226、皇太子として

 

 ライナルトの声は通りやすく、簡潔でわかりやすかった。

 ……分かり易すぎたともいうだろう。

 これに首を横に振ったのはニルニア領伯とマイゼンブーク卿、そしてシャハナ老である。

 

「お待ちください。私の話を聞いておいででしたか、殿下なしで帝都の者達が持ちこたえられるとは思いませぬ」

「殿下が必要とされているのは未来ではなくいまでございます」

「……癪ですがハーゲンの言うとおりでございます、殿下。短い期間とはいえエスタベルデに住んだからこそわかる。サゥ族はエスタベルデを手放しませぬ」

「殿下、わたくしの進言もお許しくださいませ。たしかにわたくし共はお味方を誓いましたが、ご存知の通り他の一派を抑えられるとはお約束できないのです。まして長老達の間にも派閥があるのはご存知でしょう。血統ばかりを重視し、殿下を良く思っていない者がここぞとばかりに動き出す……」


 焦る……のは当然そうだろう。彼らにも理由は様々あるだろうが、彼の麾下に下った以上、負けて欲しいと思っている人はいないのである。シャハナ老も派閥といっていたし、今後誰が皇帝になるかで魔法院内の勢力図も大きく変わるのだろう。

 皆が一斉に騒ぎ出したのは、ライナルトの興味を誘ったようだ。この中で静観しているといえば、言いたいことがありげでも彼の動向を見守るニーカさんくらい。

 

「わかっているとも。だからいま、と言ったろう。貴公らとの約束を違える気はない」

「このまま放置すれば陛下の思いのままに進むでしょう。私が力を尽くせば、諸侯と協力し、兵を挙げても殿下の進軍もいくらかは伏せられます。それでもエスタベルデに残られると?」

「そうだ。……それにしても、ハーゲンの策がうまくいけば帝都を強襲することになるな」

「貴方様はいまさら正攻法が嫌だとはおっしゃる御方ではありませぬ」

「確かにな。だがそれも時と場合による」

「……と、おっしゃると?」

「どのみちいますぐ引き返したところで、私が兵を挙げても説得力が薄かろう。私に不足しているのは名声と実力だ。……そうでしょう、カレン?」


 あ、矛先がこっちに向いた。

 傍観者に撤していたから咄嗟の投げかけに頭が回らなかったので、急いで頭を巡らせた。彼の言いたいことは……うん、わからないでもない。口にするのは気が引けるが、私の発言を待って天幕内が静まりかえっている。求められては声にするしかないだろう。


「……わたくし共は殿下が皇位を継ぐにふさわしいだけの御方と存じていますが、国民や、世間一般的にはそうではありません。もちろん殿下なりに尽力されていますが、それでも長年皇族としてやってこられたヴィルヘルミナ皇女には及ばないかと……」


 言いにくいことをいわせるなぁ?

 しかし、どうやらライナルトの聞きたい言葉は引き出せたようだ。ニルニア領伯やマイゼンブーク卿も思い当たる節はあったようで、苦虫をかみつぶしたような顔である。特にマイゼンブーク卿は熱が入っているようで、悔しそうに呟いた。


「……たしかに殿下は無用な敵意を買わぬよう努めて静かにしておられた。私も実際お目にかかるまで誤解していた部分があるのも認めましょう。お考えあってのものでしょうが、民意を得るのは難しい。帝都は割れるでしょうな」

「もし皇帝がヴィルヘルミナを皇太子として据える場合、私の大義名分とやらは男子であり元皇太子であったことしかないわけだ」

「しかし……!」

「内紛だ。戦となれば帝都が被害を被るのは火を見るよりも明らか。ならば民にはどちらが正義であるかを示しておく必要がある」


 そして元皇太子であった立場は、ヴィルヘルミナ皇女も同じなのだった。

 彼は課題をこなせず、皇族として相応しくないとみなされる。……暗躍していたのを私は知っているけど、世間では、はっきりいってしまって評判はよろしくない。

 ……ああ、つまり、そういうこと。

 思わず溜息が漏れた。


「……ここあたりで正しき次期皇帝であると民に示す必要があると。そのためには、もうこれまでのように動くことはできないのですね、ライナルト様」


 戻るなら正々堂々と、役目をこなし次期皇帝として相応しい仕事を成し遂げたとパフォーマンスをしたいわけだ。

 ……もしこれが成功してくれたら、の話だけど、ちょっと嫌な言い方になるが、きちんと仕事をして帰ってきた皇太子を出迎えたのが皇太子剥奪となれば民の同情を集めるだろうし、長年没交渉だった城塞都市を奪還した立役者の実績は大きい。

 反して現時点で引き返すのは、先も言ったが嘲笑の対象だ。ライナルトは他人の噂を気にする人ではないけれど、国民感情が武器になるのもまた事実。そういう観点で述べるなら、いま帰るのはどうあっても得策じゃない。

 などとようやく至ったが、ヴィルヘルミナ皇女と皇帝カールの結託からそこまでは考えられなかった。多分、自分が考えている以上に慌てていたのだろう。


「理解が早くて助かる。説明役がいてくれることのありがたみを実感しましたよ」

「シスの罵倒が目に浮かぶようです」

「あれは鳴かせておけばいい。向こうに残っている者には苦労をかけるが、彼らなら私の期待に応えてくれる」

「し、しかし殿下。何度も申し上げておりますがサゥ族はエスタベルデを渡す気はございません。あの男、未だ理由をつけては交渉の席につこうともせず……!」

「なに、向こうも嫌々出向いているというのはわかっている。ならばそうせざるを得なかった理由があるのは貴公も理解しているのだろう」

「は、はぁ、ヨー連合国の内輪揉めが原因だとは聞いておりますが……」

「そこを突いてやればいい。仔細は昼頃には詰めよう」


 交渉については考えがあるようだ。皇太子の意思は固いようで、こうまで言われてはマイゼンブーク卿も諦めた。

 なにやら考え事をしていたニルニア領伯はやれやれと言わんばかりに首を振ったのである。


「殿下、そのご様子ではこの事態をあらかじめ予測されておりましたな?」


 ニルニア領伯も気付いたようだ。私が報告したときのライナルトの落ち着きぶり、あれは絶対に二人が手を組んだことを知っていた。


「予測していたわけではない。考えられない話ではなかったというだけだ」

「陛下は高みから人の所業を観察されることを好む御方。特にマイゼンブーク卿は皇女殿下を知る御方、陛下が手を組むとは考えておりませなんだ」

「そうだろうか。二人とも倒すべき相手を間違えるような愚か者ではない。共通の敵がいれば誰とでも手を組もう。ヴィルヘルミナなど、最近は特に柔軟性が生まれている」


 ……それはもしかしたら兄さんが影響しているのかもしれない。複雑な心地だが、ライナルトはどこか彼女の成長を喜んでいる。


「モーリッツの愚痴は戻ってからきくことにしよう。いまは方向性が定まっただけでも目出度いところだが……」


 いったん話はここで終わりのようだ。ライナルトの眼差しがひたりとこちらを捉えた。


「このことをリリー達に報せてもらいたいが、いますぐ戻ることは可能だろうか」

「……すみません、ちょっと難しいです」


 これに関しては数日かかるとだけ簡単に説明させてもらった。戻るための術を編まねばならないし、転移に必要なだけの魔力……は時間が解決してくれる。こちらは問題ないだろうが、ひとりで魔法を行使するのは不安だ。シスに送ってもらう時にもっと詳しい話を聞くつもりだったのにこれだから、しっかり準備を行いたい。

 私が特に心配しているのはコントロールの方。出力ミスからの気絶が怖くて、懐には牢を出る際に外してもらった鉄の首輪を忍ばせている。握るだけでそれなりに効果はあるようで、おかげで普通に過ごす分には問題ない。


「ふむ。伝令は飛ばすつもりだが、しばらくこちらに居てもらう必要はあるか」


 なお、現時刻はようやく太陽が昇りはじめた頃である。ライナルトの方針は固まったし、休息を妨げるのはよくないだろうとニルニア領伯とマイゼンブーク卿は天幕を去った。

 残ったのはシャハナ老たちだ。ライナルトは彼女に私の世話を任せたかったようだが、これには弟子の女性が異を唱えた。


「シャハナ様は殿下の身の回りを守るため、昼夜問わず心を割いておられます。それにわたくし共のような世離れした者に、貴人のお世話は難しいかと存じますっ」

「こら、そのような無礼を……」

「事実でございます」


 ……私、この人になにかしたっけ?

 シャハナ老を心配するのはともかく、私にちらりと視線をくれた際に敵意を込められたのだけど、心当たりがなかった。シャハナ老は弟子を窘めたけれど、彼女の言葉はライナルトを納得させたのである。


「そうか。ではニーカ、誰か人を貸してもらえるか」

「手隙が何人かおりますので、そちらに夫人を守ってもらいましょう。天幕は予備を組み立てておりますが、ニルニア領の村で安全に過ごしていただく方法もございます」


 そっか。私は後は帰ればいいだけなのだから、これ以上ここに居座る理由はない。シャハナ老に診てもらうのも一日かかるわけでもない、のだけど……。


「……あの、お手間をとらせるのは承知しているのですが、滞在中はこちらに置いていただけるとありがたいです」


 転移に際してはシャハナ老を頼りにすることがあるかもしれないと説明すれば、あっさり許可が下りたのである。

 ほんの少し緊張感が緩んだ天幕内。ぬるくなってしまったお茶を啜ると、おもむろにライナルトが立ち上がった。

 置いてあった適当な肩掛けを取ると肩に掛けてくれたのだ。おかげであたたかさは倍である。


「向こうでは見慣れぬ服だったでしょう」

「あ、大丈夫です。ちょっと薄着ですけど、これはこれで楽しいというか。どうせなら髪も合わせたかったですね」


 ヘソ出しなんて珍しくはないけど、向こうでこんな薄着で歩いた日にはウェイトリーさんが目を剥いて走ってくるから難しい。それに私だってたまには弾けたいときがあるのだ。投獄は余計だったけど、見せる衣装って素敵だなってお洒落心に仄かに火が点いていた。着替えるのは惜しいとさえ感じていたし、格好なんて気にしていないと伝えたつもりだけど、なんだか複雑そうな顔をされてしまった。

 ……あら?


「……貴方が楽しんでいるなら構わないが」


 いつもみたくさっと流されると思っていたのに、想像していた反応と違う。それに……なんだろう。上着をかけてもらった際、シャハナ老のお弟子さんが微かな悲鳴をあげていたのを私は聞き逃さなかった。

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