第23話 人それぞれの愛の形

 できれば寝台で寝てほしいけれど、せっかく眠った人を起こすのは忍びない。せめて風邪を引かないように毛布を持ってくるとそうっと被せ、慎重な足取りで廊下に出る。廊下にはすでにアヒムが待機していたのだが、少しくらい部屋で休んだらどうだろうか。


「兄さんは寝てるから起こさないでね。で、アヒムはちゃんと休んだの?」

「おれは坊ちゃんほど詰めてないんですよ。休めるときにはしっかり休んでます」

「シスはどうしてる?」

「あれは放っておいていいと思いますよ。なんつーか……偶然一緒に行動することにはなりましたが、とんでもなく自由なお方なんで……」


 部屋の前で話し込むわけにもいかない。せっかくなので私の部屋でお茶でもしようと誘ったのだが、アヒムは少しだけ渋るそぶりを見せた。


「……このお屋敷なら大丈夫よ?」

「あー……ですよね。わかっちゃいるんですが……」


 兄さんからなるべく目を離したくないのだろう。これはもう彼の性分だ、無理に誘っても気が気でないだろうし、少し離れた場所に留まる程度にする。


「彼とは偶然会ったって聞いたけど、どこで会ったの?」

「道中ですよ。馬車で移動してたら外が騒がしいもんで、何事かと顔を出したら奴さんがおーいって手を振ってきましてね。……はじめは誰だかわからなかったなあ」

「よく乗せたわね」

「そりゃローデンヴァルトにゃ良くしてもらってますし、その関係者ならね。おまけに向こうは足にするつもりで声をかけたっぽいですから」

「ええ……」

「魔法使いなんでしょ。見たところ馬も持っていなかったし、護衛もいなかった。あれでよくあちこち歩き回ってたもんですよ」

「あちこち?」

「どうも東から西まで国境をぐるっと回ってたみたいです」

「東……ってコンラート領と真逆よね」

「そうですね。どちらかといえば帝国領方面に近い。……治安は良くないはずなんですがね。それなのに無傷っていうのは、だからこそ魔法使いなんでしょうか」


 命知らずというか、無謀というか。

 アヒムも彼の性格を掴みかねているらしく、憂鬱そうに腕を組んでいる。まったく気苦労が絶えないが、やはりこれも彼の性分なのだろう。

 

「それよりお嬢さん、坊ちゃんの就任式は帰ってくるんですよね」

「あ、うん。そのつもり。流石にこれを無視するのはだめでしょ」

「はい、おれも駄目って言いたいわけじゃないんです。ただ、余計なお世話かもしれませんが……」


 言い辛そうに頭をガリガリと掻く。言うか言うまいか迷うようなアヒムは珍しい。


「あんまりローデンヴァルトの次男と接触しない方がいいですよ」

「……なんで?」

「なんででも。おれからそれ以上は言いたくありません」

「意味がわからないのだけど。変に忠告するより、はっきり言ってもらえない?」

「それこそ嫌です。不愉快なんで」


 彼にしては意地悪というか、珍しいくらいのはっきりした拒絶だった。こういう態度は珍しいから戸惑ってしまうのだが、アヒムもなにか思うところがあったらしい。嘆息を零すと、すぐに話題を切り替えた。


「それよりも、お嬢さんのお友達の件ですが」

「あ、ちょっと誤魔化そうとしないで」

「なに言われようとそれ以上は喋りませんよ。それより、エル嬢についての情報はいらないんですか」

「いる」


 コンラート領に戻ってからこちら、カミル氏に協力を仰いでいたというのにエルの行方は掴めない。彼女どころか両親の行方さえわからないのだ、かといって無闇に飛び出すわけにもいかず、エルのことを考えるとため息が出るばかりである。


「その言い方だと、なにか掴めたの」

「掴めた、といえるまでの情報じゃありません。ただ、エル嬢さんの両親を見かけたという話は聞きました」


 ただし、とアヒムは付け加える。


「未確定情報です。うちに出入りしてる商人が、ファルクラムで店を経営してた馴染みの夫妻を見かけたって話を小耳に挟んだ程度なんで」

「エルの情報じゃないってこと?」

「そう、エル嬢さんの親御さんですね」

「……どこで見かけたって?」

「うちと帝国の国境門です」


 帝国。また帝国か。

 ライナルトを知るようになってからよく聞くようになった国だ。よりによってエルの両親が国境にいたのである。


「ただそれもかなり前の話ですし、その商人も夫妻と話をしたわけじゃありません。そこからどこに行ったかはわかりませんし、もし門を越えてしまったのなら追いつくのは不可能ですね」

「……エルの両親って、帝国には縁がなかったはずだけど」

「ないはずですよ。それどころか親類縁者すらいない」


 情報はそれだけだ。それだけなのだが、いまの私にとってはなんともむず痒い話である。エルは、彼女は私と同じ転生者だ。過去の境遇故にこの世界の両親を大事にしていたし、たとえ借金を抱え込んでいたとしても親を捨てるとは考えられない。

 アヒムは引き続き彼女の情報を集めてくれると約束してくれたが、もし国内にいないのなら情報の鮮度は落ちるばかりだろう。


「仲良かったんですね」

「…………ええ、とても良くしてもらったから」


 こことは違う世界、常識の違う国。生まれ変わりだなんて正気を疑われる話をできたのはエルだけだ。彼女にとってもまた、私だけがすべてを話せる相手だった……はず、なのだが。


「……ごめん、ちょっと考え込んでしまったみたい。できればの範囲でいいから、お願いね」

「おれにできることなら力になりましょう。ああ、ただお嬢さん」

「うん?」

「もしかして謝り癖が戻ってるんじゃないですか、変だから直した方がいいです」

「そうね、気をつける」


 先も述べたが、ここは異世界だ。当然日本ではない。

 どうも素に戻るというか、昔の性格が出てしまうときや日本に思いを馳せていると「すみません」「ごめん」が第一に出てしまうのだ。この日本人特有の癖、なるべく気をつけているのだけれど、どうにも難しい。……頻度はかなり減ったのだけどな。

 彼とはもう少し話をしておきたかったのだが、ヘンリック夫人に呼ばれてしまったので断念である。代わりにやってきたニコはスウェンの近況が気になるようで、私が去る頃には顔を真っ赤にしながらあれこれ質問をはじめていた。

 夫人は料理長と夕餉について相談をしていたようなのだが、兄さんの好みを確認したかったらしい。本日の献立を渡され中身を確認していた。

 

「好き嫌いはないから大丈夫だと思いますけど、あの様子だから胃を痛めているような気はします。あまり油を使ったのは控えてもらえると……」

「ウェイトリーにも同じ事を言われました。こちらは味が濃いですから、塩も控えるようにと……」

「ああ、はい。その方が助かるかも」


 ……ここに来てからの私もだけど、基本的にみなさん動き回るから塩分が不足しがちなのだ、そのためか必然的に味付けが濃くなるのだよね。


「あの、夫人」

「はい?」

「兄さんの就任で向こうに行くって話なんですが」

「旦那様から伺っております、もちろん旦那様と奥様で出席すると……」

「い、いえそうじゃなくて、大丈夫でしょうか」


 ヘンリック夫人は私の言いたいことがわからないらしい。不思議そうに佇む彼女に、私も意を決して訊ねた。


「エマ先生です。確かに私が形式上の妻となってますが、いくらなんでも公式の場に出席や、夜会に出るとなれば良い気がしないのでは」


 うん、これが気に掛かっている点だ。以前も似たような話を夫人に行い、その際も大丈夫とお墨付きをもらったけれど、やはり気になるものは気になる。

 けれど今回の夫人の返事もあっさりしたものだった。こちらが拍子抜けするくらい気負わぬ様子で、迷いもせず断言したのである。


「エマなら問題ございませんよ」


 ……カミル氏とエマ先生には大変良くしてもらっているが、これが、この辺りは本当に、どうしてもわからない。この世界、私が思うほど夫婦という関係に拘りはないのだろうか。奇っ怪な顔をしていたからだろうか、夫人は口元に手を運ぶとしばらく悩んだ様子で言った。


「むしろ奥様お一人で行かせてしまったら、エマは旦那様を叱るでしょう。奥様を預かると言った以上、責任を果たす気はないのかと怒鳴るに違いありません」

「……それは、エマ先生にはお世話になっているし、もちろん大変ありがたいと思っているのですけど」


 エマ先生の親切心につけ込んで正妻の座にいる身だ。

 けれど実質未婚? の身でこんなことを聞いてしまうのは恐縮なのだが。


「そういう夫婦の形って普通なんでしょうか。こちらに来てから、その辺りがよくわからなくなってきて……」


 私の常識だと、たとえ偽りだとわかっていても、愛する人の横にいるのが違う女だって言うのはあまり嬉しくない状況だ。国王陛下に関わらず、夫側に経済力が認められる場合のみだが、第二夫人の存在が容認される常識は未だに首を傾げてしまうのだ。エマ先生にとっての私も似たような立場なのかと思い尋ねたのだが、夫人は驚愕に目を見開くと、はっとした様子でまくし立てた。


「いいえ、いいえ奥様。普通のご夫婦であればまず間違いなくこのような形は成り立ちません。わたくしとしたことが、若いお嬢さんになんという誤解を……」

「あ、やっぱり普通じゃない?」

「旦那様とエマに関してはまず普通という形は当てはまりません」


 きっぱりと断言してしまう夫人である。夫人なりに思うところがあるのだろうか、なんとも難しい表情で語る。


「あまり詳しい話はしてあげられないのですが、以前、エマは旦那様を愛しているけれど、本妻になる気がないとお伝えしましたね」

「ええ、覚えてます。心がご自身に向いているなら良いとも。……身分を気にされたというわけではなさそうに思ったのですが」

「その通りです。旦那様はエマを正妻に迎えたいと話をされたことがありました。彼女自身が断っておりますが、身分を気にしての拒否ではありません」


 ……プロポーズはされてたと。


「理由を聞いても?」

「……旦那様は昔、奥方様とご子息を亡くされています。エマが気にしたのは……いえ、彼女が前の奥様と知り合いだった関係もあるのでしょう。とにかく、何を言われようとも正妻になる気がないのです」

「でも伯はスウェンを嫡子として認めるのですよね?」

「本当はそれもエマには嫌がられたのですが……」


 なにやら想像を絶するドラマがあったらしい。


「ただ、彼女の立場では旦那様のお務めを手助けできないと悩んでいたのは事実です。ですから正直、奥様の申し出は……こう言ってしまうのも変ですが、エマにとっては助かったのだと思いますよ」

「嫉妬心は、ないんでしょうか」

「……エマにとっては孫の遊宴についていく祖父くらいの感覚かと」

「…………大丈夫って事ですね?」

「それはもう間違いなく」


 力強く断言されてしまった。

 二人に存在するドラマはともかく、ここまで断言されたのなら今後も心配しなくて良い……のかなあ。こういう形の夫婦だから私のような人間が割って入っても受け入れてくれたのだろうけれど、これはこれで心配である。

 その後は夫人と打ち合わせを済ませ、アヒムに差し入れをして、夕餉の支度だので動き回っていたらあっという間に陽は傾いていた。一眠りした兄さんは随分すっきりした表情で腿肉の煮込みに舌鼓を打っていた。シスも同席したのだが、彼は口が上手いらしい。魔法使いという立場もあってか、普通では知り得ないような話もいくつかしてくれた。

 ……私的にはエマ先生がこの場に座る権利がない、というのが気になったが、顔に出すほど愚かではない。


「魔法というのは世間にひどく恐ろしがられていますが、実のところそんな怖いものではないのです。我々にしてみれば遠くの者と話したりすることができるとか、まあそのくらいですよ。生活を便利にする手段、くらいの認識なのですがね」

「シスはそう言うが、私たちには縁遠い話だからなぁ。カレンもそう思うだろう」

「そーですねえ」


 ついおざなりな返事になってしまう。シス曰く、魔法がもっと広まり、人々の理解を得ることができれば隣国にもひとっ飛びで行けるという。摩訶不思議な話を兄さんやカミル氏はいたく面白がっていた。


「でも声だけでも違う領地にいる相手に届けられるというのは便利だな。本当ならば普及してはくれないものか」


 スマホですね、わかります。

 知識だけあるっていうのも妙な気分だ。知ったかぶりしたいわけではないが、大仰に驚くのも違う気がして、愛想笑いをお供に肉を口に運ぶ。

 いやぁ……なんか、うん。なんかなぁ。

 下手に科学が発達した世界の知識があるだけっていうのも、複雑になるのだなあ。

 妙に味覚がぼやけてしまったのは私だけのようだ。兄さん達は団欒を楽しめたようで、食事の後は葡萄酒を愉しむようである。

 私はそこそこに退散させてもらうと部屋に引っ込み、ニコを帰して一人の時間を満喫するとしよう。パソコンがない生活もすっかり慣れてしまっているので、やることといったら伯から借りた本を読むくらいだ。

 寝転がりながら読みふけっていたせいか、ぱちりと目を覚ますと蝋燭の火が消えていた。カーテンも閉め忘れていたせいか、窓から月明かりが差し込んでいる。


「さっむ」


 今日は満月だったか。窓を開くと、深い藍色の天蓋に眩しいくらいの星々が瞬いている。夜の明かりを見上げると、苦笑を漏らしてしまうのは仕方ないのかもしれない。

 空には月が二つ浮かんでいる。

 一つはいつの頃からも変わらない優しい乳白色の月。

 もう一つは赤い光を放つ、禍々しくも煌びやかな月だ。

 時期によっては二つの衛星が重なり合っているようにもみえるのが、この世界の夜の特徴だ。

 見慣れた光景だが、時折重力やらはどうなっているのだろうと不思議に感じる。

 ほんとこういう所が異世界だよね。

 なんとなくテラスに出てみたのだが、視線を落とすとある人物の後ろ姿が目に入った。

 ……夜の散歩だろうか。

 夜も遅いし、放っておけば良かったのだが、なんとなくその姿が気になって外套を羽織って部屋を出る。

 深夜にいるはずの見回りには一度も出くわさず外に出ると、その人が向かった方向に足を運んでいた。

 敷地から外には出ていないはずだが、裏庭に向かうと、井戸の傍でその人物は楽しそうに喋っていた。


「ああ、そう。コンラート領に厄介になっているよ。…………それは誤解だ、私は一刻も早くきみの元に戻ろうと努力したとも。私の勤勉さをきみは誰よりも知っているだろう?」


 ただ、そこに話し相手はいない。彼こと魔法使いのシスはだれもいない宙に向かって親しげに話しかけている。

 端からみれば頭のネジがゆるんだ変人なのだろうが。

 そこで青年と目が合った。驚く様子もない、ただこちらに向かってにっこり笑うと、再び宙に向かって会話を続ける。


「報告してあげたいのはやまやまなんだが、きみの小さいお友達に見つかってしまった。…………ああ、大丈夫大丈夫。弱い者いじめは嫌いだからさ、そんなことはしないとも。ああ、それじゃ」


 その異様さ、あけすけな陽気さはある意味狂人にしか見えないのだとこの人は自覚しているのだろうか。手招きされたからと近寄ったのも私だからであって、普通、どんなに顔が良くたって夜中にこんなのを見つけたら泣いて逃げるのは請け合いだ。

 なんで逃げなかったって言われてもね?

 どう考えても、誰かと通話していたようしか見えなかったからなんだよね……。

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