165話 すやすや黒鳥

 黒鳥は片手で持てるくらいの大きさで、試しに両手で挟むように押してみるとゴムまりみたいに弾力があってどんどん細くなるのだが、苦しそうな気配は一切見せない。それどころか眠りを継続するだけで、最終的にかなり細長くなっても目を覚まそうとはしなかった。内臓といった中身が入っているのか怪しいところである。


「……ジェフ。ちょっと具合が悪くなってきたので、お医者様を呼ぶように伝えてもらえますか」

「部屋に戻られますか」

「いえ、報告を聞いてからにします」


 まずは寝込んでいる間、貿易関連の進捗状況がどうなったかを確認した。香辛料事業に関しては早々に進めたい者が多いようだし、こちらはうちの主力なのもあって人員を割いている。滞りなく進んでいるようだ。


「それとカレン様に面会を求める声が多くございます。大体は巷の噂を聞きつけた者が大概ですな。いまは伏せっているというのもあってお断りしておりますが、すべてを断るわけにはいかないでしょう」

「回復したら何名かはお会いしましょう。大体の選別を任せてもよろしいですか」

「かしこまりました。マルティナとわたくしで行っておきましょう」

「いえ、マルティナにさせてみて。帝都住まいが長いなら大体のお家は耳に入っているでしょうから、そう間違えはしないはず。その後は私が確認して、ウェイトリーさんは最終だけお願いします。それと貿易が始動したらいくらか手が空きはじめる人がいますよね。ウェイトリーさんの補佐に回してください」


 そろそろウェイトリーさんに並ぶ秘書官を雇いたいのだが、名が売れたいまなら優秀な人物をスカウトできるだろうか。何気にジェフが手伝っていたりもするけど、会談とかに出せはしないからなあ。


「……ファルクラムが問題ないようなら早々に引き上げたいけれど、こればかりはね」


 向こうにはオーバン、バラケといったウェイトリーさんと親しい文官を残している。向こうでも人を増やしているはずだから、できればこちらを助けてほしいのだが……。

 徐々に人を雇いつつあるが、人員不足は否めない。そのうえコンラートが急激に台頭してきたから、フゴ商会はうちに潰されたのだといった噂もあるようなのだ。これが多少やっかいで、本来スカウトしたかった文官が他に流れた。フゴ商会と親しかったようで、うちには下れないと断られてしまったのである。もちろんフゴ商会に雇われていた全員が全員噂を信じているわけではないが、ほしかった人材が流れたのは痛手である。

 これに関しては、他商会による妨害もあるだろう。急成長しつつあるコンラートをよく思わない者も多い。


「横の繋がりが強い人がほしいなあ。……今度モーリッツさんに相談してみようかしら」

「よろしいかもしれませんな。ただ、アーベライン殿がどこまで期待に応えてくださるかはわかりません」

「それならイェルハルド様ならどうかしら。武家だけれど、商家には個人的に伝手をもっていらっしゃると思うの」


 主に食材の仕入れで。

 

「バーレ家の紹介でしたら断る者もいないでしょうが、大丈夫でしょうか。ご厚意におすがりするのはともかく、我が家ではバーレ家にできる礼が少ない」

「そこは考えてみます。だけど一番はリオさんと相談して、あとは仕入れてくれる食材次第かしらね」

「それは?」

「秘密です。……というのは冗談で、現物を見てみないとなんとも言えないかも」


 イェルハルド老とは食の好みが似ているという共通点がある。仕入れた食材調味料によっては、私の知識を持って、こちらにはまだない料理を提供できるはずだ。ついでにイェルハルド老と語らえば新しい食の道が開けるかもしれない。至れり尽くせりである。

 他にも細々した話を済ませると、エレナさん達を呼ぶため一旦休息となった。私も一度お手洗いと称して席を立ったが、その前にマルティナの元へと向かった。ご飯を食べたらふらつきも落ち着いたし、やはり食は大事である。

 二階にあるウェイトリーさんとマルティナの仕事部屋だ。机には書類が並び、本棚にはこちらに来てから買い求めた書籍がずらりと並んでいる。

 

「カレン様? お呼びくださればわたくしから向かいましたのに」

「マルティナに聞きたい事があって、あまり他には聞かせたくない話なの」

「なんでしょうか」

「ウェイトリーさんについてよ。最近咳があるようだけど、医者にはかかっている様子はある?」


 仕事を共有する関係上、日中のウェイトリーさんと一番接しているのはマルティナのはずだ。私の問いに数秒考え込んだ彼女は首を横に振った。


「たしかひと月ほど前にお医者様に行かれて、それきりです。進言はしていますけれど、いずれもそのうちとお答えになるばかりです」

「今日のウェイトリーさんの予定はわかる?」

「西ブルハーン商会傘下の方々と会談のご予定ですが……急ぐ用事ではございませんね」

 

 私の言いたいことを察したのか、マルティナも了解の眼差しで頷いた。


「わたくしからお返事しておきましょう。それにいまからであれば、他の方に連絡を入れて向かっていただくのも可能です」

「できるかしら?」

「お手すきの方はいらっしゃいますし、調整はつくでしょう。貿易に関しては先生だけが関わっているわけではございませんし、相手も大きなところではございませんから話は可能です。それに、いまの当家でしたら先生でなくとも問題はありません。必要でしたら後日お詫びの品を手配いたします」


 家の力関係をさらっと言ってのける辺り、マルティナも段々とウェイトリーさんに染まってきた感じがする。

 

「お願いしてもいいかしら。このあとお医者さまに来ていただく予定だから、ウェイトリーさんには診察を受けてもらって、今日は休んでもらいたいの」

「かしこまりました。お任せくださいませ」

「あと、マルティナは……」

「わたくしはしっかりと休息を挟んでおりますので、ご安心くださいませ。家の方も弟妹や叔母が協力してくれているので、滞りございません」


 マルティナはウェイトリーさんに指導を受けているためか、先生と呼ぶことも増えた。ウェイトリーさんも照れくさそうではあるが、満更ではない様子である。

 マルティナも慣れぬ仕事は大変そうだが、血色も良く、穏やかさの中には働く女性特有の活き活きとした光があった。


「ところでカレン様、その頭の上の鳥のようなものは……」

「これは気にしないでね。持ってこないとシャロに狙われるから」

「上手に乗っていますね。それにこころなしか誇らしげで……」

「さっきは肩から転がり落ちたのに、なんでかしらね。本当によくわからないわ。あ、これは秘密にしておいてね」

「どなたであろうと他言はいたしません。それよりカレン様も病み上がりです、顔色もよろしくありませんし、早くお休みになってくださいませ」

「ありがとう。あとでゆっくり休ませてもらうから」


 いまは収まりがいいようで、頭部に座り込んでいるようだ。ちなみに熱くも冷たくもなく、何か乗っているくらいの感覚だ。

 さて、肝心の用事は終わらせたし早く報告類を済ませてしまおう。マルティナの言うとおり、具合が悪いのは嘘ではないのだ。

 二階から戻ると、使用人さんによってお茶のお代わりが用意されていた。今度はエレナさんやヘリングさんも招いての続きである。

 ライナルトからの伝言をヘリングさんは持っていた。以下、裏庭でジルと遊ぶエミールを眺めながらの言葉である。

 

「殿下は夫人を気にされていました。流石に目を覚ますまで滞在するわけにもいかずお帰りになられましたが、回復された暁には一度見舞わせていただくとのことです」

「ありがたいお話ですけれど、殿下にそう何度も来ていただくわけにもいきません。動けるようになったら、ライナルト様が来られる前に私から伺うべきでしょうね」

「本来ならそれがいい、とお答えするべきなんですが……」


 ヘリングさんは悩ましげだ。皇太子が易々と出歩く問題、配下として反対するだろうと思っていたから意外だったが、答えは奥様の方からもたらされた。

  

「カレンちゃん、いまはちょっとした時の人ですからね。あちこちからお誘いがかかってもおかしくない状態です。人によってはお断りできませんから、行くなら覚悟した方がいいですよ。ちなみに昔、戦で功績を挙げた先輩が宮廷に上がったときがあるんですが、あまりの『挨拶』の多さに帰ってからお酒を浴びるように飲んでました」

「……そのくらい?」

「先輩の場合は立場上お断りできないのもあったんですけど、そのくらい」


 真顔でこっくり頷くエレナさん。

 状況によっては皇帝へ顔出せ! と言われる可能性もあるようだ。うん、それはちょっと体調含め万全でない限りお断りしたいな。


「……少し考えますね。それとエルの両親の件ですが」

「そちらはモーリッツから聞いています。知っている商隊があったので、うまく誘導して同行させる事に成功したようですね。それと名前は変えたようです」


 クワイックの名の方が知れ渡っているけれど、念には念を入れたようだ。現時点ではファルクラムに帰る意思を見せていないようで、夫妻共にどこに行くか迷っている最中だという。確かに帝国で反逆を起こそうとした者の名はいずれ伝わるだろうし、そうなるとエル=エルネスタと至る人も出てくる。ファルクラムに戻っても居づらいだけだろう。

 幸いにもモーリッツさんが手を回した商家が親切だったようで、良い町があったら口を利いてくれるようだ。


「エルの家はどうでしょう。もう他の人に渡ってしまいましたか」

「いいえ。第一隊が所有権を有しているようで、家も保存されている状態です。立ち入りたいなら一隊に交渉するべきでしょうね」


 これはまだ「捜し物」を続けているということだろうか。なんにせよ腕の紋様や黒鳥は隠し通すべきである。

 家の中の物に手を加えられていないのなら、いつかエルの両親がどこかの町に落ち着いた暁に可能な私物は返してあげたいところだ。

 それにエレナさん夫妻に加え、色々な人にお礼をしに行かねばならないだろう。


「……あら。そういえば、すっかり忘れていたけどマリーは?」


 ごめんマリー。忘れようと思って忘れていたわけではないのだけど、色々ありすぎてすっぽり頭から抜けてしまっていた。これはウェイトリーさんが教えてくれる。

 

「マリー様でしたら、あの日は歩けるようになったらいいと言い残され、お帰りに。そのうちお茶を奢ってもらうと言伝を預かっております」

「お茶だけでいいのかしら」

「随分心配されていましたから、元気なお顔を見せるのがなによりかと。お時間ができましたら、とっておきの菓子を振る舞えば喜ばれましょう」


 そして私が動けなくなったあの日、彼女が訪ねてきたのはなんとマルティナのお陰であった。以前エル、そしてマリーとお茶会を開いたことがあったのだが、その際マルティナが一度見かけただけの私のいとこの存在を覚えていた。偶然町で見かけた彼女に声をかけたところ、憤慨したマリーが乗り込んできたようだ。

 あのときはマルティナも私を気にしてくれていた。だが他人のマルティナより、多少なりとも知り合いであるマリーから発破をかけたほうがいい。これがウェイトリーさんから聞いたマルティナの判断らしかった。

 マリーはずけずけと物を言うけれど、情が薄い人ではないと見抜いていたようだ。案の定翌日には駆けつけてくれたので、ウェイトリーさんの言うとおり近々お礼を考えなければならないだろう。


「髪ですけれど、心労が祟った末に白髪になってしまったといたしましょう。これから元通り生えてくるかもしれませんし、染めていては手間がかかりますから」


 髪については様子をみていくしかないのでこれで良しとしよう。きっと根も葉もない噂が立つのだろうが、そこはもう放置するしかない。


「帝都内の様子はどうでしょう」

「そっちは大人しいものですよー。カレンちゃんが……早々に収めたのもありますけど、一隊の動きが速かったですから、表向きは事態も収拾してます」


 裏では帝国に対する反逆の心得ありと疑わしき市民等が投獄されているようだ。その人達が帝国に対し二心あるのかは不明だが、少なくともエルを言いがかりにした逮捕劇なのは間違いない。一隊に捕まっては無実の証明は難しいとエレナさんはしかめっ面を隠さなかった。


「いい機会だからと邪魔者を片す目的もあるでしょうしね」


 皇帝カールがこうした活動で敵対者を排除しているのも、もっぱら有名な話のようだった。


「他にも話したいことは多々ありますが、今日はここまでとしましょう」

「そうですねー。寝起きに難しい話を詰め込んでも疲れるだけですから、小まめに休まないと」


 ヘリングさんはライナルトの元へ出かけるようだ。お休み中なのにいいのだろうかと思ったけれど、このぐーすか寝ている黒鳥の件があるし、知らせないわけにはいかないのだろう。

 ライナルトへの伝言を尋ねられたが、これが特に何も浮かばない。

 

「では、ご迷惑をおかけしましたとお伝え願えますか」

「それは殿下が言いたい言葉だと思いますよ」

「そうそう。どうせなら迷惑料を請求したっていいんですよ」

「エレナさん……」

「くれますよ、きっと。それに殿下が人並みに振る舞う相手はカレンちゃんくらいです。今度も気にかけてるようですから、宝石くらいばーんとくれますって」


 流石に難しいんじゃないだろうかと思うのだけど、なぜかヘリングさんまで苦笑するばかりで否定をしない。


「エレナさん、ライナルト様は冷たいばっかりの人じゃないってご存知でしょう。意地悪なこと言ったらだめです」

「もちろん知ってますよぉ。だけど、それ以外の面ってことです。ところでその鳥ちゃんに名前は付けないんですか」

「まだ正体もわかってないんですよ」

「でも可愛いんでしょう。さっきからずーっと手でにぎにぎしてるじゃないですか」

「それは……感触が面白くてつい……」


 こうして事態は再び動き始めたのだが、その手始めとして届いたのは宮廷からの報せである。内容は皇帝陛下による直々の褒賞授与と皆が予想していた展開だが、これがまた様々な再会と波乱の予感をもたらしたのであった。

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