第12話

 それから数日間、俺は再びクラスメイトの観察を始めた。

 悩みを抱えた生徒は多数いるが、特にヤバかったのは川原田順也かわはらだじゅんやだ。彼は帰宅部でクラスでは目立たず、どこにでもいる平凡な高校生だ。俺は一度も話したことがないので、彼がどんな奴なのかイマイチ把握し切れていないが、とにかく川原田の心の中は負の言葉で溢れていた。


【ふざけんなよ、舐めやがって】

【俺を怒らせたこと、後悔させてやる】

【あいつ、絶対ぶっ殺してやる】


 そんな物騒な言葉が、授業中に俺の頭に流れ込んだ。




「というわけで、今度は川原田がやばいと思うんだけど、どう思う?」


 例によって、俺は放課後になってから雪乃に仕入れた情報を伝えた。雪乃は難しい顔をして黙り込んだ後、そのまま難しい顔を俺に向けた。


【もう少し情報が欲しいなぁ。誰をぶっ殺したいのか、どうしてぶっ殺したいのか、本気でぶっ殺したいと思ってるのか、もうちょっと調べてみて】


 女子高生が何度もぶっ殺したいを連呼するなよと思ったが、そこは聞き流して反論をする。


「俺あいつと話したことないしさ、なんかやばそうだし、雪乃が探ってみればいいじゃん」

【無理だよ。だって私、喋れないんだから】


 それを言われてしまうと返す言葉がない。


【これは、碧くんにしかできないことなんだよ】


 雪乃はそう言えば俺が喜ぶだろうと思っているに違いない。俺にしかできないこと、最初は嬉しい言葉だったが上手いこと乗せられている気がして腑に落ちない。


「まあ、考えておくよ」


 無難にそう返事をしておいた。厄介なことに巻き込まれたくはないが、もし川原田の殺意が本物であるならば、放っておくわけにもいかない。

 そして翌日から、俺は本格的に川原田の調査を開始した。



「川原田くんって、なんか部活やってるんだっけ?」


 体育の授業中、バスケットで偶然同じチームになったので、俺たちのチームの出番が来るまでの間、それとなく探りを入れてみた。川原田が帰宅部であることは知っていたが、他に話題が見つからなかったので当たり障りのない話題を投げかけてみた。まさかいきなり、殺したい人とかいる? なんて問いかけたら警戒されるに違いない。


「別になんもしてないけど。帰宅部だったら問題でもあるのか? 確か君も帰宅部だろ」


 川原田は無愛想にそう答えた。話してみると俺以上に無愛想な奴だった。彼の長くも短くもない髪の毛が、グラウンドへと続く扉からの風で揺れる。これ以上話しかけるな、とでも言いたげな表情で彼はそっぽを向いた。


「別に問題はないけどさ。そういえば川原田くんって、うちのクラスだと誰と仲が良いんだっけ?」

【うるせえなぁ、こいつ】

「別に君には関係ないだろ。そんなこと聞いてどうするんだよ」


 川原田の心の声に苛立ちながら、俺は怒りを抑え冷静に答える。


「いや、なんとなくなんだけど、気に障ったなら謝るよ。ごめんごめん」


 何故俺が謝らなきゃいけないのか、怒りだけではなく暴走しそうな右腕を抑えて愛想笑いを作る。


【うぜえな。こいつもぶっ殺してぇ】


 これ以上詮索すると、川原田の暗殺リストに追加されそうなので身を引くことにした。

 隣のコートでバレーボールをしている女子たちに目を向ける。隅っこで小さく体育座りをしている雪乃がこっちを見ていた。


【もう少し、話しかけてみて】


 人の気も知らずに、雪乃はそう訴えかけてくる。俺は無視をして、再び川原田に視線を戻す。


【あいつ、ぜってぇ許さねえ。殺してやる】


 俺のことではないだろうな、と冷や冷やしながらその場を離れた。



 放課後になって、俺はすぐに教室を出た。この日は得た情報がなく、雪乃に報告することが何もないので仕方なく川原田を尾行することにした。これはもちろん俺の意思ではなく、雪乃の指示だ。


【事件が起こってからじゃ遅いんだよ! 私たち二人で、なんとかしようよ!】


 昼休みに視線を感じたので目を向けると、雪乃が俺を見つめてそう念じていたのだ。どう考えても二人ではなく、今のところ俺一人しか動いていないのだが、言い返すこともできずに渋々従うことにした。


 廊下に出ると、川原田は隣のクラスから出てきた小柄な女子と並んで歩いていた。まさか恋人だろうか。彼はあまりモテるタイプには見えないので、これは意外だった。


【浮気してるくせに、へらへら笑ってるんじゃねえよ】


 川原田は恋人と手を繋ぎながら、内心ではそんなことを考えていた。彼の殺したい人物は、もしかして彼女なのではないだろうか。

 何か他に手掛かりはないかと尾行を続ける。校門を出て、二人は駅のほうへ向かって行く。

 会話の内容は聞き取れないが、川原田の口の悪い心の声は俺に届いた。


【いい子だと思ってたのに、とんだクソ女だったとはな】

【もう別れようかな。顔も見たくない】


 心の中でぶつぶつ呟きながら、川原田は駅舎の中へ入り、彼の恋人はそのまま歩いて帰っていった。

 俺は何をやっているんだろうか、と惨めな気分になりながら自転車に跨る。

 川原田には恋人がいて、その恋人は浮気をしている。まずまずの収穫だ。


 右足に力を込めてペダルを踏み込もうとした時、駅前のバス停で高梨の姿を見つけた。浮かない表情で、高梨は俯いている。彼女の手には、見覚えのあるものが握りしめられていた。

 それは雪乃が持っていたクマのキーホルダーと、色違いのものだった。赤いリボンを頭に付けた、継ぎ接ぎだらけのクマのキーホルダーだ。

 雪乃と高梨は、昔は仲が良かったと言っていた。お揃いのキーホルダーを持っていても、なんら不思議ではない。しかし高梨の心の声は、疑問を呈するものだった。


【いまさら返しても、遅いよね……】


 クマのキーホルダーに視線を落としたまま、高梨は思い詰めたような顔で考えていた。

 そんな美少女の横顔は、やはり絵になる。しばらく見惚れていると、彼女は小さくため息をつき、キーホルダーを鞄に仕舞った。そしてやってきたバスに乗り、高梨は去っていった。

 なんだったんだろう、と首を傾げて自転車を漕いだ。返すとは一体どういうことなのだろう。いくら考えてみても、答えは見つからなかった。



 自宅に帰る途中で、偶然姉を見つけた。


【橋下くんと手を繋いじゃった。キャハッ】

「何がキャハッ、だよ。あんな性格の悪い男と手を繋いだくらいで」


 姉は物凄い速度で振り向き、顔を赤らめて激昂する。


「あんたねぇ、プライバシーの侵害だよ! 勝手に人の心を覗かないでよ!」

「偶然だよ、偶然。あ、姉ちゃんだ、と思ったらそっちが勝手に言い出したんだろ」

「あたしは何も言ってません〜」

「分かったから、ちょっといろいろ考えることあるから、先帰ってる」


 再びペダルを漕ぎ、スピードに乗ろうとしたところで制服の背中を姉に引っ張られて停止する。


「なんだよ、離せよ」

「罰として後ろ乗せてよ」


 言いながら姉は自転車の荷台に腰掛ける。重たいから降りろよ、と言いたかったが明日の弁当のことを考えると、やめておいた。


「今度はどんな悩みを抱えた子がいたの?」


 どうやら姉には全てお見通しらしい。もしくは姉も人の心の中を覗けるのかもしれない。

 俺は一通り川原田について姉に説明をした。ちょうど説明を終えたところで家に着き、リビングのソファーに腰掛けた姉は、少し考え込んでから口を開いた。


「なるほどねぇ。痴情のもつれによる殺人ってわけね。よくある話だけど、あんたのクラス妊娠する生徒がいたり、人殺しがいたり、心の声が聞こえる奴がいたり、なんかカオスだね」


 それは俺も同感だが、そのくくりに俺を入れるのはやめてほしい。それにまだ人殺しではなく、ただの殺意を抱いたやばい生徒、なのだ。


「まあとにかく、その殺人を未然に防がないといけないから、いろいろ大変なんだよ。殺されるのはたぶん川原田の恋人なんだろうけど、いつ殺すのかも分からないし、本気なのかも分からないから、現状打つ手なしだ」


 肩をすくめてそう言うと、姉はちょっと待ってよ、と声を上げる。


「殺されるのは川原田くんの恋人じゃなくて、その浮気相手なんじゃないの? あたしはそう思ったけど、違うのかな」


 浮気相手、言われてみればそうかもしれない。確かに川原田の心の中は、彼女を非難する言葉は多々あったが、殺意が向けられている様子はなかった。彼の殺したい人物が浮気をした恋人ではないとすれば、浮気相手の男しか考えられない。それは一体誰なのか、そこも知っておく必要がありそうだ。


「浮気相手も探ってみるよ。そいつを捕まえて川原田に謝罪させれば、丸く収まるかもしれない」

「そんなに上手くいくかなぁ。関わらないほうがいいんじゃない? 巻き込まれて殺されても知らないよ」


 縁起でもないことを姉は言った。できることならば俺もそうしたい。しかしここまで来て引くのも違う気がするし、やはりこれは特別な力を得た俺にしかできないことなのだ。自分でもアホらしいと思うこともあるが、何か得体の知れない使命感のようなものによって、俺は突き動かされていた。


「もう少しだけ探ってみて、やばそうなら手を引くよ。まあどうせ、そのうち収まるだろうけど」

「そうだといいけど。さてと、夕飯作らなきゃ」


 ぱん、と手を叩き姉は立ち上がる。制服の上からエプロンを着て、冷蔵庫を漁る。


【久しぶりにお母さんの手料理が食べたいなぁ】


 偶然だろうか。ちょうど俺も今、姉と同じことを考えていた。それを言えばまた叱責されそうで、黙っていた。

 またそのうち、母さんのお見舞いに行ってやろう。そんなことを考えながら、ソファーに寝転び、スッと目を閉じた。

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