第159話 万能薬

 遊技場の個室で、ハルカとサンは行方を見守っていた。リアンはこれから何が起こるかわかっているようで、落ち着いた表情でミアを見つめていた。


「召喚」


 ミアの声に応えるように、コルトの精選所でチラリとだけ見た白い馬が、とても小さな姿で彼女の胸の中心から飛び出してきた。そして空中を駆け、ミアの肩に止まった。


「エーリシュ、お願いね」


 エーリシュと呼ばれた白い馬は、『銀のように輝く毛並みを持つ一角獣』だった。

 澄んだ湖面のような深く青い瞳は宝石のように輝き、柔らかそうなたてがみと尾の毛はとても長く優雅になびいていた。そして額に存在する細長く鋭い角は、その毛並みよりもまばゆい輝きを放っていた。


「傷を治す水を作り出す、と強く意識すると成功しやすいかもしれないわ。見ていてね。『癒しの水よ』」


 胸の前で手を組むミアの身体の中心から、水球が現れた。

 すると、エーリシュはその水球の側へ行き、角を十字に切った。その瞬間、キラキラとした粉が水球へ吸い込まれていった。


「『移動いどう』。あとはこれを……」


 ミアが魔法で水球をビーカーの中に入れ、魔具と思われるスポイトを使って自動で吸い上げ、ガラスの小瓶へ移していく。


「お待たせ。これが『治癒水』。通常は怪我を治すものなんだけれど、エーリシュの角は様々な毒に対応した解毒薬も含まれているから、『万能薬ばんのうやく』になるのよ」

「万能薬! ミアは薬まで作れちゃうんだね!」


 ミアが説明している間に、エーリシュはミアの胸の中心に吸い込まれていった。


「エーリシュ、もう戻っちゃったね」

「角をわけてくれると疲れちゃうみたいなのよ。だからすぐ精霊界に戻って、疲れを癒しているみたいね」

「そうだったんだ。わざわざ私の為に、ミアもエーリシュもありがとう!」

「いいのよ。エーリシュも誰かの為に何かをするのが好きだから。さぁ、やってみる?」


 ミアとエーリシュの気持ちに応えるべく、ハルカは頬をたたいて気合を入れた。


「うん。やってみる!」



 しばらく頑張っていたハルカだったが、やはり一向に魔法は使えないままだった。


「ごめん……」

「謝る必要はないわ。水が召喚できるのなら、練習を続けてみるのもいいかもしれない。それにね、初めての事だったのとハルカは黒でしょ? 黒は白の魔法が扱いにくいそうよ。だからね、誰にだって苦手な事はあるから気にしないで」

「うん……」


 気落ちしたハルカの肩に触れながら、ミアは顔を覗き込むように声をかけてくれる。


「私だって、白なのに出来ない事があったでしょ?」

「……クロムの事?」

「そう。癒しの魔法はね、『欠損した部分は再生できない』のよ。そして、『本人が望まなければ、傷や病気を治す事もできない』の……。あとは、『魂を呼び戻す事もできない』。これは神の領域だから」


 ミアは先ほどのクロムとのやり取りの真相を教えてくれるだけでなく、人を生き返らせる事も出来ない事を教えてくれた。


「癒される側の意思も反映されるんだ……。命もね、なんとなくわかる。そこに手を出す事が出来てしまうのは、神様だけだもんね。それとね、クロムの話は気になってて……。だから、魔法の特徴までちゃんと教えてくれてありがとう」

「ハルカは遠慮せず、この世界の事をどんどん学びなさい。ここで生きていくのだから、私が知ってる事はいくらでも教えるから」

「本当に、ありがとう」


 ミアの言葉に、ハルカは胸が熱くなる。

 その瞬間、サンが言葉を発した。


「…………そうか! 何か飲み物でも飲むか?」


 サンが神妙な顔つきで話しかけてきたので、ハルカは首を傾げた。


「えっ? のど乾いてないよ?」

「違う違う。この治癒水っつーのは、体内の水からできてんだろ? だったら水分を増やしたら、成功しやすくなるんじゃねぇか?」


 えっ? そうなの?


 しんと静まり返った室内のせいなのか、ハルカはその事実を受け入れるのに戸惑った。


「この万能薬、みんなに渡そうと思っていたのだけれど……。『私の体液を飲ませようとしている』って、思っているのかしら?」

「治癒水って結構値が張るだろ? 自分自身の水を使ってんだなって、今のミアを見て知ったんだ……。生成できる奴、初めて見たからよ。本当に有り難ぇ。だからほら、変な味が——」


 ミアが静かに話し始め、サンはいつもの笑顔でそれに応えていた。

 しかし、リアンが素早く動いた。


「サン! 貴様、ミア様を愚弄する気か!!」

「ぎゃっ!! ぐ、ぐるじっ……」

「リ、リアン!?」


 怒りを露わにしたリアンがサンに掴みかかり、ハルカは慌てて声をかけた。

 その瞬間、個室の扉が開く音がしてハルカは焦って振り返った。


「お待たせ……。あれ? ゲームが白熱しているのかな?」


 そこには、呑気な声を出すクロムと、その後ろに続く険しい顔つきのカイルの姿があった。



 ミアが声をかけるとリアンが冷静さを取り戻し、同時に青ざめながらサンに謝罪していた。


「あのね、治癒水は清めた水を召喚して治癒の魔法を合わせているのよ。決して、体液じゃないから。覚えておきなさい」

「わりぃ。そうだよな。体内の水をいちいち使ってたら干からびちまうもんな」


 ミアの説明を聞きながらも、サンらしい返事にハルカは笑いを噛み殺していた。


「リアンはミアちゃんの事になると周りが見えなくなるようだねぇ。騎士としての気持ちはわかるけれど、もっと冷静にね?」

「ご忠告、痛み入ります……」


 苦笑したクロムに諭され、リアンは落ち込んで肩を落としていた。


「カイル、なんだかうわの空だね」

「ん? そう見えたなら謝る」

「そうじゃなくて! 何かあったなら話してね。少しでもカイルの考えを理解したいから」


 壁際に静かに佇んでいたカイルの視線はどこか遠くを見ているようで、ハルカは心配になった。


「いや、昔を思い出していただけだ」

「そっか……」


 リアンの言っていた通り、クロムと過去の話をしていたんだろうと考えたハルカは口を閉じた。

 すると、ミアが万能薬が入った小瓶を持ってこちらに歩いてきた。


「はい。ハルカもカイルも受け取って。もし私がいないところで怪我をしたら、迷わず使いなさい。約束よ!」

「有り難くいただく」

「わっ! わかった! ありがとう」


 ハルカとカイルが受け取った瞬間、ミアが詰め寄るように声をかけてきた。きっと、沈黙の森の前で治療を拒んだ時を思い出し、心配してくれているんだろうと、ハルカは感じた。


「それじゃ全員揃ったところで、もう1ゲームするか!」


 それぞれが万能薬を収納石にしまうと、サンの元気な声がみんなを遊びへと誘った。


「そうしようか。ハルカちゃんもまだ黒がどんな魔法が得意かあんまり知らないみたいだし、ぼくでよければゲームをしながら教えるから」

「ありがとう! 冒険者として使える魔法を増やしたいから、頑張って覚えるよ!」


 クロムからの提案にハルカは更なる魔法を覚えるべく、張り切って返事をした。

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