第214話 塗り替えられていく想い

 あ、れ?


 いつの間にか暗闇が目の前に広がり、ハルカはベッドから体を起こした。

 そして手には、自身の通信石を握っていた。


 もう、夜、なのかな?

 さっきまで私は——。


 思い出した瞬間、吐き気が込み上げてきた。


 リクトの声が、頭から、離れない。


 意識が遠のいてく瞬間に、無理やり何かがハルカの体を動かしてきたのを覚えている。


 あの言葉も、言わされた。

 それに、犠牲になった子供達がどんな目に遭っていたのかも、知らされた。


 記憶をいじられたり、心をいじられたり、身体に刻まれる恐怖から逃れる為には、魔法を見つけるしか救いがなかった事を囁かれ続けた。


 全ては、異世界の人間のせいで。


「私は、この世界に、来るべきじゃなかった」


 何もかも投げ出して、ハルカは逃げたかった。


 もう、リクトの言う事に、身を任せておけば、いいんだよね……。


 そう考えなければいけないような、そんな不思議な感覚がハルカを支配する。


「私は……、地球に、帰れるんだ」


 そう声に出しながら、ハルカは自身の収納石に触れる。


 今ある全部を、ここに置いていこう。


 思い出を捨てて、元の世界に帰る。

 その為に、ハルカは別れを告げようと、収納石の中身を全部ベッドへと出す。そして、腰元のチェーンも引きちぎり、杖の姿に戻し、一緒に置いた。


 私の魔力で染まった、黒い花。

 初めてお酒を飲んだ日で、カイルやサン、ルチルさんにも迷惑をかけちゃった日でもあった。

 カイルはアルーシャさんにわざわざ女の人が好むお酒を聞いて、特別な酒瓶のものを選んでくれた。

 今思えば、私が異世界の人間だったから、特別に扱ってくれていただけ。

 ただ、それだけの理由だったのに、私はどうしてあんなに喜んでしまったんだろう。


 自分にどんな武器が合うのかわからなかった私に呼びかけてくれた、私だけの武器。

 まさかチェーンが切れるなんて思わなくて、セドリックさんの笑い声を聞きながら、カイルと一緒に驚いたのを覚えてる。

 あなたはたくさん、私を守ってくれたね。

 次に手にする人も、守ってあげてね。


 幸せな気分にしてくれる薬草が中に固定された、銀縁をつけた透明な四角い石の、冒険者の証。

 この薬草を見つけた時、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

 冒険者になれるんだって、わくわくした。

 でもすぐ後で、そんな簡単に冒険者になれるわけがなかったって、思い知らされた。

 その時、カイルから命を大切にしろって、教えてもらった。

 この時に冒険者になるのを諦めていたら、よかったんだろうね。

 それなのに、階級が上がって、エブリンとアイザックとも、喜んで。

 だからそんな浮かれていた私に対して、神様は新種の魔物という罰を与えてきたんだ。

 何もできない私が、冒険者なんて、しちゃいけなかったんだ。


 優しい緑色の表紙を飾る、ピンク色の小さな可愛い花がつけられた、私だけの日記。

 そして、私の想いを自由に書けるようにとサリアさんに言われて、カイルが一緒に買ってくれた、空色の筆記具。

 最近は少しだけしか書けていなかったけど、今日で書くのをやめよう。

 もう私には、この世界の文字は必要ない。


 カイルが選んでくれた、オレンジのガーベラの形をした、通信石。

 セドリックさんが教えてくれた意味は、今となっては違ったんじゃないかなって、思う。でも、この通信石を見ていると元気になる気がして、私にとっての太陽だったんだろうな。

 もう誰にも繋がらない、飾りになってしまったけれど。


 ルチルさんからもらった、深緑のカケラ。

 いつも元気のない時に、励ましてくれたね。

 本当は今日みたいな日に、あなたを使って鉱浴をすると、元気になる。だけど、頼るのはやめるね。だって、元の世界に、あなたはいないから。

 それにもう、カイルを、思い出したくない。


 いつの間にか増えた、この世界のお金。

 精霊獣の卵を探したり、新種の魔物を倒したり、このマルクは、みんなで力を合わせた結果、もらえたお金。

 そう思っていたけれど、実際の私は足を引っ張ってばかり。

 プレセリス様からもの凄い金額をふっかけられて、カイルが凄く怒ってたな。

 ユーゴさんも家を買うならとか、変な事言ってたし。

 カイルの願いは叶うって言われてたから、私は余計な事をしようとしていただけ。


 口にしたものに幸運を運ぶと言われている、特別なキルシュミーレ。

 これのお陰で、新種の魔物は倒せた。

 ウィルさんやライオネルくんとの思い出も、たくさん詰まってる。

 2人からは、自分の願いと向き合う事を、教えてもらった。

 桜色から他の色へ変わる瞬間を眺めるのが、とても好きだった。カイルの淹れてくれるお茶に溶かして飲むのが、当たり前のようになってた。

 きっとそれが、私にとっての幸運だったんだ。


 淡いピンク色に竜の銀細工が輝く、楕円形の入れ物の魔法楽音器。

 縁を紡ぐ楽音が、まるで私達の事のようで、購入を決めた。ミアとルチルさんと色違いで買ったけれど、もう、聴く事もない。

 私だけが、絆が繋がったと、思ってたんだね。


 ミアからもらった、小さな小瓶に入った万能薬。

 これは使う事がなくてよかったの、かな?

 こんなに凄い薬を作れた彼女は冒険者にならずに、治癒師になるべきなのかもしれない。

 それにリアンも、そんな治癒師のミアに仕えるのが、本来の役目だったはず。

 私がいなくなれば、2人はきっとその道を選ぶはず。


 カイルから預かっている、異世界の記録が書かれている本。

 保護の魔法が掛けられているから、触り心地がしっかりしている。

 名もなき話も、私の思い込みだったのかもしれない。そうだったらいいなって、願望が現れたのかも、しれない。

 カイルには直接は返せないけど、ちゃんと手元に届くように、リクトに頼んでみよう。


 ハルカは今までの思い出を辿るように、目の前に置かれている数々の物に触れる。


「私だけが、楽しかった。私だけが、嬉しかった。私だけが、温かい気持ちを、もらっていた」


 思い出の品に触れていたハルカの手に、ぽたっと、涙が落ちる。


「みんなと……」


 ぽたぽたと、頬を伝う涙が続けて落ちる。


「カイルと、出逢わなければ、よかった……」


 ハルカがそう口に出した瞬間、左手首に熱が走る。


「熱っ!」


 思わず目を向ければ、自分の手首にほのかに光る、赤く細い糸が幾重にも巻かれていた。


 これは――。


 それを目にした瞬間、ハルカの目の前には違う景色が映し出されていた。

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