133話 上手く隠したつもりでも
執事に濃いめの茶を要求したベルトランドは、改めて座り直すと私に謝罪を示した。
「まあそういうわけでしてね。コンラート夫人におかれてはうちの弟と部下が大変失礼をした。部下の方は教育次第でなんとでもなるが、聞く限りじゃ弟の方は随分やらかしてきたようだ」
「ええ、まぁ……はい、そうですね。正直大変困りました」
ベルトランドは弟の「やらかし」を一体全体どこまで知っているのだろうか。私はともかく父さんに多大な迷惑をかけているのは間違いない。
「弟もいい歳をした男だ。恐喝紛いの所業、本来ならあいつ自身にけじめを付けさせるべきだとは思うんですがね、どうにも意気地が足りないのは昔から変わらない」
「……そうですか」
「ただし、双方に迷惑をかけて呑気に賭け事をしているのはどうかと思いましてな。金はどうしようもないので返せないが、代わりに落とし前はつけさせてもらった」
「そうだった、ベルナルドはどうしたのかね」
イェルハルド氏も知らないようだ。ベルトランドは肩をすくめて言ってのけた。
「寒冷地に飛ばしておきました。向こうの知り合いによろしく頼んでおいたので、おめおめとヤツを逃がすような失態は犯さんでしょう。今頃は泣きながら軒先に下がったつららを落としてるんじゃないですかね」
「北におくったのか。お前にしては厳しい」
「ロビンの軽率さはともかく、反省してれば多少は考慮もしましたがね。あいつが場所も考えず余計な口を立てなければこうもややこしくなりはしなかったでしょうよ」
ベルトランド曰く、彼は弟を、この時期でもいまだ雪が地面を覆っている地に送ったそうだ。北の地は特に反抗的な民族もおらず、本当にただ軍が駐屯しているだけの状態だが、とにかく寒く、そして厳しい。ある意味隔離されたような所だから、これ以上変な噂がひろまることはないはずだと説明したのである。
嘘の報告には思えなかったが、念のためにと口を開いた。
「……それを証明していただく手段はございますか?」
「ないですな。ですので弟可愛さに逃がしたと言われてしまえば、あいつを引っ立ててくるまで信じてもらいようもない」
「コンラート夫人、ベルトランドが嘘を言っていないことは私が保証しよう。彼はいい加減な男だが、彼なりの義理は果たす男だ」
「わかりました。イェルハルド様がそう仰るのでしたら信じさせていただきましょう。ただ……ロレンツィ様」
「ベルトランドでどうぞ。男ならともかく女性には名で呼んでもらいたいんでね」
「ベルトランド様、どうかあの人を逃がさないようにお願いいたします。あの人がいると、父の心が乱れるでしょう。これ以上騒ぎがあっては困るのです」
「当然ですな。よくよく覚えておきましょう」
こうしてみると、確かにベルトランドの容姿というか、髪や目の色は私と良く似ている。この場合は私が彼に似たというべきかもしれないが、ともあれ実父候補が実父というのもあながち間違いないかもしれない。でもまあ、個人の意見としてはやっぱりキルステンの父さんの方が好ましいって感想だけれども……。
私が「父」の言葉を出してもベルトランドはぴくりとも揺らがなかった。さもありなんといった様子だが、これに溜息を吐いたのはイェルハルド氏である。
「私が口を挟むのはどうかと思うがな。ベルトランド、お前は夫人に言うべき事があるのではないかね」
「うん? 私がですか」
ベルトランドは顎を撫ですさり、まじまじと私を見下ろして聞いた。
「養育費でも請求しますかな」
「ご冗談を。請求したいと思うまでの感情がございません」
「でしょうな。ま、そういうことですよイェルハルド。大変素晴らしいお嬢さんじゃあありませんか」
「まったく……」
……私はこの人に思い入れがないから構わないけど、もし私と同じような子がいたら、この態度は腹立たしいだろうなぁ。でも正直ベルトランドの対応は、「娘よ」なんて大仰に手を広げて迎えられるよりは百倍ましである。逆にそっちの方なら、引くくらいの養育費請求して向こうから関わりを断たせるくらいだ。
「お前がそれでいいなら私が口を挟むまでもないだろう。ただし、後継争いに巻き込まれないようお前からも気を配りなさい。言いたいことはそれだけだ」
「注意しておきましょう。私としても無関係な娘さんを巻き込むのは本意じゃあない」
「元はといえば、お前のはっきりしない態度が原因だがね」
見るに、イェルハルド氏とベルトランドは大層仲が良いように思える。好きなように軽口をぽんぽんと言い合っているから、長い付き合いというのも納得できる。
「こいつは心外だ。私は真っ先に姉兄共に宣言してやったんですがね。我ながら親切すぎて表彰ものだと思ってるんですが、そうは言ってもらえませんか」
「内容次第だ。想像は付くが、何と言ったのかね」
「姉兄揃ってでかい腹の探り合いをしている場で堂々と言いましたとも。当主なんぞ欲しい者にくれてやる、小官は一切興味がないので好きにしろ。どちらかが当主となった暁にはバーレの名も返してやるぞとね」
皮肉たっぷりにベルトランドは笑うが、イェルハルド氏は困ったように溜息を吐くばかりである。
「お前、それは逆効果だろうに。なにがなんでも当主になりたい者を相手に無欲を示してどうする」
「疑心に陥ってる輩に私からなにを言っても無駄でしょうよ」
「ならばそれらしい態度をとってやれ。お前の望み通りの平穏を迎えられるはずだ」
ひとつはっきりとわかることがあるとすれば、ベルトランドという人は真面目という単語から一番遠い星の下にある人間だということだろう。
ベルトランドはイェルハルド氏に言い返す言葉があったのかもしれないが、私の姿を認めると肩をすくめて会話を切り上げた。
「お客人を放置するのはどうかと思いますがね、義父上殿」
「む。……すまないコンラート夫人、つい無駄話をしてしまった」
「お気になさらず。私もベルトランド様も、きっと話すことはそこまでないのです」
などと言ったが、その次の瞬間にひとつだけ聞いてみたいことがあったのを思いだした。どうやらベルトランドは即座にこちらの変化に気付いたようで、背もたれに体を預けながら両手を膝の上で組み合わせた。
「ご質問があるなら受け付けよう、迷惑料代わりにはなるかもしれない」
余計な一言が多い人である。まともに相手をすると面倒そうだと印象を付け足しておこう。
さて、それで私の聞きたいことだが……。
「これは子供として……か、どうかは微妙かしら。純粋な興味なのですけれど、ベルトランド様は母を覚えておいでですか」
「ぼんやりとなら」
「記憶が定かではないと?」
嘘でも「覚えている」と言わないあたり、本当に正直な人だ。これをどう評価するかは難しいだろう。ベルトランドが一瞬考えるような仕草を見せたが、すかさず口を開いた。
「年齢や女だからと躊躇われなくても結構です。私が知りたいのはベルトランド様の素直なお気持ちですから」
なるべく事務的に聞いてみたつもりだ。ベルトランドも私の意図を理解してくれたのか、すぐさま気を取り直したようだ。
「ファルクラム方面で貴族の女性と関係があったと問われたらそうだと答えられるが、名前までは記憶にない。なにぶんそういった女性は多くてね」
いささか遠回しなベルトランドの回答だが、特別驚きはなかった。彼は出会っても母のことを聞いてこなかったし、私に対しても感慨を覚えるといった感情が見えなかったからだ。あるのはほんの少しの好奇心ぐらいだろうか。
しかし、よかった。おそらくベルトランドは嘘を言っていない。私と彼が父娘だからと感動の涙を流すことはなさそうだ。
「ご期待に添えたかはわからないが、以上がこちらの回答だ」
「お聞きできて良かったです、ありがとうございました」
……彼に届きもしない恋文を書いていた母はある意味憐れではあるが、伝えるかどうかは別である。
私たちのやりとりをイェルハルド氏はどう感じたのだろうか。長い鼻息をつくと、ゆっくりと茶を啜っていた。
「私からも確認させてもらっていいだろうか。念のためではあるんだが、聞いとかなきゃならん話でね」
「はい」
「お嬢さんはバーレ家に関わりたいと思ってるかね」
「いいえ、個人としてはこれっぽっちも」
「なるほど。貴族ってのはどうにも大変ですな」
「ベルトランド様もバーレ家の養子ではありませんか。同じようなお立場でしょうし、他人事じゃないのでは?」
「こいつは確かに。部外者でいたいばっかりにさっぱり失念していた」
おどけるように笑う様は、どこからどこまで本心なのかさっぱり見えない。ただ、私が個人としての意見といった意図は読み取ってくれたようだ。今回のようにライナルトといった勢力が絡めば放置するのは難しい。
しかし何故だろう。私とベルトランドが会話を続ける毎にイェルハルド氏が不思議そうな顔をするのは。
他愛のない雑談を交わしていると、執事さんがやってきてイェルハルド氏に耳打ちした。どうやらライナルトが到着したようで、報せを届けにきたのである。彼を出迎えるために席を立った。
そう待たないうちに本日のメインゲストは到着した。使用人に案内され姿を見せたのは、すっかり見慣れた金髪の男性だ。今日は肩口で髪を纏めていて、リボンの結び目がちょっと可愛らしい。付添にモーリッツさんがいると思ったのだけれど、姿を見かけない。
ライナルトが入室を果たすと、扉が閉まる前に足音を殺したジェフが退室した。バーレ家の当主はにこにこと笑顔で皇太子を出迎えるのである。
「これは殿下、このような場所によくお越しくださいました」
「お会いするのは式典以来か。ああ、無理に出迎える必要はない。近年は体調も思わしくないと聞いているのでな。座ってもらって構わない」
「これはこれは、かようにお優しい言葉を賜れるとはまこと感謝に絶えませぬ」
「世辞はいい。イェルハルドに言われると嬉しいよりも空恐ろしく感じるのでな」
「なにをおっしゃいますか、私なぞ半分隠居の爺でございますよ」
このように始まるわけだが、私はここで席にはつかない。
というか私の仕事はここまでなのである。先ほど彼をメインゲストと称したように、バーレ家にとってもこちらの方が主題だろう。ベルトランドが私ではなく彼の到着に間に合うようやってきたのはいい証拠だ。
一同が席に着いたところで、ゆっくりと頭を垂れた。
「それでは、わたくしはここで失礼いたします」
「夫人、ご苦労だった」
「はい。イェルハルド様はとても面白い方でございます、殿下もゆっくりお寛ぎくださいませ」
なんだろう、こちらを見たライナルトが一瞬意外そうな目をしたのだけれど、意識はイェルハルド氏の言葉に遮られた。
「コンラート夫人、せっかくお越しいただいたのだから、よければ我が家自慢の庭や絵画を見て帰られるといい。当家にはファルクラムにはないものも多い、多少は楽しめるだろう」
「まあ、ありがとうございます。立派なお屋敷ですから気になっていましたの。それではお言葉に甘えさせていただきます」
「是非そうなさい。それと土産を包ませるから持って帰るといいだろう。今日は時間が足りなかったが、次は茶の談義をしたいものだ」
「私もです。またお会いできる日を楽しみにしています」
お土産付きとはまた気前の良い。
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