えてきました。そして全てを終わらせました」

「そう」

空を見上げながら言った。やはりこの人は興味がないのかもしれない。何に対しても。

「それじゃあ」ヒョイッとフェンスを越えた。カバンをぎゅっと握り占める。

「もう終わらせる?」カバンを投げ捨てた。

そしてそれに応えるように僕もフェンスを乗り越え、彼女の右側に立つ。どちらともなく手を繋ぐ。星を眺めた。この目に焼き付けるように。ふいに隣を見た。目に星が浮かぶその横顔はとても美しい。長い髪が風になびかれる。本当なら僕は彼女に生きてほしい。そしてその瞳に沢山の星を映してほしいと願った。だけどそんな願いをする権利は僕に残っていない。僕達はここで終わりにするのだ。


 春田さんが僕の手を強く握る。僕にもういいかと合図を送るように。決意は固まった。彼女の手を握り返す。僕達は一歩踏み出そうとした。途端、右手を誰かに強く握られる。顔を上げると一筋の光が通った。はは、そういうことか。乾いた笑いが溢れそうになった。僕は春田さんの手を後ろに引いた。彼女は驚いたようにこちらを見る。

「僕はあなたを死なせたくないです」

そう強く言い放つ。彼女は訳がわからないと言うようにこちらを見る。彼女の手を放し、僕は屋上に戻った。


 「あなたはまだ死んではいけない人間です。春田さんは生きる意味がないと言いましたよね?ならば生きる意味があればあなたは死ななくていいはずですよね?」僕はカバンの元に掛けていく。そして中からあの本を取り出した。

「この続きを完成させてください。それがあなたの生きる意味です」本の一番最後のページを開く。真っ暗な夜空の真ん中に一つだけ輝く星があった。

「それはもう終わっているわ」

フェンスの向こうから振り返っては、呆れたように放たれた言葉。ポッケからスマホを取り出し、ライトを付けてそのページを照らす。しばらくして消す。すると光を吸収した文字が浮かび上がる。VOSという三文字が。ラテン語であなたという意味。春田さんは目を見開く。あなたならこの言葉の意味がわかるはずだ。

「まだ終わっていません」

本の表紙を外す。そこにはどの写真よりも美しい星空が広がっていた。そして正面側の空の真ん中にClaraと書いてあった。

「ラテン語で光輝くという意味です。そしてクララ。春田さんの名前ですよね?この本は春田さんのために作られたものだったんですね」春田さんは涙を流した。

「どうしてそれを……」

「裏表紙はたまたま気づきました。最後のページはそこだけ題名が無かったので、もしかしたらと思って。そして意味もさっき調べました。春田さんの名前は昨日たまたま梨奈さんに聞いていて……」本を春田さんに手渡す。

「これは春田さんの生きる意味にはなりませんか?」春田さんは涙を零す。

「これを作った人は春田さんのことを思っていたんじゃないですか?自分が居なくなっても春田さんが生きていけるように。だから僕も春田さんに生きて欲しいです。それでも生きる意味がないと言うなら、この本に応えるものを春田さんが作ればいい。僕にも誰かを救えると証明させてください」

春田さんに手を伸ばす。駄目もとのつもりだったが、すぐに僕の手を掴んでくれた。彼女をこちら側に引き上げる。彼女は本を持ったままその場でしゃがみ込んだ。彼女の前で僕も膝を折る。

「これで春田さんは大丈夫ですよね」

彼女と目が合う。涙で濡れた瞳が僕を見つめる。その涙を拭い取った。

「春田さんに生きる意味がないなら、その意味を僕に作らせてくれませんか?僕達にもっと沢山の星空を見せてください。まだ知らない世界を教えてください。春田さんの観る世界を知りたいです」僕がそう微笑むと彼女も微笑んでくれた。

「ありがとう」

小さくそう呟かれた。涙に濡れた春田さんの目はとても綺麗だった。


 僕は立ち上がり、カバンを肩に掛けた。泣いたままの彼女をその場に残す。

「ありがとうございました」

僕の囁きは彼女の耳に届いただろうか。もう振り返ることなく屋上を立ち去った。



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