第2話プロローグ
今日は初めて私が血液検査をする日。研修の時に一度だけやらせて貰ったことがあるが、あれは先輩たちが一から十まで教えてもらい、傍に居てもらっていた。
「はぁ、こわいよぉ」
「千尋ちゃん、しっかりしないと。こっちが不安な顔してると相手も不安になっちゃうから」
先輩は血液検査に対し、戦々恐々としている私に対してアドバイスをしてくれる。
「分かってはいるんですけど……分かってはいるんですけどねぇ」
今日何度目か分からないため息を吐く。
「まぁ、最初だし遠目からだけど私も見といてあげるから」
「ほんと、ありがとうございます。先輩」
「いいってことよ。これくらいやっておけば彼氏の一人くらいできるでしょ」
先輩は少し悲しげで寂しげな雰囲気を浮かべながら、未来にいるであろう彼氏(居てほしいという願望)に想いを馳る。
「あ、うん、その、頑張ってください」
「後輩に恋路を心配されるのはなんか泣きたくなるなぁ」
先輩、頑張ってください。彼氏に相応しい人が現れると思いますよ。多分。きっと。そうであってください。
「千尋ちゃん、私はアナウンスの方に行っちゃうから、血液検査の準備しといてね」
「えっ、血液検査の時、遠目で見てくれるんですよね?」
先輩の言葉に不安になった私が背中を向けている先輩に聞くと驚きの言葉が返ってきた。
「私って実は透視できるんだよねぇ。じゃ、頑張って」
手をひらひらと振りながら診察室を出てカウンターの方に行ってしまう。
結局遠目からでも見てくれなさそうだし、言い訳も滅茶苦茶適当だし。うん。あんな人には彼氏はできないな。絶対にできない。できてなるものか。
「高橋さーん、高橋さーん、二番の診察室へどうぞ」
ふぅ、気持ちを落ち着かせろ。もうここまで来ちゃったんだから、もうどうにもならない訳だし。
深呼吸をし、私は患者さんが入って来るであろう扉を見つめる。クレーマー気質だったら嫌だな。
「……?」
なかなか患者さんが入ってこない。呼び出しは既に済んでいるはずなのに。
私はなかなか入ってこない患者さんのことを確認するために、診察室の扉を開けると直ぐそこに患者さんの顔があった。
「うおっ」
私は直ぐ近くにあった患者さんの顔に驚き、一歩下がる。しかし患者さんはなんの反応も見せず少し俯いているだけだった。
「あのー、高橋さん、大丈夫ですか?」
意を決して声を掛けた私。偉すぎる。
すると我に戻った患者さんが「すみません」と謝ってきた後に私に続いて診察室に入って来る。
椅子に座ってもらい、私も椅子に座る。
ここが今日の山場。もしかしたら今年の山場かもしれない。
息を整えて、針を持つ手の震えを鎮める。
「じゃ、じゃあ、針刺していきますねー」
声を震わせつつも、ブレないように針を固定し、皮膚を貫通させていく。
少しづつ、少しづつ、血管から血液を採っていく。
絶対に痛いよね。血液検査って。でもこっちが不安になっちゃダメ。
私は患者さんを不安にさせないために笑顔で患者さんの方を見るとそこには絶望に満ちた顔をしながらも気丈に振る舞うためにしている引き攣っている笑顔があった。
えっ。この人不安とかそういうレベルの怖がり方じゃないんだけど。もう死ぬか生きるかの瀬戸際になるかもしれないレベルの手術の前の患者さん並みなんだけど。もしかしたらそれ以上かもしれない。
なのにわざわざ血が吸い取られていくところを見ている。大体の患者さんは怖いから見ないところをなぜか死ぬか生きるかの瀬戸際になるかもしれないレベルの手術の前の患者さん以上に怖がっている人が血の吸い取られていくところを見ている。
何か自分が怖がっているのが馬鹿馬鹿しくなっていく。普通に考えればこの患者さんの方が自分の腕を預けている訳だから怖いはずなのに失敗しても自分の体には物理的には何も起こらない私が必要以上に怖がってどうする。
私がするべきなのはできるだけ、この患者さんが痛くならないようにすることだ。
そう考え、さらにあの絶望に満ちた患者さんの顔を思い出すと自然と気持ちが落ち着いて来る。
針に神経を集中させて、できるだけ患者さんが痛くならないようにする。
すると患者さんの腕から少しづつ力が抜けていき、ずっと握りしめてあった手が解けて、開いた。
良かった。
そんなことを集中してやっていると、長かったようで短い時間が終わった。
「これで終わりですね。お疲れ様でした」
私は机上に出した器具を片付けながら典型的な言葉をいつも以上の感動を感じながらそう言った。
「血液検査、お上手なんですね」
「ふへっ」
気づけばそんな声が口から漏れ出る。
器具を片付けるために下に向けていた視線を上に上げるとそこにはさっきの絶望に満ちた人の笑顔とは思えない心から綺麗だと思える笑顔が広がっていた。
「あっ、すみません。自分血液検査が苦手なので、痛く無かったので、その、恩を感じて?」
患者さんは急に少し恥ずかしそうな表情になり、弁明をしてきた。
私にとっては嬉しすぎる弁明だったが。
「あっ、ありがとうございます」
私はとりあえず感謝をしないといけないと思った。看護師としての心持ちをどうするべきなのかをこの人は身を持って教えてくれた。
「私、血液採取やるの初めてですっごく緊張していたんですけど。その、あなたがすっごく顔を真っ青をにしながらもぎこちなさ過ぎる引き攣った笑顔を見たら、なんか緊張しすぎるのも馬鹿馬鹿しくなってきて、案外リラックスしてできました。ほんと、ありがとうございます」
さすがに看護師の心持ちをどうこうしてもらっては恥ずかしくて言いづらい。でも、伝えられる感謝は伝えるべきだと思った。
「俺の笑顔、引き攣ってましたか?」
「はい。今までの患者さんで見たことないくらいに。何なら手術前の患者さんよりも酷かったですよ」
「……そうですか」
なぜか少し恥ずかしげな表情を強くしながらも、その患者さんは検査結果などをその後に聞き、帰っていった。
「なんか千尋ちゃん、顔赤くない?」
「そうですか?熱でもあるんですかね?」
私は自分の額に手を当ててみるが別にいつもと大差はない。まぁ、熱出してる時に自分の額を触っても気づかない時の方が多いとは思うけど。
「そっか、ならいいけど。んで、どうだった?血液採取」
先輩は近くにあった椅子に腰を下ろし早速そう聞いてきた。
「我ながらうまくできたと思います」
私は胸を張ってそう答えた。
「良かったじゃーん」
先輩は優しくも少し乱雑目に頭を撫でてくれる。やっぱりこの先輩には彼氏が近いうちにできると思う。ごめんなさい。さっきはあんなこと思っちゃって。
「んで、患者さん、男の人だったでしょ?カッコ良かった?」
前言撤回。きっとこの人には彼氏はできない。
私はその少しふざけた質問に今朝のよりとは深刻度が違う明らかに明るめのため息をする。
「カッコよかったですよ。血液採取し始めた時はビクビク震えてたんですけど、私がさらに集中した時は私に腕を預けてくれて、そして終わった後のあの笑顔。ほんとカッコよかったです。私が彼氏を作るときはああゆう感じの人が良いと……」
ここで私は自分の言ってしまったことに気がつく。
「へぇ、千尋ちゃんもしかして……恋しちゃった?顔も赤くしちゃって。もうかわいいんだから」
私はそのあとからかい続ける先輩から逃げるようにしてミーティングなどを受け、帰路についた。
きっと明日からもつづくだろうなぁ。
そんなことを思いつつも私の表情は明るかった。
「あの患者さん、カッコ良かったよなぁ」
私はそんなことを思いつつ、夕日が沈み、街灯に照らされる道をあの患者さんのことを考えながら歩いていった。
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