Case.1 逢魔が時の再会

 ──最初、私は逢魔が時が見せた幻かと思った。

「あ~い、が~!」

 思い出のものよりも成長した背丈に、女性らしいアルトソプラノ。

 夕日と相まってキラキラと輝く髪だけが同じ。

 大人になった東海林沙良が駆け込んでくる姿は、あまりにも都合がいい。

「え?」

 当初、私は目の前の光景を信じられなかった。

 明日のイベントのため、同じく特別ゲストと呼ばれた、夢寐委素島乱戦記の作者桜井英長先生と打ち合わせで、確かに緊張していた。

 無事に終わった私は、一日分のエネルギーを使いきったのではないかという疲労感を和らげるため、懐かしの浜辺に来ていた。

 迷子になって、心細くなって、泣いていたあの日。

 一人の少女と出会うことで、鮮明に彩られる毎日。

 アレが恋だったんだと、自覚したのは、夏休みが終わってから数か月後。

 小学生に異性を意識しろというほうが無理だと、訴えたいところだが、鈍感と言われても否定はできない。

 で、気がついたら気がついたらで、夏になったら必ずこの島に来るようになっていたという、純情を通り越して、執念ではないかと思うぐらい、自分でも思うぐらい東海林沙良に執着している。

 愛するという感情がこんなにも重く痛々しいものだなんて、思いもしなかったあの頃の私。

 今の私を見て、気持ち悪いと突き放されないかと、不安に思ったことはある

 だけど、沙良は私のこんな心情お構いなしにさらに接近。

 そして……。

「久しぶりだな、このヤロー」

 十年前と変わらない、乱暴な言葉遣いと抱きついてきた体温。

 正直心地いいです。

「え、沙良?」

 昔と少し違うとすれば、よりいい匂いがするところ。そして、ふわっと柔らかい、大きなマシュマロが二つほど密着しだす。

 すみません、うまく実況できないくらい、私の頭は驚きとうれしさでごっちゃになっている。

「どうした、あいが。まさか、オレのこと忘れたわけじゃ……いや、ちゃんと名前は呼んでいたな。つうことは、感激のあまり、言葉でも失ったのか?」

 ケラケラと沙良は笑う。

 トクン、トクンと響く心臓音と波の音がこれは質量を持った幻ではなく、本物だと訴えてくる。

「……うん、今の私、言語能力が死んでいる」

 うまい言葉が出てこないとは、こういうことなのか。

 長年の思いが叶ったというのに、頭の中が真っ白になってしまったなんて、複雑な気分だ。

「ふ~ん。まぁ、オレもいい言葉、思い浮かばねぇや。だから、態度で示してもらった。嫌だったか?」

 いきなり抱擁……恋人同士でも躊躇するようなことをやってのけていた。

 さすが、沙良。

 思い立ったら吉日は、昔とまったく変わっていない。

 私にできない事を平然とやってのける。

 そこにシビれる! あこがれるゥ!

「いえ。ちょうどよかったです」

 反射的に出た言葉は、この通り。

 正直すぎますっ。

「おお。あいがならそう言ってくれると、信じていたぜ」

 男勝りで大胆で。

 豪快なところは記憶と大差なく、安心できる。

 私の頭の機能がまとも再起動するまで、抱きしめあうことを決めた瞬間でもある。

(報われたと、思っていいのかな……)

 沙良が『またな』って、言ったから、私、ずっと待っていた。

 一人島の海岸で夕日を眺めた私が、どんなにさびしい思いをしたことか……でも、この温もりを手に入れるための必要経費だと思えば、安いように見えた。

「そうだ。オレ、あいがにどうしても教えてほしいことがあるんだ」

 私は少し名残惜しい気もしたが、結構な時間抱きしめあった気もしたので、そろそろ意識を現実に戻さないといけないのかもしれない。

「あいが、お前の名前。もちろん、読みは知っているぜ」

 そういえば、難しい漢字をあてられていたので、小学三年生当時は沙良に教えられなかった。

 成人男性になった今なら、難なくできる。

「それなら、こうですよ」

 私は浜辺に転がっていた適当な枝を掴んで、砂浜に名前を書く。

 『仙崎愛翔』

 今思えば、私が書けなくても、スマホの検索機能でも何でも使えば、漢字だけなら沙良に伝えることができたのでしょう。しかし、なぜかあの頃の私はその発想が思い浮かばなかった。

 自分で沙良が見ているその場で自分の名を書いて、彼女に教えないといけないと頑なに思っていた。

 子供ゆえの意固地というものか。

 我ながら、面倒くさい性分だったと思う。

「へ~、あいがって、愛と飛翔の翔……すごい組み合わせだな」

 さっそく、沙良はスマホの液晶画面で私の名前の漢字を確認し、一言。

 私の名前を真面目に読んだ人の第一声としては、至極当然ですけどね。

「ええ。そうですよ。小学三年生が書くのはきつい漢字でしょう」

 言って、少しむなしくなるのですが……。

 親からもらった大切な名前なのですし、センスは悪くないと思いますよ。キラキラネームに近いですけど。

「そうか。そうか。じゃ、仙崎愛翔」

 沙良が私の名をフルネームで呼ぶ。

 同時に高鳴る心臓の音。

「仙崎愛翔はオレのことどう思っている?」

 少し、いじわるな質問だ。

 だけど、嫌いじゃない。

 だって、こういうものははっきりとした言葉で伝えないといけないのだから……。

「愛おしい人だよ。私の初恋の相手で、私が世界で一番愛している……」

「うれしいぜ、愛翔。オレも愛翔のこと大好きだ。それこそ、囲ってしまいたいぐらいにな」

 沙良の吐息が、声が、私の鼓膜を振るわせる。

「でも、まぁ。そこは自重しておくぜ。愛翔のことだから、なりたかった探偵になったんだろ」

「は、はい」

 そうだ。沙良には幼い時、将来の夢は何かと聞かれたことがある。

「覚えていてくれたの?」

「当たり前だろ。あんなに目をキラキラさせて、お父さんのような探偵になりたいって、言い切ったんだぜ」

 そう私の父は探偵なのだ。

 私が比較的若いのに探偵業をこなしているのも、父の仕事の手伝いから始めて……とんとん拍子に依頼が舞い込むようになった。

 今、お宝探偵として仕事ができるのも、独立できているのも、父の背中をずっと見ていたからとしか言いようがない。

 知らないところに行っても、冷静沈着に物事を客観的に見て、推理する。確かに証拠を集める地味だが、大切な作業。入念に調べる父の姿を、私は誇りに思っている。

 大切なのは真実に近づこうとする意志を持ち続けること。

 その結果隠していたほうがいい事実でも、隠すことによって傷つく人がいる限り公表はするべきだという信念がある。

 誰も傷つかない偽りはない。真実を知らせることで、依頼者に選ぶ権利を与えるまでが仕事だと父は言う。

 まぁ、権利を与えるまでであって、依頼者の選択肢次第では敵対することになろうとも、それはそれ、これはこれ。

「はい。父に及ばなくても、無事に探偵になったよ、沙良」

 探偵の依頼は、依頼者の望んだ真実を報告すべきもの。

 隷属を意味するものでも、依頼者にとって心地よい偽りを述べるものではない。

 結局、依頼者自身の『決着』は、自身でつけなければならない。

 私も依頼通りお宝を発見した後は、依頼者にお宝の由来や保管方法のアドバイスを送るが、お宝を具体的にどうするかは依頼者の自由だ。

 寄付、売却、保持、選択権は依頼者にあり。

 広義的に見れば、覚悟のお手伝い。人を導く仕事ではないのだ。導きが欲しかったら他を当たって下さい、お願いしますってところだ。

「ああ。さすが、愛翔だぜ。夢をかなえるなんて、すっげ―ことなんだろ。いい男になるって思っていたけど、本当にいい男になったよな!」

 沙良は素直に私をほめてくれた。

「あ、ありがとうございます。そういう沙良だっていい女になったね」

「なったね、か……オレとしては、今も昔もいい女のつもりなんだが……」

 ……言い回し、間違えた?

 周りの空気が少し下がった気がする。

「ま、いい男にならないと、いい女もわからねぇっていうからな。オレの良さがわかるぐらい愛翔がいい男になったってことと思えば、いいよな!」

 高らかに笑う沙良の姿はうらやましいぐらい自信に満ちていて、美しかった。

(今も昔もいい女、か……そういうほうがしっくりくるな……)

 なんたって、沙良は私の初恋の人なのだから。

「今のオレはここのマリンスポーツセンターでインストラクターをしているんだが、愛翔、遊びに来ないか」

「すみません、沙良。遊びたいのはやまやまなのですが……私、依頼できているのです。ほら、夢寐委素町の方で、お盆にイベントがあったでしょう」

「あ、夢寐委素町島観光協会主催のアレ。そうか、愛翔、お宝探偵として有名人になったものな。ゲストとして呼ばれたのか……。あ~、オレも仕事がなかったら、愛翔の晴れ舞台観たかったなぁ」

 至極残念そうに。

 仕事に左右されるようになった自分たち。大人になったのだというのが改めてわかる。

「私としては不慣れな舞台を、見られずに済みそうなのでホッとしているところだよ。それでなくても、作家の桜井英長先生と一緒に対談もしないといけないし。沙良まで来たら、私、緊張で何もしゃべれなくなるよ」

 小学生だったあの頃、沙良には散々残念なところを見せてきたけど、大人になった今、もう少しだけ気障でありたい。

 格好をつけたい。

 そう思うのは、罪なことかな?

 だって、好きな人には……好きな人だからこそ、格好のいい所見せたいって思うものだよ。

「ふ~ん。まぁ、仕事でポカするわけにはいかねぇものな。オレも、インストラクターとして愛翔にこの海の素晴らしさを語るより、自由な時間で自由気ままに思うがままに伝えてぇかな。つうことで、連絡先と休みを教えろ、愛翔」

「はい、沙良」

 結局、私たちは愛の告白をしたものの──今まで会わなかった分の旧交を温めるのに、夢中になって語り合った。

 途中、私はかわいい従妹のことを思い出し、晩御飯を一緒に食べられそうにないから、先に食べるようメールした以外、とくに変わったことはしていない。

 ……うん、していないよ。

 悪かったな。

 どうせ、私はヘタレだ! 意気地なしだ!

 キスの一つ勢いに任せてしたかったよぉ!

 同じたつなみペンションに泊っているのだから、いくらでもチャンスがあるからと、この日は保留しました。

 うわぁああぁああんっ!

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