161話 遺されたモノ
ジルを連れてきたエミールはどこか不安そうな面差しだった。そんな大好きな飼い主につられてか、ジルの尻尾も下がり気味である。
「ありがとう、待たせてしまってごめんなさいね」
「いえ、姉さんのお声がけですから……」
ここでジルはともかくどうしてエミールまで待たせたかといえば、もちろん弟の話題もあったからだ。
「ライナルト様、一つ折り入ってご相談があるのですけれど」
ライナルト、エミール共にまさかの話題に些か驚いたようだ。それはそうだ、先ほどまでエルが残した物について話していたのだから、話題違いにも程がある。けれどライナルトも空気を読んでくれるので、いちいち突っ込みはしない。
「こちらにいる弟のエミールはご存知ですよね。おかげさまをもちまして現在は学校に通っています。勉学よりも運動が好きなようですが成績も優秀だと聞いておりまして、もしかしたら剣でも習い出すかもしれません」
「武芸に興味があると。……確かに健康そうな若者だ、貴方に似なくてよかったとみえる」
「皮肉ですかと言いたいところですが……。ええ、こればかりは賛同せずにいられません。なんにせよ、喜ばしい限りです」
ライナルトの余計な一言はさて置いて。
「それで弟なのですが、実はそちらの犬を拾ってまいりまして」
「ほう」
「番犬にするつもりで飼い始めたのはよかったのです。わんぱく盛りで可愛い子なのですが、いささか人が好きすぎてどんな方にでも尻尾を振ってしまう有様。そこが愛らしいのですが、我が家や弟の隣を守るにはいささか心配でもあります」
大きいようで、まだまだ子犬の域が抜けない子だ。そこがまた可愛くて堪らないのだけれど、いかんせん予想以上に全員が可愛がりすぎた。
拾った時はあまりわかっていなかったが、手足の大きさからしてまだまだ身体が大きくなる。家人は使用人含めペットを飼ったことはあっても、番犬としてのしつけをしたことはないのだ。見よう見まねで教えることはできても、とてもではないが正しい訓練などできない。先の話にはなるけれど訓練士を紹介してもらいたい旨を伝えたのである。
この頼みにライナルトの返答は数秒も必要なかった。
「ひとり良い訓練士を知っている。犬専門というわけではないが、そこでよければ紹介できるが……ニーカ」
「かしこまりました。話を通しておきましょう、おそらく問題はないはずです」
「ありがとうございます。できれば弟にも見学させたいのですが、ご考慮いただけると助かります」
「弟君も?」
先ほどからびっくりし通しのエミールも更に目を丸めている。
「ジルは我が家の子ではありますが、なによりこの子の相棒ですから正しいしつけ方も学ばせておきたいのです」
ジルは誰にでもなつっこい性格とはいえ、一番懐いているのはエミールである。やはり最初に拾ってくれた恩人を忘れていないようだ。万が一、弟に危険が迫ればジルはこの子を守ってくれるだろうが、そのジルを制御できるのはエミールである。
将来について考えていた件のうちのひとつをここで出した。すんなりと解決に向かうようだが、エミールは大事な相棒犬について一言物申したいようだ。
「姉さん、ジルが人懐っこいのは確かですがちゃんと人を見る目はあります」
「言いたいことはわかります。あなたがジルを、ジルがあなたを大事に思っているのも知ってるけれど、だからこそちゃんとした訓練を受けさせたいの。それに犬を飼うのははじめてなのだから、せっかくなのだし学びなさい」
このままだとやんちゃ過ぎる甘えん坊になるのは目に見えている。いますぐにとは言わないけれど、折を見てきちんと訓練をしなければ。
ここで、ちょっとばかりわざとらしい溜息を吐いた。
「そういえば玩具を隠すようになったと聞いたけれど、最近はどこに隠すようになったのかしら。最近、私の部屋に置いてあった小さな熊のぬいぐるみがなくなったのだけれど」
「え、ええと――? ベンが把握してるのではないかと……」
「つまり外? ……庭にまで持っていくのはあまり感心しないわ。個人の持ち物を持って行ったら困るでしょう」
ぬいぐるみなんて持ってたっけ、なんて顔をされた。うん、持ってないので嘘なのだけれど、お気に入りの物をどこかに隠してしまうのは事実のようである。
「ジルはまだ遊びたい盛りだし、すぐに訓練を開始するわけではないのよ。ちゃんと私たちの準備期間も設けるのだから、心構えをしておくように」
「はい。お話は以上でしょうか」
「下がっていいですよ。お客様のお見送りにはまたでてきてちょうだいね」
「わかりました。……ライナルト様、失礼します」
こうしてエミールとジルは退室したのだが、はてさていまの会話のなにが必要だったかと聞かれたら……。
「外の風が恋しくなってきました。ライナルト様、庭に出ますのでお付き合いくださいませ。よければニーカさんもご一緒に」
自宅の庭を大人数でぞろぞろと移動するのも異様だし、ウェイトリーさんやジェフには遠慮してもらう。大きな窓一つ隔てた向こう側に、長方形に広がる我が家の裏庭があった。
個人宅にしては広めの庭だ。ベン老人の努力の甲斐あって、最奥にある木々の集まりに向かう小道沿いには花が植えられている。全体を見渡しつつ、目星を付けたのは最奥の茂みである。
外に出ると、びゅう、と一陣の風が吹いた。空はいつの間にか曇り模様で、いつ降り出すとも知れない様相だ。
「……隠すと言ったらあそこくらいかしらね?」
「カレン、ここでなら弟君にも聞かれることはないと思うが、いい加減なにを考えているのか教えてもらえますか」
「そうですね、向かいながらお話ししましょう。……回りくどくなって申し訳ありませんでした」
「弟君に聞かせたくなかったのは理解しました」
「お察しくださり助かりました。箱に関わると決めた私の我が儘……は、いまさらですが、できるだけ箱に関わってほしくないのは本心です。こうして探しに出る以上疑問は残るでしょうが、知らないに越したことはありません」
……本当はエミールに直接聞ければよかったのだけれど、まさか「ジルの玩具の隠し場所は何処」と聞くのも妙だから、かねてより考えていた件を含めて話をしたのである。
「まさか大真面目に犬の玩具の隠し場所を教えろ、なんて気になって仕方ないでしょうし、うっかり口にしてしまえば一大事ですから」
あとは……これはライナルトには話せないけれど、今一度エミールを私の弟ではなく個人として紹介しておきたかったくらいか。将来はキルステンへ戻り、兄さんの片腕として働くと考えられてるエミールだけれど、皇女と皇太子が対立している以上は将来どうなるか不明瞭である。多少なりとも顔を売るなりして繋がりを作っておいてもらいたいし、なにより本人がキルステンやコンラート以外の道を見つけた場合の助けにもなる。
次男が実家を助けないなんて! と言われるかもしれないが、キルステンは既に兄さんという跡継ぎを得ているし、家を継がない男の子が別の道を見つける例は少なくない。
……ジルもね、番犬の訓練といったしつけはぼんやりと考えていた程度なのだ。居てくれるだけで充分だったし、本当ならもっと先でいいと考えていたけれど、私の名が売れるとわかった以上は渡りをつけておきたかった。うちには護衛が三人もいるけれど、番犬がいるに越したことはない。
「エルのお母さまが囁かれたのです。犬の隠し場所を探しなさいって」
それは無論、皆の前でおばさんに押し倒された時である。はじめはどうしておばさんが犬のことを知っているのか不思議だった。もっと言えば何故犬の話題が出たのか頭が真っ白になったけれど、最後に「伝言だよ」と囁かれ合点がいった。
おばさん達はエルから「なにか」を聞いていたのだと知ったのである。伝言を聞いた後は、考えれば難しくなかった。それとなくエミールに話を振ってみれば大当たりである。
「本当に短い言伝でしたけど、理解には十分でした。思い返してみればエルはジルをよく可愛がっていましたから、うちの犬を指すのだろうなとすぐわかりましたし」
「……娘が亡くなったばかりなのに、嘆くわけでもなく言伝を優先したと?」
「すごい人達ですよね。……私なら到底出来るとは思えません」
内容的に、きっと私以上にわけがわからなかっただろうに、エルに言われた「伝言」を律儀に伝えてくれたのだから頭が上がらない。
散策をするようにゆっくりと進んでいると、ニーカさんが空を仰ぎ急ぐよう促す。
向かった先は小さな範囲だがいくつかの樹木が植えてあり、目を楽しませるようになっている。ベンが常々手入れしているし、あくまで景観目的程度だから物を隠すには向かないが隠し主が犬となればまた別だ。
人間の高さならともかく、動物の身長に目線を合わせれば隠し場所はいくつかありそうである。
しかしよりによって何故庭なのだろうか。お気に入りの物を隠すならせめて家の中にしてほしいが……。いや、家の中だったらいまごろ第一隊に持って行かれてた可能性があるから、やはり庭で正解なのだ。
目的のものの発見は難しくなかった。ニーカさんが目星をつけた箇所に膝をつくと、茂みの奥を浚ったのである。
「骨が隠してありますが、他にはなにも……」
「私にも見せてください」
跪くと、ちょうどくぼみになった場所に動物の骨が置いてある。奥の枝葉に引っかけるように小さな袋を見つけたのだが、不思議だったのはニーカさんに視認できなかった点だ。場所を教えても彼女の目にはなにも映っていないようなのである。
紫の生地でできた小さな袋だった。手に取ってみると、そこではじめてニーカさんとライナルトにも見ることができたようだ。
「これは、彼女の衣類と同じ生地ですね」
「思ったより小さいですね。道具だとしたらもっと大きいと予想していたのですけれど……」
ライナルトの指摘通り、エルが着ていた衣類と同様の生地だった。袋は見た目のわりに重さがありずっしりしている。石でも入っているような重量感だ。
中を開けば、ころんと躍り出てきたのは黒色の球体だった。大粒の塊で目を疑うほど立派な一品だけれど、それを見て声を上げたのである。
「宝石?」
黒曜石の塊だろうか。触ればひんやりとしており、掴んで掲げれば鈍い光を反射している。大粒を美しい球体に仕上げた技術には感動するし、金品としての価値を見出すのなら立派な遺品だが、エルが遺すにしては簡単すぎる。
これには戸惑いを隠せなかった。
なにが残されていたにせよ、もっと道具らしい形の物か、呪文でも記された冊子を想像していたのである。それがただの宝石に似た球体であれば困惑もするだろう。
「エルがただの宝石を隠したの?」
「ただの、というわけではないでしょう。いつから隠していたかは不明だが、一切汚れていないように見える」
「殿下のおっしゃるとおりですね。その袋はもちろん隠してあった玩具にも汚れがなかった。虫の姿もありませんし、その袋自体になにかまじないがかけてあるかもしれません」
……エルが隠し場所として目星を付けたのが先で、ジルが後から骨を置くようになったのだろうか。エルのことだから笑って許したのかもしれない。
疑問は尽きないが、一度差し止めたのはニーカさんだった。
「ひとまず持ち帰りましょう、一雨来そうです」
大粒の雨粒がぽつりと地面を打った。本格的に降り出すのは時間の問題だろうか。
とにかく時間がかからなかったのは幸いである。大急ぎで家の中に引き返すと、あえてなにも聞いてこないウェイトリーさんがお茶の用意をして待っていた。
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