190話 内から羨望するだけで

 ルカのでたらめな鼻歌が狭い馬車内に響く。

 はしゃいでいるのは幼い女の子で、相手は謎の魔法生物ルカである。


「ねえマスター、あそこの人間が地面に座ってるわ。広げて売っているのは装飾品だから、あれが露天商っていうものよね? ワタシ、あれからなにか買いたいわ!」

「そうねぇ、全部終わったら買いに行っても……」

「駄目にきまってるだろ。きみの顔は知ってるヤツには彼女を連想させる、見られたら面倒だ。却下だ却下」


 少女の好奇心を真っ向から潰すのは、反対側に座るシスだ。むくれた不機嫌顔で、しかしルカの方は見ようともしない。目に入れるのも不愉快といった様子を隠さないのは、出会い頭ルカから無下な態度を取られたのが原因だろう。

 いま私の膝の上に座って、肩に黒鳥を乗せながら一人と一匹は窓から外を眺めてあれやこれやと騒いでいるのだ。ルカは外の世界を初めて目の当たりにするのか、予想以上に喜んでいる。彼女の喜びに応えるように、黒鳥もぱたぱたと羽を動かしているのだけれど、浮かれていると感じるのは気のせいではないはずだ。


「ねえルカ、窓際がいいなら譲るけど……」

「なに言ってるのよ。私の身長じゃ外が見えにくいじゃない、大人しく椅子をしていてちょうだい」


 なお、ルカは私の膝の上に乗っている。

 どうしてこんな状況になっているのか、説明すると時間はちょっと前に遡る。私を媒介して登場したルカは、驚きや警戒を露わにする周囲をものともせずにライナルトを呼びつけた。シスがルカの正体を見抜いたから騒ぎにはならなかったものの、エルの面影を残す少女には驚いたようだ。

 同時に陰から黒鳥がポンとわきあがりルカにじゃれはじめるとライナルトが姿を見せたが、少女はライナルトの顔をまじまじと見つめてこういった。


「実物はいっそういかにも腹に一物抱えていそうな男ね! でもそこのろくでなしよりはまとも……いいえ、やはりどちらも関わりたくない人間ね!」


 場が一瞬にして凍り、私の胃はキリキリと痛みはじめたのである。


「……なんだいこの失礼な子は。正体が正体じゃなかったらいまごろお尻を叩いてるところだ」

「…………ハッ」


 シスに対しても、ルカは鼻で一笑するばかり。悪口には慣れていても明らかに小馬鹿にされるのは不快なのか、シスは早々にへそを曲げてそっぽを向いていた。

 一方のライナルトはルカの前に跪くと、胸に手を当てて尋ねた。


「お初にお目に掛かる。貴女の正体にはおおよその見当がつくが、どうか名前を聞かせてもらえないだろうか」

「こちらはろくでなしと違って礼儀はあるのね。……ワタシはルカ、貴方たち待望のエルネスタの遺品よ」

「お会いできて光栄だ、ルカ」


 確信犯の割によく言うものである。ライナルトは彼女の性格を探っているのか、下手な態度は機嫌を損ねるだけだと早々に悟ったようだ。視線の高さを同じにして、見下さないよう気を使っている。


「今日は貴方たちが気にしてやまない件について直接お話に来たのよ。ワタシは焦る必要はないのだけど、マスターが気にするから仕方なく出てきてあげたの」

「聡明な判断に感謝しよう。ところでマスターというのは誰のことだろうか」

「カレンよ。古い言葉で主と指す言葉だから、深くは気にしないで」

「了解した」


 おお……。ルカの心持ちも良い感じに向上したようだ。

 

「先ほどカレンが倒れ何事かと思っていたが、貴女が関連しているのだろうか」 

「そうよ、さっきはマスターとお話がしたかったから眠ってもらったの。驚かせたらごめんなさいね?」

「それは構わない」


 構わないんだ。

 しかし、とライナルトは続ける。


「倒れた向きがよかったから問題なかったが、位置が悪ければ煉瓦の角で頭を打っていただろう。貴女もカレンが永久の眠りについては困るだろうし、できれば唐突な昏倒は避けるよう願えないだろうか」

「ああ、そうね。マスターが死んじゃったら大変だもの、善処しましょう」

「感謝する」

「ところでワタシ、こんな風に現界するのは初めてなの。立ちっぱなしも疲れてきたのだけど、案内してくださらないかしら」


 黒鳥はしきりにルカに頬ずりして、ちょっぴりうざったそうである。当の鳥は、ライナルトとルカに挟まれて大変ご機嫌のようだが……。

 ルカに請われ、客室を手配しようとしたライナルトだが、そこでルカが一言添えた。


「ここって堅苦しい人間しかいないのよね。せっかく表に出てこれたのだもの、ワタシ、マスターの家でお話ししたいわ」

「宮廷の外であれば、私の館でも貴女をもてなすだけの準備は整えられるがどうだろうか」

「やぁよ。ワタシ、たったいまマスターの家でお話しするって決めたんだもの」


 どうやら決定事項のようである。

 結局ルカの言うとおりうちにルカを初めとしたライナルトを招くのが決定したのだが、これにはゾフィーさんが気を利かせてくれた。彼女が先駆けて家に戻り、ウェイトリーさんに報せに戻ってくれる手筈となったのだ。話し合いは長時間に及ぶだろうし、そうなれば当然夕食もうちで、となる。料理人のリオさんに負担がかかるだろうし、彼女の申し出に甘え、先に家に戻ってもらったのであった。

 なお出発の間もひと悶着あった。ライナルトは窓が小さめでレースで目隠しされた馬車を手配してくれたのだが、ルカは外が見えないから嫌だといって窓の大きな馬車を用意し直させたのである。乗り込むためにステップを上がる際は、私の服を引っ張って催促した。


「貴女が運んで。ワタシの身体ではこの段差は高すぎるし、なにより初めての身体だからバランスが取りにくいの」

 

 これに反応したのは、嫌々ながら同行せねばならないシスである。『箱』の破壊に関する以上彼も同席せねばならない。ルカにいないものとして振る舞われる彼は、先にコンラートの家に向かおうとしたようだが、途端少女に叱られたのである。


「ワタシだってお前みたいな気持ち悪いものなんかに傍にいてほしくないけど、いてもらわないと様子を探れないのよ。現物がいないと検分の時間が延びるの、おわかりかしら?」


 こう言われてしまっては逃げるにも逃げられない。ライナルト、シス、ルカと私で相席となったのである。

 

「変に人間っぽく振る舞ってるから余計な手間を取るんだ。いちいち運ばせるなんて手間を取らせず、飛べばいいじゃないか」

「貴方馬鹿ね。マスターの魔力の低さにも気付けないの? いまこうしている間も貴方の解析に貴重な魔力を割いているのに、少しでも節約しようって気遣いも見抜けないのかしら」

「……彼女に適性がないのは私だって把握している。だったらはじめっからボクを選べば良かったんだ」

「しないだけの理由があるのよ、察しなさいボンクラ」


 この二人、どちらも己が優れていると信じているから互いに譲る気がなく、そのため非常に相性が悪い。ルカが要であるためかシスは強気にでられないし、ライナルトはそんな彼を物珍しそうに眺めるだけで仲介は期待できないだろう。

 ともあれ、お姫様が望むなら私は彼女を運ぶだけだ。そう思っていたら、ライナルトがひょいとルカを持ち上げたのだ。

 

「あー!? この唐変木ー!」


 悲鳴が上がったが、おかまいなしに馬車に乗り込むので、ルカには手出ししようがなかった。こうなってしまえば私も乗り込むだけと追いかけたら、そこで膝を所望され、椅子代わりになったのである。


「マスター、マスター、ねえ。あの人間が持ってるのは果物よね、うちでもアレが食べたいわ。買ってきてくださらない?」

「リオさんなら揃えておいてあるかも、色々な果物を出してもらいましょう」

「猫ってどんな触り心地なの? 貴方はよくシャロの背中に顔を埋めてるけど、ふわふわしてるってどんな感じなのかしら。舌で舐めているのにお日様の匂いがするなんて、貴方の嗅覚は大丈夫なのか心配してたのよ!」

「も、もうすぐしたら触れるから。クロはこど……あなたくらいの見た目の子が好きだから、きっと触らせてくれるし。でもあんまり他の動物にはしゃぐと、ほら、黒鳥が嫉妬……して……」


 ほらほら、ほんのり悲しそうにライナルトにくっついちゃったし。

 彼女はこちらにおいてもライナルト達にとって知らない言葉を平然と使うが、それは彼女が特別だからと流しているようだ。それはそうと家での私の行動をばらすのはやめてもらいたい。


「席を柔らかくしても意味がないと思ってたけど、やっとわかったわ。こんなに揺れるならお尻が痛くなっちゃうから、綿を詰めないといけないのね」


 私の予想を超えてルカは色々喋る。知識はあっても実物を触るのがはじめてだから、どれも新鮮なのだろう。しまいにはライナルトの髪を引っ張って遊びだしたときは流石に肝が冷えた。

 コンラートでは、ゾフィーさんの努力もあってすでにお迎えの準備はできていた。ウェイトリーさんやクロードさんはエルの面影を残した少女にも揺るぎなく対応し、小さなお客様のために準備されたのは広めの応接室。ルカはわざわざウェイトリーさんのお茶を希望したのである。指名されなくったって歓待はウェイトリーさんが立つから必要ないのだけれど、きっとルカなりのこだわりがあったのだろう。

 彼女のためにクロを連れてきてもらった。ルカがヴェンデルの頭を「いい子ね」と撫でたけれど、無難に「ありがとう」のみで済ませたヴェンデルが本日の最優秀賞かもしれない。


「乾燥させた林檎をもってきて。ワタシ、お茶にそれを浮かべてのんでみたいの」


 この一言は、ウェイトリーさんのみならず私も驚いた。乾燥させた林檎を浮かべて香りを出す飲み方はエルが好んでいたからだ。

 ルカが無事希望を叶え、クロ以外の家人が退室すると、ルカはそれまで浮かべていた無邪気さを変化させた。シスにしたらようやく本題に移れるのだから、やっとか、とうんざりとした様子である。


「マスターにはいくらか話をしたけれど『箱』の破壊方法についてワタシの見解を述べましょう」


 私も聞いた話を彼女は説明するのだが、地下遺跡を作った者や言語解析のくだりは上手に伏せたのである。それよりも精霊を燃料にするといった下りがシスの怒りに触れたらしく、いくらか悪態を吐いたのである。


「そんなことしてるから神秘がこの世から消えていくんだ。案外精霊がこの世を去るってきめたのもそいつらのせいじゃないか」

「真実なんてどうでもいいわよ。それより重要なのは、ワタシは確かにいくらか『箱』を壊す方法を考えている。その中で一番成功率が高いものを提案するつもりだけど、どれにしたって一番重要な問題があるわ」


 それが深刻な魔力不足である。これは『箱』の破壊では絶対に避けて通れない問題だそうだ。


「マスター一人で補えない。一応魔力を集める方法だけなら解決策はあるけれど、ほとんど行き当たりばったり……確実性が足りないし、マスターの命に関わるからワタシはこの方法は避けたいの」

「……横から口を挟んで申し訳ないが、遺跡も破壊せねばならないのだろうか。先んじて『箱』を破壊するだけでは難しいと?」

「箱と遺跡は連携しているし、どちらか片方なんてもってのほかだわ。そんなことをしては、おそらく機能不全を起こしてなにかしらの影響が出るでしょう。間違えば帝都に人が住めなくなるわよ。ライナルト、貴方には大量の流民を移せるだけの土地は用意できて?」


 二つは切っても切れない存在のようだ。ルカが確証を持って言えないのは遺跡が強大すぎるためで、現状は『箱』についてだけを抜粋して調べている最中だからである。もし全容を把握したいのであれば、膨大な時間がかかると彼女は述べた。

 ライナルトも国の崩壊は避けたいようで引き下がると、ルカはこう続けた。


「問題はもう一つ。ワタシはもうマスターを宿主としたから離れるのは難しい。それはろくでなしでもわかるでしょうけど、彼女を経由して魔法を使わなきゃいけないから、負担が大きいの」

「ああ、きみとカレン嬢は根底で絡まってる。たしかにそれで魔法を行使するなら、いくらか影響が出るだろう」

「そう。だから少しでも魔法が使えるようにマスターを鍛えている最中だけど」


 待ってそれは初耳。


「優先すべきは魔力を集める方法よ。貴方たち、どこかの魔法使いから適当に魔力を集めて来てくれないかしら。それかどこか肥沃な土地よ、そこの地力を吸い上げればいくらかましになるわ」


 さらっとすごいことをおっしゃるルカさん。しかし集めるといっても簡単にはいかないようで、二人とも易々とは頷けないようだ。

 ライナルトは土地を模索しているのだろうか、シスも黙って思案していたが、やがてぼそっと呟いた。


「ボクの目を移植するのはどうだろう」


 …………お待ちになって??

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