第32話 開かずの手紙と、土曜日はアリスと一緒に

 土日の慌ただしい休日が過ぎ、月曜日の朝を迎えた。普段通りの時間に、学校へ向かう爽太の姿があった。


「ふわあっ~……」


 小さくあくびをする。爽太にとって、この土日は今までに経験のない事の連続で、どうも疲れがとりきれなかったようだ。

 土曜日は、高木と水族館へデートの練習に行き、そこでまさかの細谷と遭遇。なんとか誤魔化して緊張しながら3人で見学をした。

 日曜日は日曜で、高木が家にやってきて、アリスとのデートプランについて練りなおし。

 いつもなら、友達とサッカーや、ゲームをして遊び、月曜日を元気いっぱいで迎えているなのだが、ここ最近は心身ともに苦労が絶えなかった。


 アリスが俺のクラスに来てからずっとこんな感じだな……。いや、アリスに間違って告白してからか……。

 爽太の頭の中で、アリスの顔がふと浮かぶ。綺麗な金色の髪を慌ただしく揺らし、大人びた顔つきがみるみる赤くなっていって。あのすごく恥ずかしそうな表情が、忘れられない。


 爽太の顔もつい赤くなっていく。


 あ~、もうっ……! あのババア(母ちゃん)のせいで……っ!! 


 爽太は片手で頭を荒くかく。


 『友達になってください』を、『プリーズ! ビー・マイ・ガールフレンド!!(僕の彼女になってください!!)』、なんて間違った英語をわざと教えるからこんな大変な事に……!! いや……、でも、そもそも……、お、俺がア、アリスのスカートにイタズラしたのが悪いんだ……。うぅ、あの時の俺に言いたい。バカな事はすんなって。

 爽太は力なく息を吐くと、ぼんやりとした目で空を眺めた。とても爽やかな青空。水色のキャンバスには所々、ふんわりとした白が浮かんでいる。トクン、と爽太の心音が急に跳ねた。脳裏に焼き付いた記憶が蘇る。アリスの水色のスカート、そして、その先にある真っ白な――、


「爽太くん」

「ほにゃあっ!?」


 爽太は突然後ろから聞こえた声に驚いてしまった。

 慌てて声のした方に振り向くと、そこには細谷がいた。申し訳なさそうに両手を前に合わせていた。


「ご、ごめん! お、驚かせちゃって……!」

「へっ!? あっ、い、良いって! お、俺がぼーっとしてたから! あはは……!!」


 爽太は頬を赤くしながら答えた。さっきまでアリスの事を考えていたと思うと恥ずかしい。特に最後の方の事を思うとなおさらだった。

 お、俺は、エッチなのか……!? スケベなのか……!? い、いや、ち、違う!! 俺はバカだ!! そう! バカだからそんな事を考えたんだ!! 

 必死に自分のスケベさを否定していると、細谷が少し心配げな顔をしながら横に並んだ。


「だ、大丈夫? 爽太くん?」

「だ、大丈夫!! 俺はバカだから……! あはははは……!!」

「えっ!?  えっと……、あ、あはははは……」


 爽太の返事に、細谷は困り顔で返した。互いに無口になって歩いていく。

 細谷とは、たまに通学で一緒になることもある。そのときは互いに楽しくしゃべりながら学校へ向かうのだが、今日はなんとも気まずい雰囲気だった。


「ど、土曜日は、ありがとうね、爽太くん」


 細谷が静かに呟いた。


「へっ!? ど、土曜日?」

「う、うん。その、僕を含めて、アリスちゃんや、高木さん、それに、爽太くんと、4人で水族館に遊びに行くの、OKしてくれてさ」

「あ、あ~、そ、それね」


 細谷が、なんで俺と高木が、土曜日に水族館に来ているのか訊いてきたときだよな。

 爽太は記憶をたどっていく。

 その理由を、俺がアリスと仲良くなりたいからだと、言って。それで高木とアリス、俺の3人で水族館に遊びに行く予定と嘘をついたら、細谷も力になりたいと言ってきて……。それで、4人で行くことになったんだよなあ……、あはは。


「ま、まあ、お礼ならさ。俺なんかより、た、高木に言ってくれよ。あ、あいつがOKしてくれたわけだしさ」


 まあ、俺が返事に困って高木に丸投げしたせいなんだけど。爽太が少し困り顔をすると、細谷が苦笑した。


「あっ、う、うん。そうだね。高木さんにもお礼を言うよ」

「お、おう」

「……、ねえ、爽太くん」

「ん?」

「僕、頑張って協力するね……! 爽太くんと、アリスちゃんが、仲直りして、友達になれるように!」


 細谷は気合いに満ちた笑みを浮かべる。爽太の心がちょっと罪悪感で痛む。細谷よ、アリスとはその、スカートのイタズラの件については許してもらってるんだ、ほんとは。で、でも、そ、その後の、俺がアリスに英語で『プリーズ! ビー・マイ・ガールフレンド!!(僕の彼女になってください!!)』、って言ったのがすごい問題になってて……。あ~、言いたい!! クラスメイトに広めたらダメなんだけど、ほ、細谷には、ほんとの事を伝えて相談したい!! 


「ほ、細谷……! その――」


『いいこと、爽太? あんたは今週、大人しくしてて。私が、アリスちゃんと色々と話しをつけるから。だからあんたは、アリスちゃんに関わる事で変な事しない! 余計なことしないこと!』


「はっ……!?」


 爽太は思わず小さな声を上げた。そうだ、俺は昨日の日曜日、高木にそう言われてたんだった。アリスとのデートプランを練りなおした後、高木が帰り際に言い残した言葉を、ふと思い出した。


「ん? なに?」

「うっ!? い、いや、その、あ、ありがと、ほ、細谷! あははっ!」


 爽太はそう言って、乾いた笑いをこぼした。細谷は、嬉しそうに微笑む。

 あ、あぶねえ。危うく、高木との約束を破るとこだった。はあ……、もうほんと今週は静かにしておこう。


 そうこうしているうちに、校門が見えた。校内へ進み、細谷と爽太は下駄箱へ。爽太が自分の下駄箱を開けたとき、思わぬものが目に飛び込んできた。


「なっ!? ええっっ!?」

「爽太くん? どうしたの?」

「あっ! いや、あ、あ、あの……」


 細谷が不思議そうに首をかしげ、こちらを見つめる。


 爽太の鼓動は今大きく脈打っていた。全身に緊張が走る。爽太の上靴の上に、ちょこんと載っている、手紙のせいだった。それは自分が書いたもの。そう、アリスを、水族館のデートに誘うための手紙。その手紙には、返事を下さいと書いて、アリスの下駄箱に入れたものだ。つまり、今、俺の下駄箱にこの手紙があるという事は、アリスが、返事を書いて入れたってこと……!!


「爽太くん?」

「いひゃあ!? は、はひっ!?」

「えっと、上靴、履き替えないの?」

「へっ!? も、もちろん履きますよ!? 履きます!!」


 爽太の額に汗が滲む。緊張して小刻みに震える右手を上靴に伸ばした。そっと手紙を掴む。思わず喉が鳴る。ちらりと細谷に目を向けると、怪訝そうな顔していた。こ、このままではまずい。


「……、あっ!! ほ、細谷、後ろ!!」

「えっ!?」


 細谷が慌てて後ろを向いた。その瞬間、爽太は、右手に掴んだ手紙を慌ててポケットに押し込んだ。手紙がしわくちゃになる音が嫌に大きく耳に届く。細谷が、爽太に顔を向け直した。


「爽太くん? 後ろ……」

「いっ!? あ、あの……、ひ、ひかかったな細谷! 別に何にもないし!! あははははっ!」

「もう、爽太くん」


 細谷はイタズラされたと勘違いし、頬をむくれさせた。爽太はひとまず安心した。と、とりあえず、ご、ごまかせた。

 爽太は急いで上靴に履き替えると、細谷とともに自分のクラスへ向かう。廊下を歩いている間、爽太の鼓動は粗ぶっていた。ポケットにしまい込んだ手紙が気になって仕方がない。

 あ、アリスの返事がきたんだ。う、うお……!! み、見たい!! で、でも、手紙を見るタイミングがないっ……!!

 そうこうしているうちに、自分の教室についてしまった。細谷と爽太は、そのまま扉を開け中へ。

 爽太の視線が慌ただしく動く。そして見つけた。教室の窓際で、数人の女子と楽しそうに話している、アリスに。

 金色の綺麗な髪が、笑顔とともにサラサラと揺れている。端正で大人びた顔つきだが、無邪気に笑いながら、友達と話している表情は、とても可愛い。女の子らしいあどけなさに満ちていた。

 アリスが、こちらの視線に気付いた。一瞬だけ、目と目が合う。アリスのほがらかな表情が一瞬にして崩れた。顔を強ばらせ、すぐに視線を反らされた。でも、それで十分だった。アリスがとても恥ずかしがっている、と分かったから。

 爽太の体が、自分の大きな心音で揺れる。ぎこちない動きで自分の席に座った。背筋はピンッ! と、伸びている。

 ど、どうしよう……!? ア、アリスは一体なんて返事を書いてる!? デートの誘いはOK!? それともNO!?

 爽太が自分の席で硬直してる間に、予鈴が鳴った。爽太に緊張が走る。アリスが戻ってくるのだ、自分の隣の席に。


 カタン。

 

 隣の席の椅子を引く音が聞こえた。

 

 うっ……!


 隣に座ったアリスに全意識が持っていかれる。でも、恥ずかし過ぎて目を向けられない。

 本鈴もなり、担任の藤井教諭がやって来た。いつもの朝のホームルーム。ほんの5分前後のことなのに、すごく長く感じられた。ずっとアリスの様子ばかり気になってしまう。先生が何を喋っているかなんて、頭に入ってこない。

 朝のホームルームが終わり、アリスがおもむろに席を立つ。日本語がまだ苦手なアリス。皆とは違う授業を受けに、このまま別教室へ向かってしまう。


 アリス……!!

 

 爽太は必死に、目でアリスの背を追う。アリスはこちらを振り向かない。絹のように細くて、繊細な金色の髪を揺らめかせながら、なんだか固い足取りで、教室のドアに歩み寄り、手を伸ばして――、


 コツン。


「なっ!?」


 爽太は思わず驚きの声をこぼした。アリスがおでこを教室のドアに軽く打ち付けていた。教室のドアを開けるより早く、廊下へ出ようとしたせいで。

 アリスの顔が見る見る真っ赤になっていく。とても恥ずかし気に、うつむきながら教室のドアをしっかり開け放つと、慌てて出ていった。

 アリスのうっかりした行動に、クラスの皆が小さく笑っていた。だが爽太は笑う余裕なんて全くない。

 ア、アリスはきっと、俺に手紙を渡したことで頭が一杯で……。それで教室のドアにおでこを……。

 そう思うと、爽太の全身が熱くなる。右手が、アリスの手紙をしまったポケットに入った。手紙を思わずにぎってしまう。見たい、手紙の返事を……!! 


『いいこと、爽太? あんたは今週、大人しくしてて。私が、アリスちゃんと色々と話しをつけるから。だからあんたは、アリスちゃんに関わる事で変な事しない、余計なことしないこと!』


 爽太は思わずハッとした。そ、そうだ、高木がアリスと話しをしてくれるんだ。だったら、このアリスの手紙の返事に、水族館デートの誘いがYESかNOかなんて、見ても仕方ないんじゃ……。で、でも、見たい!! うぅ……、で、でも高木から変な事するなって言われてるし……。


 爽太は頭を抱えながらこの日、悶々とした時間を学校で過ごした。そして、家にアリスからの返事の手紙を持ち帰り、見ようか、見ないか、散々迷い、結局見ないで自分の部屋の机の引き出しにそっとしまったのだった。


 そして高木の言いつけ通り、大人しく学校での時間を過ごしている間、高木はアリスと無事に話しをつけたらしい。細谷を含めた4人で今週の土曜日に、水族館へ遊びに行く約束を取り付けた。

爽太は学校から帰った後、家の電話で高木からそのことを聞かされ、息を飲んだ。4人とはいえ、アリスと一緒に、遊びに行くことになった。

爽太は平日の学校の時間を悶々と過ごし、そしてとうとう、約束の土曜日を迎えた。

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