高嶺華弥②
それからも、我が一年C組は絶好調に「織田千紘フィーバー」が続いていた。なんてこった。
確かにね、確かに先輩は外見が見違えるほど変わった。短い髪の毛がダサいと中学の時は思ってたし、とりわけかっこよくない先輩に恋をする自分がよく分からなかった。
夏は髪が邪魔だからと言って坊主頭にしてきたり、かと思えば爪を切ることを忘れて風紀検査に引っかかって部活停止を食らったり。かっこよくない。
ただ――走る姿がかっこいいことは間違いない。
クラウチングスタートの姿勢を取るなり、眠たそうな目をキュッと引き締める。そして、ゆっくり瞬きをしてすぐに、スタートの合図で風を紡ぐ。水色のユニフォームが駆け抜ける。誰よりも速く。
その残像を追いかけて、ゴールする彼の涼やかな顔にあたしはいつも見とれてしまう。あぁ、やっぱり、思い出の先輩が好き……それじゃあ、今の先輩はどうなんだろう。
あんなに外見を気にしなかった先輩が、周囲のおしゃれな都会っ子たちと馴染んでいる。
いや、待てよ。もしかすると先輩は都会に馴染むために変わったのでは……なるほど。謎が解けた。
「華弥ちゃん? どしたの」
素朴な顔で訊かれる。
「ニヤニヤしちゃってー。さてはやっぱり先輩のこと好きだなー?」
化粧の匂いを漂わせてあたしの額をツンツンしてくる。
「なっ! そ、んな……いや、やめてよぉ……」
まさか顔に出てたとは思わず、あたしは友達の前でようやく晴れやかに笑った。
だが、しかし。そう、しかしだ。外見が変わってしまった先輩に近づくのは簡単じゃない。まず、上級生のフロアにはやすやすとは行けない。すれ違うことも滅多にない。連絡をして、校門前や売店、自販機、中庭で待ち合わせても先輩は忙しい。
「織田ーちょっと来てー」とか「千紘、宿題見せて」とか「織田くん、これ教室に運んどいて」とか。生徒のみならず教師にさえ人気がある。
やっぱり、先輩がモテすぎるのは困る。
***
入学して早一ヶ月……あたしは未だ、先輩に告白が出来ない。ここまで自分が情けない駄目な子とは思わなかった。そう。あたしは簡単に考えすぎていたんだ。
先輩と同じ高校に行けたら告白する――なんて高い目標を掲げてしまった。先輩はかっこよくないから、告白だってすんなり出来るはずだと簡単に考えていた。それがとても浅はかで馬鹿だったことは身をもって知った。実際、先輩に告白したところで付き合える保証はどこにもない。勝手に一人で盛り上がって馬鹿みたいだ。
段々と自信がなくなり、先輩に連絡することも減ってしまった。
こんなはずじゃなかったのに。
空は青くて透き通っているのに、なんだか胸が寂しい。目まぐるしく進む授業に追いつくことを気にし始め、楽しみだったはずの高校生活に早くも落胆している。
そんな昼休み、あたしはお昼を一緒に食べる友達から離れて、中庭の木陰に隠れていた。気分が乗らない日だってある。あの子たちが売店に行ってる隙に身を潜めた。
人気のないベンチ。解放感がある。
「――水色の風がなびくー、君の髪はまるでリボンのようだね、キラキラ眩しく揺らめいて……」
唐突に、脳内に浮かんだBreeZeの曲を口ずさんだ。青い空を見たから思い出したのかな。
好きな子に好きだと伝えたい思いが四分以上に渡って綴られる歌。ボーカルの爽やかな声音じゃないけど、小さくリズムに乗って呟いてみる。
「水色の風になるー、君の笑顔にくらっときちゃって、ゆらゆら募るこの思いー」
気づいてないのかな
気づかないよね 僕のこの思い
ぐっと飲み干してしまうのももう何回目?
君が僕の前を走っていく
それに追いつけなくて もどかしい
だからまた飲み込んでしまうんだ
淡く弾ける炭酸水……
「飲み干すと水色の味がした」
頭上から届く声と重なる。すぐさま上を向くと、そこには眠たそうな千紘先輩がいた。
「なっ……え、ちょっ、えぇ!?」
「お、いい反応。大成功ー」
肩を上げてあわあわとするあたしに、先輩はクスクスと面白そうに笑う。それがなんだか様になっていて、あぁ、駄目だ、やっぱり見られない。
あたしは立ち上がって彼から距離を取った。
「どうしたの?」
よそよそしくしたからか、先輩が不思議そうに聞いてくる。
対して、あたしの口は未だに驚いていて、ろれつが回らない。
「な、いきなり、なんか、ハモってくるから……」
「通りかかったら高嶺を見つけたからね、つい、脅かしたくなって」
おちゃめな事をぬけぬけと。
顔が熱いあたしは怒っているのか緊張しているのか、自分の気持ちが迷子になっていた。そして後ろめたさを思い出し、あたしの足は勝手に動く。ローファーの底をくるりと回転させ、彼から背を向けて……走る。
「え、高嶺!?」
後ろから千紘先輩の驚いた声が聴こえる。でも、全速力で走る。中庭から校庭、駐車場。固いアスファルトだろうと構わない。
でも、あたしは気持ちにかまけて一つ忘れていた。
「待て! 高嶺!」
すぐ後ろで先輩の声が聴こえる。それに驚いて思わず前につんのめる。
「うわぁっ!」
固いアスファルトに顔を突っ込みそうになり、目をつぶった。瞬間、腕がぐいっと大きく掴み上げられる。千紘先輩が息も上げずに心配そうな顔であたしを見ていた。
「あっぶないなー。スパイクじゃないんだから全力出すなよ」
元陸上部エースに勝てるわけがない。あたしはいつだって先輩を追いかけていたんだから、逃げられるはずがなかった。
思わず目を伏せる。体勢を整えても、顔だけは上げられない。すると、頭の上で千紘先輩が静かに言った。
「ねぇ、高嶺。その、ゆっくり話とか出来なかったし、それで怒ってたりするの?」
「え? いや、そんなことは……」
どうなんだろう。分からない。怒ってるのかもしれないし、でもあたしが怒る資格もなくて、どうしたらいいか分からない。
先輩はあたしのものじゃない。そりゃ、仲は良かったけど……あぁ、そのせいで自惚れていただけなのかも。認識すると、更に落ち込んでいく。
黙るあたしに、先輩は呆れの息を吐いた。
「ねぇ、高嶺。こっち向いて」
「嫌です」
「即答かよー、もう、参ったなぁ」
なんだよ、その軽口。人の気も知らないで。
あぁ、ほらまたそうやって勝手に気持ちが上下する。あたしの気持ちなんて、先輩には関係ないことなんだから……
でも、巻き込んでみたくなる。脳天気に笑う先輩を困らせたくなる。
あたしの腕を掴む先輩の大きな手に指を伸ばした。ひんやりとした手の甲をぎゅっとつねってみる。
「いった! やっぱり怒ってんじゃん」
「はい。怒ってます。先輩が、モテすぎてて……あたし、嫌なんです」
顔はやっぱり俯けたままだけど、絞り出すように言う。
「そんなかっこよくなってるとか、聞いてないし。なんか、すっごい忙しそうだし、楽しそうだし、充実しちゃって、あたしが来なくても別に良かったじゃないですか」
先輩はもう笑うのをやめていた。困ってると思う。もしかしたら怒ったかも。どうしても顔を上げられないから分からない。
「……かっこよくなってる?」
突然に落ちてきた言葉は確かめるような囁きだった。
「え?」
ちらっと目線を上げてみる。すると、先輩は耳を少し赤らめていた。
「いや、ほら……俺さ、高嶺にかっこいいって言われたかったから」
「………」
先輩は目を泳がせていた。目元を頼りなく下げて、首筋をポリポリ掻く。忙しない。咳払いし、それでもまた小さく口を開いた。
「えっと……だって、高嶺はみんなから好かれてたし、俺じゃ釣り合わないと思ってて。お前、女子では一番速いから一目置かれてたし、他の男子も気に入ってたし。まぁ、そのなんというか……」
ここでようやく思考が回ったあたしは思わず彼の口を塞いだ。
「ストップ! 待って! 処理が追いつかない!」
「いや、待たない」
塞いだのにその手をどかされる。片手で軽々あたしの両手を掴んで、彼はじっとあたしの目を見た。
「高嶺が追いかけてきてくれたら、告白しようと思ってた。だから今、それを言うから、待たない」
あぁ、もう。顔が熱すぎて倒れそう。地面に打ち付けられたように固まってる。
それは、昔のかっこよくない先輩ではなく、努力で磨かれたものからポツリと言葉が紡がれた。
***
あたしが好きだから、という理由でBreeZeの楽曲を集めたらしい。あたしが好きだから、という理由で空で歌えるようになったらしい。
「このメニューをこなしたらアイス食べる」とか「自己ベスト更新したらCD買う」とかそういう変な願掛けをあたしがよくしていたのを真似して、彼も大会で自己ベスト出せたら告白しようと思っていたらしい。結果は残念だったので、今度はあたしが同じ高校を受けたら、とそれに賭けたらしい。
あたしのことはいつの間にか好きになっていた、と曖昧な理由なので納得は未だに出来ない。外見は見違えても中身は千紘先輩のままで、やっぱりかっこよくない。
「リベンジしようって思ったんだ」
千紘先輩ははにかみながら言う。だから「あたしもですよ」と小さく返す。
そんな話をしていると、水色の風があたしたちの髪をさらった。
〈track2:BOY MEETS GIRL REVENGE!/高嶺華弥 完〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます