西

 「我思う故に我あり」と大昔の誰かが言った。自分について思考する思念だけは確かなんだと。ふざけた話だ。思念なんて目に見えないではないか。音も聞こえないではないか。それがどうやって自分を証明するというのだ。その思念というやつが、どうして確かなんて言えるのだ。どうしてどこかの誰かの夢ではないと否定できるのだ。

 ああ、くだらない。こんなことを考えているだけで、もう峠の天辺が見えてしまう。自分なんて証明しなくていい。したくない。だから走れ。西へ向かって走れ。意味もなく。

 例えば私は、渓谷のトロッコだった。悪魔の爪の垢だった。アンドロイドの部品だった。音符の切れ端だった。鶏の鶏冠だった。狼の足跡だった。色褪せたピエロだった。テレビの砂嵐だった。エロゲの凌辱シーンだった。B級ホラー映画のゾンビだった。アニメの中の丸顔だった。廃墟の雀荘だった。インターネットの塵だった。インド奥地の蔦だった。燃え堕ちた星だった。扇風機の風だった。乾いた種だった。蜜柑の皮だった。漫画の大ゴマだった。臍の緒だった。埃まみれのアルバムだった。ぐしゃぐしゃに濡れた五千円札だった。谷川俊太郎の詩集だった。未解明の数式だった。クレーマーの胃袋だった。ねずみの死骸だった。百日紅の花びらだった。保健体育の教科書だった。やり残したレポートだった。空白ばかりの図書カードだった。落語の小噺だった。人間だった。人間ではなかった。嘘だ。カンガルーかもしれない。ひび割れた灰皿かもしれない。旧約聖書の序文かもしれない。すべて私だった。すべて私ではなかった。どっちでもよかった。どうでもよかった。ここは大きな化け猫の絵本のようで、別にそんなこともなくて。笑えた。笑った。鼻水をかむちり紙もなかった。

 時計が狂ってからしばらくして、私は走り始めた。走れ、走れと飛び跳ねながら。鈍間で阿呆なメロスよりも速く進めと急かしながら。線香花火もそろそろ終わりか。それならば西へ。西へ走れ。天竺がなくとも。ひたすら走れ。あの血みどろの夕日のすぐ根元まで。

 どうせ、あなたの証明のしようもないのだから。ほら、笑え。

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