224、転移を決めたわけ

 この状況には既視感がある。ファルクラムにいた頃、姉さんの名前を使って勝手をしたことを謝った日だ。あのときは意図的に頭を下げて出鼻をくじいたけれど、この時は違う。もう自然と身体が動いていた。

 色々と不可抗力だったけどさぞ迷惑をかけたのだろう。


「謝るよりも、なぜ帝都に残っているはずの貴方がここにいるかを説明してもらいたい」

「はい。ごもっともです」


 そして相手はそこまで優しくないのである。

 流石に皇太子が利用するだけあって天幕内は広い。驚いたのは奥まった位置にある寝台が木枠で組み立てられた本格仕様であり、仕切りと天蓋付きだったことだ。これをわざわざ運んできたのだから頭が下がる思いだ。

 その他にも床は絨毯敷きで机まで設置されている。いつでも食事ができるように新鮮な果物や飲み物、あまつさえお酒まで置かれている。主人が気持ち良く休めるよう心配りがされており、音が抜けやすい意外は住居と変わりない。周りを守る人達は厳選されているから機密漏れもないだろうが……。


「どうぞそちらに」


 ライナルトの向かいの席だった。座るなりお茶を出されたのだが、陶器の茶器で出されたのは驚いた。


「あれ、あのときの……」


 そしてお茶を出してくれたのは懐かしい顔である。とはいっても一度しか会ったことがないけれど、こちらはしっかりと覚えている。ファルクラム郊外の森にあるライナルトの別宅に勤めていた少年だ。いまや青年といっても差し支えない成長を遂げているが、面差しや雰囲気は変わっていない。従者らしく地味な出で立ちで、向こうは私が覚えていたことに驚いたようだ。ライナルトの前だから何も言わなかったけれど、目元は笑うと目礼して天幕を出ていった。


「……すみません、先にお茶をいただきます」


 身体が冷え切っていた。そっとカップを取ったけれど、そこで思い出したのは手首の痛みだ。そういえば落下の衝撃で打撲した挙げ句、あちこち傷めていたと思い出して溜息が漏れる。


「ニーカの報告では見た目に傷はなかったようだが、どこか異常が?」

「落下の際に手首を少々。……数日置けば直るでしょうからお気になさらずに。無作法は晒すでしょうがお見逃しください」


 会話には問題ない。喉を通る温かいお茶は染み渡るようであり、安全地帯のありがたみを実感した。エルタベルデで安心して周囲を観察できたのはニーカさんがいてくれたおかげであり、ひとりでは不安でたまらなかったのだから。

 ライナルトはうまく取り繕い態度は柔らかいが、まだ怒っているのは変わらない。彼をこれほど怒らせたのははじめてではないだろうか。ぽつぽつとこうなった経緯を説明すれば次第に怒りも静まったが、転移の件はモーリッツさんが了解済みであるとの言葉が効いたようだ。だが今度は別の悩みを抱えたらしく、ニーカさんなど痙攣するこめかみを押さえ、固く唇を結んでいる。


「……あれがまたしでかしたか」

「予期できませんでした。すみません……」

「謝る必要はない。聞けば貴方にはどうしようもない問題だったと言うほかないが、転移した場所がいささか問題だ」

「大変ご迷惑を……ニーカさんに気付いてもらえなかったら、今頃どうなっていたかわかりません」

「……エルタベルデは魔法使いや向こうで言う呪い師の都入りを固く禁じている。ひとつ間違えば首が飛んでいただろうから運が良かった」


 ……まっさかぁ! と笑い飛ばせないのが怖い話である。


「しかし何故エルタベルデ内部だったのか疑問が残るな」

「シスのことだから都市内にライナルト様がいると思ったのかもしれません。それで転移先にずれが生じたのではないかと……思いますが……」


 このあたりは憶測に過ぎないからまったく自信がない。そもそも送られた経緯が不可解すぎて説明しきれる話ではないからだ。話すべきことはまだあったのだけど、ここでいったんストップがかかった。


「シスが何も言わず貴方を送ったのならば、急がねばならない事情があったのあろう。いますぐ聞くべきだが、ちょうど間に合いそうなのでな」

「間に合う……?」


 なんのことだろうと首を傾げていると、天幕の外から声がかかった。誰かライナルトを訪ねてきたのである。


「長老シャハナでございます。殿下、お呼びと聞きましたが、もしや話に聞いた魔法使いの件、あれに進展があったのでしょうか」

「そうだ、手間をかけさせる」

「必要とあらば参じるのが我らの務めでございます」


 ……今日は予期しない人物と会う日らしい。入ってきたのは明らかに魔法使いと思しき外套を羽織った中年の女性だ。中肉中背の穏やかな面持ちの魔法使いは――エルが亡くなった後、魔法院で私に治療を施してくれた人である。


「えっ、なんで?」


 素っ頓狂な声を出す女の子……帝国魔法院の長老シャハナの助手にも覚えがあった。どちらも魔法使いとわかる格好だ。

 お互い驚きで固まっていたのだが、困惑を隠せないのは私や助手の子ではなく、長老シャハナである。まん丸に見開かれた瞳が私を見るなり唇を半開きにしたのである。


「お待ちくださいませ、なぜ……」

「師匠、どうなされたのですか」

「なぜ、コンラートの……いいえ、それよりも、その方はただの一般人だったはず。魔法使いではなかった。魔力など欠片も感じなかったのに、それがどうしてこんな……」

「シャハナ、彼女が以前話した『箱』を壊す鍵だ。納得いただけたかな」

「この方が……? そんな馬鹿な、いえでも……」


 動揺と恐れが入り交じった視線を向けられると座り心地が悪かった。それら全てを一刀両断したのはライナルトである。


「後でで構わんが、腕と、手首を看てもらえるか。傷めているようだから治せるならば頼みたい」

「……かしこまりました。」

「腕は私同様に紋様が入っている。後でで構わん、状態を見てもらえるか。……それと『箱』による転移を行ったらしい」


 この一言に息を呑み、恭しく頭を垂れたのである。

 どうやらライナルト、ニーカさんから私がエルタベルデにいると聞き、昔シスから聞いていた『転移』の話を思い出したらしい。私が魔法を使うと不調をきたすとしっているから看てもらうべきだと考えたのだろう。

 話は終わったように見えたが、彼は長老を帰す気はないようだった。それどころか同席を望み、続きを促してきたのである。

 ……ここで少し躊躇ってしまったのだが、この迷いを見抜けないライナルトではなかった。


「クワイックと魔法院の関係は理解している。ゆえにシャハナ老との関係を話すのは見送っていたが、こうなってしまえば明かすほかない。シャハナ老一派は私に忠誠を誓った」

「そちらの……シャハナ様がライナルト様の……」

「今回はもしもの事態に備え同行している」


 魔法使い、しかも魔法院の長老格が同行しているとは知らなかった。ああいや、もし調べたとしても魔法院の話なんてほとんど漏れてこないからわからなかっただろうけど……。もしかして郊外に天幕を構えているのは、エルタベルデに魔法使いが入れないため?

 ここで長老シャハナには改めて自己紹介を受けた。彼女は魔法院を束ねる長老の一柱であり、今回は助手と一緒にライナルトの助けとなるため同行したのである。


「ライナルト様に必要なのでしょうから、魔法院との関係にとやかく言うつもりはございません。ですがどうしてこちらの方々に腕を見せろとおっしゃるのでしょう」

「確かに貴方が教えを受けているあの二体は誰よりも腕が立つ。特にクワイックの遺品は貴方のためを考えているのも理解しよう」


 ただ、とライナルトは付け足す。

 

「が、所詮は人ではない存在だ。その感性は人にしてみれば危うい」

「……せめて同じ人間に看てもらえと言いたいのですね」


 ……こういう所が、ライナルトが根本的に神秘を疎んじているといわれる所以なのだろう。いまはルカやシスもいないから、なおさら言いたい放題。この口ぶりからして、彼自身は大分前から他の人に自身を教えていたに違いなかった。

いまは羽織った上着でうまく隠しているが、ルカと私の繋がりを示す紋様はいまだ上腕部に入ったままである。これがエルの遺品であり『箱』を壊すための証拠であった。


「……魔法院の長老方は『箱』を壊されては立ち行かないはずなのではないですか。それがどうしてライナルト様にお味方するのです」


 助手の女の子は若くもあったが、同時に師を信奉しているのだろう。長老を信用できない私にむっとした面持ちになったが、これを窘めたのが長老シャハナである。


「お言葉はごもっともでございます。魔法院は長らく『箱』を必要としており、帝都の守りには欠かせない存在でした。……ですがわたくしは殿下の忠実な僕であり、いまや『箱』を壊すことに否やを唱えるつもりはないのです」

「……クワイックを見捨てることに後悔はないと言っておられましたが」


 ……恨みがましくなってしまった。ああ、こんなこと言うつもりはなかったのに、まったく修行不足だ。非難めいてしまったが、流石に相手は長老。毅然と言い返したのである。


「無論、その点は後悔しておりません。あのときは最善の判断をくだしたと考えております」

「あのときは、とおっしゃるには状況が変わったと?」

「その通りです。ですが同じく魔法を絶やさんと志した同志であり、貴女様の御友人を裏切ったと言われてしまえばそれまで。人と人との繋がりを軽視するつもりはありません。そしりは甘んじて受け入れましょう」


 ただ、と彼女は付け加える。


「いまは同じ方を主君と認める立場でございますれば、疑われるのは心外でございます。こうしてわたくしが同行しているのも、ひとえの殿下の信頼があればこそでございましょう」


 直接「紹介してきたライナルトの顔に泥を塗るな」と言わないのは、この人なりの気遣いなのだ。

 ……思考を切り替えよう。そもそもライナルトは様子を見て紹介を避けていた。事情はどうあれ迷惑をかけた挙げ句、押しかけたのは私の方なのだ。

 

「失礼いたしました。では、後ほどでございますがお願いいたします」

「かしこまりました。コンラート夫人の優れたご判断に深く感謝いたします」


 こうやって大人の付き合いが完成されていくのである。

 そして、話の腰を折ってしまったが本題の続きだ。

 間にエルタベルデに飛ばされるという事態が発生したが、元々私はこのためにシスに送られたのだ。紆余曲折を経てようやくこの任をこなせるのである。

 深呼吸を二回行ったのは、この一言を伝えるのはとても勇気を必要としたからだ。


「シスからの伝言です」

 

 ――よし、言うぞ、言ってしまうぞ。回りくどく……は、やめよう。こういうのはわかりやすく端的に伝えるのが大事なのである。


「皇帝陛下とヴィルヘルミナ皇女が同盟を結びました」


 そのせいで私は心臓が止まりかけたのだけど、本題を伝えるのにこれほどわかりやすい言葉はないのであった。

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