Track.15 ボクで、よかった……

「夢寐委素島乱戦記の見立て殺人が行われいる理屈はわかったが……三種の神器って、十六年前に紛失しただろう。どうするつもりだ?」

 沙良の言う通り、ボクも八重柏さんから聞いた。

「そのことなんだが……」

 関口刑事が、今度は夢寐委素三種の神器についてと書かれたパンフレットを取り出す。

 八重柏さんが愛翔兄ちゃんに依頼したその日に渡した、夢寐委素町島観光協会で発行されている、夢寐委素町島の至る所に置かれている、ごく一般的なものだ。

「お前ら、夢寐委素三種の神器が十六年前に紛失したことは知っているようだな」

「はい」

「この神器がなくなる前……お盆期間中に二日二晩、大雨が降り……不思議なことが起きた。夢寐委素町近辺の住民が一斉に眠っていたという、奇怪な現象だ」

 近辺ということは、夢寐委素町の総人口は三千人……いや、観光地である夢寐委素町島には宿泊客もいたはずだ。一万はいかなくても、かなりの人数が一斉に眠っていたことになる。

「しかも、起きたときには海は血が大量に流れたかのように赤かったという……そこはたまたま夕日で幻覚でも見ていたのではないかという話に落ち着いた。実際赤かったのは数分で、すぐにきれいなマリンブルーへと戻ったという」

 赤い血が数分後には跡形もなく消える……。

 どこかで聞いたような……。

「……ここ最近起きているという血だまり消失事件と何か関係があるのかな、関口刑事」

 そうだ。

 まるで、八重柏さんが愛翔兄ちゃんに依頼してきた事件とほぼ同じ内容だ。

 水たまりと海とでは、範囲に関して圧倒的な差があるが、だいたいあっている。

「おそらく、血だまり消失事件は……。これを見てくれ」

 関口刑事は、夢寐委素町と島が書かれている地図を取り出す。

 赤い点が何か所あり、そこで血だまり消失事件が起きていたと思われる。

「俺も、何とかしめて……ゲフン、ゲフン、説得に応じて丁寧に教えてくれたところによると……」

 その説得の副音声には、脅迫とか暴力がついてそうである。

「点と点を線でつなげると……」

 キュッキュと赤いマジックペンで関口刑事は、何かのシンボルを描き出した。

 パッと見、六芒星に目玉が入っているだけのものなのだが、なぜだろう……すごく不気味だ。

 体の芯から寒気がしてくる。

 それでも注意深く見ると、目玉の中心がちょうど、龍神の球……たつなみペンションが建っているこの小島である。

 嫌な予感しかしない。

「十六年前も同じような事件があったことも確認済みだ。物的証拠は今年の血だまり消失事件と同じくすぐ消えてしまって、運良く撮れた写真しか残っていない。実際血だまり消失事件と関りがあるのかと訝しげられたぐらいだ」

 写真の場所と共通していると言っても、完全に重なっているのかと問われれば、数件は一致した、あとは知らんとなったのかもしれない。

 一部一致が完全一致とは限らないもの……。

「そんなことがあったのか」

 愛翔兄ちゃんの顔が青ざめる。

 沙良も顔をしかめる。

 ボクは生まれる前の事件なので、そんなこともあったのか、程度で話を聞いていたのだが、愛翔兄ちゃんと沙良は何か思い当たることがあるのか、強張っている。

「このシンボルは、赤染を招来させるためのものだ。十六年前この町の住民たちが眠りについたのは、その時の儀式のせいだと推測できる……」

 眠っていただけでも十分不気味なんだけど……。

「不思議なことが起こって、眠りについただけと考えねぇのか、刑事さん? 実際それだけでも十分怪異じゃねぇか」

 沙良は表情とは裏腹に、前向きに……いや本来ならそう考えるべきなのだ。

 睡眠ガスをばらまくとしても、結構広い夢寐委素一帯に満遍なく広げるなんてほぼ不可能だ。

 それでなくても至る所に遮蔽物が立ち並んでいるリゾート地帯で一斉に眠りにつけるかというところから、眉唾物である。

「すまねぇ。俺はそこまで楽観的に考えられねぇんだ。大したことがないと見せかけて、実際は大きな悲劇の前振りなんて、怪異が絡む事件ではよくあることだからな」

 ……普通の事件じゃない。

 幻想怪奇な事件なのだ。

 人間の理を前提に考えてはいけない。

「怪異事件が起きたこと自体を書き換える。そういう魔術もあるからな。この場合、現実と夢をとっかえっこするという、かなり高度な魔術……下手な時間転移よりもやりやすいのか、よく使われる魔術だ」

「現実と夢を?」

「ああ、普通の人間の夢は、その人間の心象風景が反映されるとはいえ、突拍子もない世界観になることはほとんどない。そんな普通の夢を見ている時間を、幻想怪奇事件が起きた現実を押し付けることで、夢を現実に、怪異事件を夢へと変換。覚めたとたんに、普通の現実へと戻す。いわゆる夢オチへと強制変換させて、怪奇事件をうやむやにするという、魔術だ」

 ボクにはそんな便利な魔術があるのかってところしかわからなかった。

「もちろん、コストはすごいことになるらしいが……具体的にどのくらいのコストを消費するのかまでは知らん。だが、この魔術を使ったらどうなるか、一つだけ共通点がある」

 ゴクリ。

 誰かの喉が鳴った。

「無くなるんだよ。その地域で長い年月、石碑や神器や法具といった偶像として崇拝されてきたモノが。こうなると一種のマジックアイテムだな。地域の人たちを幻想怪奇事件という狂気の世界を直視させずに、正気を守るための……」

 そうだ。

 こんな狂気的な世界あってはいけない。

 ボクは、人間としての本能からか、自然とそう思えた。

「といっても、この魔術も万能じゃねぇ」

 関口刑事は何やら嫌なことを思い出したのか、舌打ちする。

「不都合はすべて自然災害と処理されちまう。幻想怪奇事件中で起きた、器物破損はもちろん亡くなった奴は、地震やら津波に呑まれたという扱いで、現実に反映される。もしかしたら、この夢寐委素で平安時代に起きたという、地殻変動も、この魔術によって、神々の争いを自然災害という形で処理されたのかもしれないな。なんたって、赤染と青波が争っていたらしいじゃねぇか。神々が戦えば普通に山は吹っ飛ぶ。海は氾濫し、マグマも湧き上がる。陸続きだった大地も切り離されることもあるだろうよ」

 幻想怪奇の時間に起きたことが記録に残らず、塗り替えられる恐怖。

 記録にないのだから、対応策を練ることが出来ない。そう考えると、精神にはやさしいが、厄介な魔術である。

「ちなみに、この魔術の正式名称は、夢と現実を入れ替えるところからか、夢寐現覚むびげんかくの術と呼ばれている」

 夢寐委素の前半の二文字が入っている、術。

 もしかしたら、その夢寐現覚の術を使用して、今の状態になったからこそ、この地域は夢寐委素と名付けられ、語り継がれていったのかもしれない。

「この嵐はまさに、その魔術の最中だというのですか……」

 兄ちゃんの秀麗な顔がゆがむ。

「赤染の狂信者どもは、儀式を行なうときこの魔術をよく使用する。十六年前の儀式は眠っただけで死者が出ていないところから、儀式は失敗と見ていいだろう。確かに赤染には改ざん能力があるが……仮に赤染が招来されていたら、シンボルマークらしきものが描かれていたという過去の情報そのものが消えてなくなっているからな」

「そうか。赤染の招来が成功していたら、元からそんな事件も儀式の欠片も残るわけがないのか」

 夢寐委素一帯ナゾの睡眠事件という記録が残っている。

 それこそが、赤染の招来に失敗したという証なのだ。

 一般認知されていなかろうが、記録が残っている限り、ボクたちは対処しようと足掻けるのだ。

 ボクは、知らなかった世界に入り込んでしまったということに、一種の恐怖と興奮を覚え、食堂ののイスに寄りかかったときだろうか……不意に霧が立ち込められる。

 白く、きめ細かな煙のようにかかるソレに、ボクたちはなすすべもなく、飲み込まれていく……。

 忍び寄る霧に、すべて……。

「なっ」

「これは……ミストスクリーンじゃねぇか。なんで今起動している!」

 超常現象ではなく、機械的な事象らしい。

 たつなみペンションの内部や設備に詳しい沙良が声を上げたおかげで恐怖は減る。

 だが、霧が厄介なのは変わらないし、場を混乱させるという目的なら、理にかなって言えよう。

 食堂一帯を霧に覆わせたると、プロジェクターが起動したのか、ジジジという音とともに、悪霊が襲い掛かかってくる映像が流れる。

 子供だましか?

 だけど……その姿、その腕、その顔……生きとし生けるものすべてが憎いと訴えている。

 まるで本物のゾンビを知っているものが作ったのではないかと思うぐらい妙にリアルだった。

「くそ、惑わされるな。みな、はぐれないように集まれ」

 停電の時と同じだ。

 殺人鬼は皆が混乱している隙に、誰かを殺害する気なのだ。

 なんでわざわざ悪霊たちの映像なのかわからない。気が弱い人なら絶叫しそうだ……そうか、この食堂の中にいる誰かが絶叫するのを待っているのか。

 声を上げれば、そこに人がいることがわかる。

 どうやら機械仕掛けの霧のせいで、犯人もまたボクたちがどこにいるか掴めないようだ。

 犯人にも不利な状況。

 なんで、犯人はそんな状況を作り出す必要があるのか。

 半分パニックを起こしているボクが今考えてもいい答えは出てきそうにない。

 探偵になり切れていないボクはとりあえず、誰かの手をつかもうと手を伸ばす。

 すると誰かがボクの手をつかむ。

 ホッとした。

 だけど、その思いはすぐに裏切られる。

 だってその手はとても冷たい。それこそこの空間に漂う悪霊たちの前身……非業な死を遂げた遺体のように冷たい手だったからだ。





 ギィ……。

 




 ギィイィ……。





 ──ボクの首にロープがかかって何分立っただろうか。

 最初のほうは勢いがあって、首を折るのではないかというぐらい強い力が加わったものだが、そこまでの力はなかったようだ。

 だから、ジワジワと絞め上げる。

 苦しい……。

 激痛の波が何度も何度もボクに襲い掛かる。

 脳への血流が悪くなり、気管まで締め付けが及んだころには、呼吸さえままならない状態にまで至った。

 流れる涙は呼吸困難による生理的涙なのか、それとも悔し涙なのか。

 意識は真っ黒に塗りつぶされ、暗闇へと引きずられる。

 この暗闇にあの首なしゾンビも棲んでいるのかな。

 怪異に初めて遭遇した夜。同じくらい暗かった。だけど、兄ちゃんが側にいて温かかった。

 今は一人。夏なのに冷たく……寒い。

(……愛翔、兄ちゃん……)

 ボクは抗えぬ暗闇に呑まれるしかなかった。

 だけど……。

(兄ちゃんじゃなくて、よかった……。だって、次は兄ちゃんかもしれないと……思っていたから……死ぬのが、弱い、ボクで、本当に、よかった……)

 ブラリ……。

 ……ブラリ……。

 ……、……パタリ……、……。

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