第142話 私達を繋ぐ物語

 ゆっくりと目を開けると、強張った顔つきのカイルが目に入る。何事かと思いながら、ハルカはベッドから体を起こした。


「あ……。悪い。手が外れたな」

「それは気にしなくていいよ。あのさ、私が聞いてもいいなら、カイルの話を聞かせて?」


 カイルの父親の話だったので、ハルカは気遣いながら尋ねた。


「そうだな……。この話にハルカが関わっているのなら、話すべきだな」


 カイルは立ち上がると、名もなき話が記録されている紙製の本を持って戻ってきた。

 そしてまたベッドに腰かけると、本の内容が見えるようにこちらに向けてきた。


「この話の最後に『青年の魔法は代々直系の血縁の者だけに記憶として引き継がれ、永遠の約束として残りました。』と書いてあるだろ? この血縁の者が俺だ。そしてこの記憶は次の者へ受け渡すと、今まで所有していた者の記憶から消える。だから受け渡された者だけが、この話の全貌を知っている事になる。けれど、受け渡された記憶が解放される時、注意すべき事を父さんから言われていたんだ」

「注意?」


 前に、『伝承された記憶の魔法の内容も、俺はまだわかっていない』って言っていたけれど、危険な魔法なの?


 そんな魔法には思えず、ハルカは首を傾げた。


「この話自体が映像の記憶として残っていて、その当時の想いが強すぎて影響が出るかもしれないと、父さんは言っていた。特に俺には、かなりの影響を及ぼすかもしれないからと、注意を受けていた」

「想い……」


 カイルは本を閉じてベッドの上に置きながら、話しを続けていた。


 確かに、触れただけでも鮮明に伝わる想いの強さだった。だから、カイルのお父さんが気にしていた理由もわかる。

 その想いに影響を受けたカイルは、どうなってしまうんだろう?


 カイル自身に影響のある記憶に、ハルカは不安を覚えながらも、続く言葉に耳を傾けた。


「本来なら、もっと年齢を重ねてから記憶を引き継ぐはずだったんだ。それなら心に対して影響が出にくいと言っていて……」

「カイルにとってそこまで影響がある記憶を、どうして早くから引き継いでいたの?」


 突然の戦争でカイルの家族は命を失ったはず。

 本来なら、この記憶は途絶えていてもおかしくはなかったんだよね……?


 ハルカは浮かんだ疑問をそのままに質問した事を、カイルの表現を見て後悔した。

 カイルの顔は今までに見たことも無い、憎悪をむき出しにしたような険しい表情に変化していた。


「父さんは気付いていたんだ。自分の身に何かが起こる事を……。だから前もって、俺に記憶を受け渡してきたんだ」

「え……?」

「……こんな話を聞かせて悪いと思っている。けれどこのまま……、聞いてくれるか?」


 苦悶の表情を浮かべ絞り出された声の小ささに、カイルの心の傷の深さを感じた。

 だからハルカはカイルの膝の上で握り締められている手を両手で包み、頷いた。


「大切な話だよ。だから、聞かせて?」

「……ありがとう」


 黒緑色の瞳は不安気に揺れたが、呼吸を整えたカイルは落ち着いた表情に戻り、静かに話し始めた。


「父さんは、『自分にもしもの事があった時、この記憶が途絶えてしまう。きっとお前には必要な記憶だ。だから、先に渡しておく』と言って、俺に記憶を渡してきた。そして当時16歳だった俺には記憶の解放はまだ早いと、解放に条件をつけた」

「条件?」

「『この記憶は、お前が20歳になった時、解放される』と、言っていた。それでも早いんだろうが、そこまで解放の期限を伸ばす事が出来なかった、とも言っていたな」


 カイルはまだ19歳だから、詳細を知らなかったんだ。


 そう考えたハルカは、カイルに尋ねる。


「カイルはいつ、20歳になるの?」

「…………あと、ひと月もしないうちに、20歳を迎える」


 ハルカには、少しだけ言葉をためたカイルの不安が、重ねた手から伝わるような気がしていた。

 幾分か表情は穏やかになっているが、それでもまだその姿が痛々しくて、ハルカは触れている手に力を込めた。


「俺は、大丈夫だ」


 そう言って、カイルは空いていたもう一方の手をハルカの両手の上に重ねてきた。


「カイルこそ、無理しないで?」

「……ハルカ、俺にそんな優しさを向けないでくれ」

「えっ?」

「……いや、なんでもない。話を戻そう」


 カイルの何かを含む言い方が気がかりだった。けれどカイルが続きを話し始めてしまったので、ハルカは口を閉じ、どの言葉も聞き逃さないように集中した。


「青年の魔法、それに記憶の魔法の受け渡し方は、解放されれば自ずとわかると教えられた。そして同時に、『たとえ記憶の想いが強くとも、その想いに呑まれ、今を生きるお前の意思を疑うな』と、強く言われた」


 カイルの父親の言葉に、ハルカは先程の苦しい感情を思い出した。


「あの時はなんでそんな事を? と思っていたが、俺達の声、そして多分だが、姿も、今の俺達にそっくりなのかもしれない。そう考えると、父さんの話に納得がいく。そして……、さっきハルカが泣いていたのは、その想いに呑まれそうになっていたからじゃないのか?」


 今、その話には触れないでほしい。


 カイルに泣いていた理由を悟られ、ハルカは身を固くした。


「ハルカは願いを聴く事が出来る。だから、この話の何かの願いに反応して、声が聞こえたんだろうな。それで突然、前世の自分の想いが流れ込んできて、戸惑いを感じたんだろ?」

「それは……」

「けれど、あくまで前世だ。今を生きているのは、いつも、誰に対しても、一生懸命に向き合おうとするハルカだ」


 そして重ねている手に少しだけ力を込めながら、カイルは顔を近づけてきた。


「今、目の前に存在しているハルカだけが、俺の中にある真実だ」


 少しばかり目つきの鋭い黒緑色の瞳は、真剣さを帯びているのに柔らかい光をたたえている。そして、引き締まった口元から伝えられた言葉に、ハルカの心臓は激しく波打った。


 そんな言葉を、そんな表情で言われたら、信じてしまう。

 私はもう、疑うことすらできないんだ。


 今の私が、カイルを、好きなんだ。


 カイルに今の自分を受け入れてもらえたのを感じ、ハルカも自分の想いを素直に受け入れた。


「どうしてカイルは、私に対してそんなに優しいの? でも、凄く嬉しい……。ありがとう」

「俺は、思った事を言ったまでだ。それにその感謝は、この物語に向けたらいい」

「えっ?」

「なんだか、そんな気がしたんだ。この物語のお陰で、俺達は出逢えたように思える。だから、今のハルカに出逢えた。その事実だけで、充分だ」


 カイルから言われた言葉は、ハルカの心にすとんと落ちてきた。


 確かに私もそう思う。

 けれど言葉から……、カイルがそれ以上を望んでいないのも伝わる。


 そしてハルカは、ふと、ウィルさんの言葉を思い出した。


『自分の想いを自分で消し去る事自体が、とても悲しい行為だと思います。ですからハルカ様も、自覚された想いをどうぞ大切に。そして、人の生は儚い。だからその想いを抱いたお相手と、しっかり向き合ってみて下さいね』


 それなら私は…………。


 ウィルさんの言葉に返事をするように、ハルカは自分がどうしたいのかを、心に浮かべた。

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