第9話

「しっかし、びびったな。ボスギャル怖すぎ」


 昼休みになり、弁当の唐揚げを頬張りながら小泉は小声で言った。ボスギャルとは、男子たちが影で呼んでいる井浦のあだ名だ。


「……そうだな」

「それにしても藍田ちゃんには驚いたな。まさか妊娠なんてな。俺、藍田ちゃんも少しいいなって思ってたのに」

「お前は高梨美晴が好きなんじゃないのかよ」

「一番はそうだけど、藍田ちゃんは二番か三番かなぁ。でも十五番くらいに格下げかな」


 俺は苦笑しながら、姉が作ってくれた弁当を口に運ぶ。母さんの作る甘い卵焼きとは違い、少ししょっぱかった。


「しっかし、誰が黒板にあんなことを書いたんだろうなぁ」


 口に物を入れながら喋るなよ、と思いつつ「さあ」と俺は答えた。

 一人寂しく弁当を食べている雪乃に視線を送る。彼女はまた、心の中で食材の名前をぶつぶつ呟きながら口に運んでいた。


【唐揚げ、ご飯、エビフライ、ブロッコリー、コロッケ、ご飯】


 いや揚げ物多いな、と一人心の中で突っ込みを入れ、雪乃から視線を逸らした。


 昼休みが終わって五時間目の授業が始まる。藍田の姿はなかった。おそらく早退したのだろうけど、それは英断と言えるのかもしれない。


【あのアバズレ、どこ行った】


 何をするつもりだったのかは分からないが、井浦は昼食のパンを食べ終わると藍田を捜していたのだ。ほとぼりが冷めるまで、数日間は休んだほうがいいのかもしれない。



 放課後、生徒たちが教室を出ていく流れに合わせて、俺もこのまま下校しようかな、と思った。けれど俺は真相を確かめるべく、その場に踏み止まった。

 変に疑われないように、一度教室を出て三十分ほど時間を潰し、再び教室に戻る。雪乃は廊下側に背を向け、自分の席に座ったまま窓の外を眺めていた。


【飛行機が飛んでる】


 そりゃあ飛行機なんだから、飛ぶに決まっている。言葉には出さずに突っ込みを入れる。

 背後の気配に気づいたのか、雪乃はゆっくりと振り返った。


【なんだ、碧くんかぁ】

「そういやなんで俺のこと、名前で呼ぶんだよ」


 本題に入る前に、気になっていたことを訊いてみる。


【だって皆からそう呼ばれてるし、碧くんの苗字、忘れちゃったし】

「だから、森田だって。何回自己紹介すれば覚えるんだよ」

【ああ、そうだったね。ごめん】


 雪乃は鞄の中からクマのぬいぐるみのようなキーホルダーを取り出し、手を持ったり足を持ったりと、呑気に人形遊び始めた。藍田があんな目に遭ったのは誰のせいなのだ、と言いたかったが言葉を飲み込んだ。少なからず、いや半分は俺の責任でもある。この聞こえる力を悪用し、俺は藍田の心の中に土足で踏み込み、得た情報を雪乃に密告した。全ての元凶は俺なのだ。そういうわけで、彼女を一方的に糾弾するのは躊躇われた。


「どうして、あんなことをしたんだ?」


 理由はなんとなく分かってはいたが、訊かずにはいられなかった。


【あんなことって?】


 俺のほうを振り向かずに、雪乃はクマのキーホルダーに視線を落としたまま心で呟く。雪乃の手のひらより大きいクマは、無表情で雪乃を見つめているようだった。


「だから、あんなふうに黒板に書くことはなかったんじゃないか? 皆に教えるなんて、聞いてないぞ」

【だって私、喋れないから】

「……だとしても、公にする必要はなかったんじゃないのか?」

【じゃあ碧くんは、他にどうすればよかったと思う?】


 まさか聞き返されるとは思っていなくて、俺は返答に窮した。どうすればよかったのか、雪乃の問いに腕を組み沈思黙考をする。


 数分考えてみたが答えは見つからず、壁掛け時計の秒針の音が気になりだした頃に思考を中断した。


「黙って藍田の決断を見守っていればよかったんじゃないの? 産むなり下ろすなり、時間が経てば解決してたと思うけど。うん、きっとそうだ」


 言いながら俺は自分の言葉に頷く。詳しくは知らないけれど、中絶の手術ができる時期は決まっていたはずだ。妊娠何ヶ月までかは忘れたが、それを過ぎてしまうと母体に負担がかかるとかで、手術ができないのだ。あのまま放っておけば、きっと藍田はなんらかの答えをだしていたことだろう。それを俺たちが、邪魔をしてしまったのだ。


【本当にそうかなぁ。私には、無理だと思うなぁ】

「なんでだよ。どうして無理だと言い切れるんだ」

【じゃあ碧くんは、時間が経てば解決できるって、言い切れるの?】


 今日の雪乃は、やけに反論をしてくる。だんだんとイライラしてきた俺は、声を荒げて言い返した。


「俺さ、知ってんだよ。藍田を吊し上げて、自分はいじめのターゲットから逃れようとしたんだろ。実際、お前は今日井浦から嫌がらせを受けていなかった。井浦は藍田をどう料理してやろうか、ってことばっか考えていたからな。やられたよ。藍田だけじゃなく、俺まで利用するなんてな」


 言うつもりのなかった言葉を、俺は一気に捲し立てた。雪乃は一瞬、悲しげな表情を見せ、握り締めていたクマのぬいぐるみを鞄の中に入れた。


【悲しいなぁ。碧くんは、そんなふうに思ったんだ】


 核心を突かれ、雪乃は動揺すると俺は思っていた。しかし彼女の反応は、俺が予想していたものとは違っていて、再び返答に窮する。

 雪乃は顔をこちらに向け、哀れむような目で俺を見つめる。


【でも、そう思うのが自然だよね。私が書いたこと、皆に言いふらしてもいいよ。碧くんがそうしたいなら……】


 唇を動かさずに言い終えると、雪乃は席を立ち、教室を出ていった。

 なんだよ。なんなんだよ、あいつ。

 追いかける気にはなれず、俺は適当な椅子に座り天井を見上げ、深く息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る