229、星降る夜に

 殊の外しっかりと反応をした私に、ジルケさんはしどろもどろになりながらも教えてくれる。

 ライバルはシャハナ老の六番目の弟子で名前はバネッサさん。本人も優秀な魔法使いであり、シャハナ老の代わりにライナルトに付き添うことが多い。

 どうやらライナルトにすっかり惚れ込んでいるようで、彼女の熱い視線は噂になっているようだ。


「殿下は気付いているのかいないのか……まったく振り向く様子はないし、ニーカ様もまたかってお顔をしているから慣れっこなのでしょう」

「あたしたちは殿下が振り向かないの知ってるから大丈夫ですよ」

「でも殿下なら一夜くらいは――」

「しっっ!! ……大丈夫ですって、親しい方が一緒なら」


 ……いまのは聞かなかったことにするべきか悩んでいたら、ジルケは「でも」と意外そうに続けた。


「カレン様が殿下に気があったとは意外です。あの方は親しくなるほどまともな女性は遠ざかっていくと聞きましたから」

「それはどこ情報ですか?」

「ニーカ様です。あ、内緒でお願いしますね。あの方、酔うとお喋りになるんですけど、これがバレてしまうともう一緒にお酒飲んでくれなくなっちゃうから」


 いずれニーカさんを酔わしてみたいと思ったのが半分、そんな裏話? があるなんて知らなかった。気がある、といわれて否定しようとしたけど、あれだけの反応をした直後だ。いまさら大仰に首を振るのもわざとらしいし、結局確実な言葉は返せない。


「……内緒にしますから、このことはニーカさんには言わないでくださいよ」

「言いませんよー。今日のお茶のお礼くらいに思っててください」

「ご安心を。言いふらして噂を立てるほど物好きではありません」


 本当かどうかいまいちつかみ所がないのだけど、二人はお茶を飲み終えると天幕を後にしたのである。

 朝を迎えるまで一眠りさせてもらい、シャハナ老と面会を行ったのだけど、なかなか有意義な話ができた。ただライナルトはニルニア領伯に呼びだされて出かけてしまったみたいで、その日は会えず終いである。

 

 

 静まりかえった夜更けに目を覚ました。

 そっと身を起こせば、天幕の入り口にできた隙間から、僅かにたき火の揺らめきが差し込んでいる。ここはライナルト達の野営地だから、誰かが起きて不審者が入り込まぬよう見張っているのだ。私に与えられた天幕も彼らにとっては目が届きやすい場所。どこか遠く、視界に入る範囲で誰か休んでいるのだろう。

 静かに、静かに息を吐いた。

 近くの天幕ではジルケさんとハサナインさんが休んでいるはず。のんびりしているようで、意外に鋭い二人は本当に私が何処にいこうとついてくる。この野営地に来たのは昨日の深夜だけど、たった一日で驚くほど実感させられた。

 暗闇の中で、なるべく音を立てないように着替えを済ませた。ここでは流石に帝国式の装いで、肌の露出が多いのは軍人さん、特に男性の心身に影響がある、とジルケさんに熱弁されては可愛いからと着続けるわけにもいかなかった。

 寝ぼけ眼をこすり、周囲に耳を澄ませる。人気が少ないいまはそろそろ日付が変わった頃だろうか。

 呼吸が落ち着いたところで持っていた鉄輪を外した。同時に空気が肌を刺す感覚が全身に巡ったけれど、これはシス曰く「魔法使いはみんなこんな感じ」なのだそうだ。現代日本風に説明すればあらゆる大気に満ちる神秘に身体が反応しているとかなんとか。それでも帝都にいたころよりチクチク感が強いのは、多分ここはまだ手付かずの自然が多く残っているからなのだろう。


「……よし」


 呪文は好きにしろと言われた。私の場合は特に必要としなさそうだったし、なにより「そういう」呪文を考えるのが億劫なので声出しはやめた。その代わり「魔法を使う」意識付けとしてちょっと指を動かすくらいの動作は必要だ。いまも人差し指を斜めに動かして、魔法は完成……のはずである。

 羽織を取って天幕の外に出ると、偶然通りかかった見張りと目が合った。……が、見張りはふいっと顔を逸らす。私など見なかったように通り過ぎたのは、実際見えていなかったからだ。

 これはシスの十八番。普段街中をうろつくときににかける認識阻害の魔法。彼がライナルトにかけてあげるのより、効果はちょっと強めだ。ここで貴族の女子となれば私一人だから「いるはずのない」なんて認識はそもそも働かないからね。これは認識阻害も含めた完全な目眩ましである。

 たくさんの天幕の傍を通り抜けて向かうのは、灯りの少ない林の方角だ。

 吐く息は白く、もうちょっと厚着すればよかったと後悔が押し寄せるけれど、進み出した足は止められない。時間をかけて野営地を抜けるとゆるやかな坂にさしかかり、整備された山道に入っていく。

 普段なら灯りを必要とするけれど、今日の夜空は曇り空ひとつない満月と濃紺の空を埋め尽くすほどの星空だ。二つの月は煌々と地上を照らし、下手な日中よりも明るい。道の上だけは枝が刈り取られ、進むべき方向を照らしてくれる。

 そう長い時間は掛からなかった。道の先は鬱蒼とした木々に覆われているけれど、目的地はここを越えた先だ。

 視界が開けると強い風が吹き抜け、うわ、と声を上げていた。外套がはためき、髪が攫われそうになるのを抑えながら進むと、その先にあったのは切り立った崖である。

 ここは地形的に横からライナルト達を挟撃できないようになっているのだ。一応登れるかもしれないが傾斜は急だし、下から来ようにも見渡しが良すぎて大軍が列挙するには難しい。登ったにしても岩が反っているから進軍には不向きだ。転がり落ちて打ち所が悪ければ命はないだろう。

 ここは景色がいいと聞いて、昼に一度見に来ていた。今日みたいな夜だったらさぞ見応えがあるだろうと思って足を向けたら、想像通りだ。

 この地はコンラートみたく見渡す限り森林はなく、霧が幻想的な雰囲気を醸し出すわけでもない。ただ眩しいくらいに月光を浴びた大地と山々が広がるばかりだけれど、それがただひたすらに美しかった。

 柵もなにもないから、落ちたらひとたまりもないと中間くらいで立ち止まった。

 もう違和感を覚えることも少なくなった空を仰ぎ見た。こうしてひとりになると色々想いを馳せるけれど、現代日本を思い返すことも大分減っていった。すっかりこちらの人間になってきたのかな、と苦笑が漏れる。

 ここにきたのはやりたかったことがあったからだ。

 両手を前に出して、水を掬うように持ち上げた。いつの間にか手の平いっぱいに白くキラキラ光る粒子がいっぱいに浮かんでいて、手の平を広げれば風に溶けて消えていく。月光に反射しながら広がる粒子は息を呑むほどきれいで、こんなことができるのも、仮とは言え魔法使いになれたからなのだろう。

 あとは外套を掴んで自分の肩を抱いていた。なにを思うわけでもない、ただ時間の経過に身を任せてぼんやりするのだ。ちくちくと肌を刺す感覚は夜風に紛れて消えていく。

 ……実際はシスの魔力が少しずつ身体に馴染むようコントロールしているのだけど、そう思ったくらいがこの修行も苦しくないし、景色を楽しめてちょうどいい。

 はぁ、と息を吐いたとき、後ろでガサリと音がした。風に凪がれた音ではない、人が枝葉を避ける音に振り返ると、びっくりして声を上げたのである。


「ライナルト様?」


 あ、喋ったから気付かれた。向こうも先客がいたことが意外だったのだろう。供も付けずに現れたのはまごうことなきライナルトであり、彼もまた目を見張ったのである。


「カレン? いま突然姿が……いや、何故ここにいる。護衛の姿は見えなかったが」

「あ、すみません。ひとりで抜け出してきました」


 悪事を暴露するとほんのり眉を顰めたが、お咎めは免れた。


「普通なら咎めるところだが、私も護衛の目を盗んできたから叱れない」

「あの護衛の中を抜け出せるんですか」

「慎重を期する必要はあるが、これが意外とばれないな。警戒している者がいないわけではないが、今日は全員疲れて眠っているはずなのでね」

「あ、確信犯」


 襟口にもこもこの毛皮がついた外套があたたかそう。ニルニア領は比較的あたたかい地域だけど、昼と夜の寒暖差が激しいのが難点なのだ。ここは斜面だから風を遮るものがなく遠慮なしに吹いているのも原因かもしれない。ライナルトは私と同じように絶景を見渡せる場所に立ったのだが、そこで呆れたように言われた。


「私が言えた義理ではないが、夜中に抜け出すなど危険だったのでは」

「……色々あるのですが、ひとりになりたいときってあるじゃないですか。魔法の修行ってやつですか。そういうのにもなって便利ですし。そういうライナルト様はなんでこんな時間にここに?」

「ここは考え事をするのに便利なのですよ」

 

 ハサナインさんたちと約束した翌日にこの始末だが、今回ちょっぴり欲求が抑えきれなかったのである。このあたりはまだ帝国の人達が近いから危険は少ない。特に私は認識阻害も働いているから襲われる心配はないと判断したのだけど、ひとりで抜け出してきたライナルトも似たような判断だったのだろうか。

 聞けばたびたびここを利用しているらしく、どうやら邪魔したのは私の方だったようだ。こんな夜更けに考え事など余程の内容かもしれない。帰るべきか迷っていたら不思議そうな顔をされたので黙って留まった。

 しかし何か話すことがあるかといえば、これが意外にない。

 今日はどうでした、とかあったかもしれない。昨日も会えなかったし、話したいこともたくさんあったはずなのだけど、それをいまここで持ち出すのは違う気がしたのだ。

 ライナルトは腕を組んで眼下を見据え、私は彼に習う形で空の星の河を眺める。

 互いが思い思いに過ごしていると、ここで私がやらかした。


「っくしゅ」


 くしゃみである。

 鼻を押さえて可愛らしい範囲に抑えただけ、かなり及第点である。

 薄手の肩掛け程度で凌げる風ではなかったのだ。ライナルトは外套を貸してくれようとしたけれど、それは断った。だけどせっかく隣にいることを許してもらえたのが嬉しかったし、どうせなら一緒に思いに耽りたかった。

 けれどくしゃみは止まらないし、私の様子を見かねたライナルトが無理にでも外套を脱ごうとしたので――。


「カレン?」

「……ちょっと失礼します。外套のボタンを外すだけしてください」


 自分でも驚くほど大胆な行動は、ライバルの出現に焦っていたからなのだろうか。それともコンラート家の人達が誰もいないからなのか。

 あるいは両方で、さらに夜空の下で二人だけの環境が勇気を与えたのかもしれない。普段だったら絶対しない、勇気溢れる行動はライナルトの外套の中に潜り込むことである。

 外套が大きめだったから、前を開けてもらって懐に潜り込んだ。彼の身体にすっぽり収まるように内側に潜り込んで顔だけ出したのである。見た目は不格好だが、これで二人して暖まることができるし、景色も眺め続けられる。一石二鳥だった。

 自分でも思い切りが良すぎるけれど、不思議と照れるといった感情は控えめだ。どちらかといえばライナルトが私の言うままに従ってくれた驚きと、背中に感じるぬくもりにほっとしていた。これで鼻水を啜らなければ満点だったけど、鼻の粘膜は意思では調節できない。

 ほう、と息を吐いて一息ついた。ライナルトは冷えてしまったかもしれないが、私は暖房が手に入ったので人心地つけたのである。


「確かに二人とも温まるが、それなら素直に外套を借りればよかったものを」

「それじゃライナルト様が風邪を引くじゃありませんか」

「私の身体など気にしなくてもよかったものを」

「よくありません。私がニーカさんに叱られます」


 元はといえば私の準備不足が原因なのだけど、そこは突っ込まない。

 そこでまた星見を再開しようとしたが、すっかりそんな雰囲気ではなくなった。ライナルトは「そういえば」と小さく呟いたのである。

 

「昔、一度だけ同じようにヴィルヘルミナと温め合ったことがある。向こうは覚えていないだろうが、そういえばこんな感じだった」


 ヴィルヘルミナ皇女の話といい、微塵も動揺していないのが伝わってくる。

 ……脈なしだぁ。

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