私情まみれのお仕事 演出編

赤川ココ

第1話

 それが起こったのは、遮断機が下りきった踏切内の線路の上、だった。

 その日、急いで踏切を横切ろうとしたある母親がよたよた歩きでおぼつかないものの、懸命に歩く子供の手を引いて歩いていたのだが、それがこの出来事の発端になってしまった。

 おぼつかない足取りで、踏切内に入った子供の足が、線路のわずかな隙間に入り込んでしまったのだ。

 その瞬間鳴り響いた警報機に、飛び上がった母親は焦って子供の足を引っ張ったが、うまい具合にはまり込んでしまったらしく、引き抜けない。

 混乱してなかなかわが子を助けられない母親の心が伝染してしまったのか、べそをかき始めた子供と、助けを求めて周囲を見回した母親は、線路の振動とともに巨大な鉄の塊をその直ぐそばで迎えることになった。

 この都市は素通りする列車が目の前に迫り、轟音のみが耳に響く。

 そして、警報機の音だけが周囲に残った。

「……おい」

 ふいに、ぶっきらぼうな言葉遣いの、のんびりした声が母親にかかった。

 知らず閉じていた目を開け、すがりつくように抱きしめていた子供を見下ろした母を、幼い目がきょとんと見上げている。

 全く知らない声の主を探して顔を上げると、そこに一人の若者が立っていた。

 何かの陰から見える日の光の逆光で、シルエットがはっきりとして男とわかるが、十代後半に見えるその体格は、この国でも男としては小柄だった。

 短めの黒髪なのに乱暴かつしっかりと後ろで束ねたその若者は、見上げた女を見ないまま言った。

「一分だけ止めといてやる。さっさと子供を連れて、行け」

 そう言われて、母親はやっと気づいた。

 日が遮られている訳を。

 若者が手を添えている大きな物体が、太陽の光を遮っているのだ。

 時々耳障りな機械音を立てるそれは、線路の内側で立ち往生する母子の前で、ぴたりと止まっていた。

「……」

 目の前のことが信じられず、動けない女の目の先で若者はため息を吐く。

「……ったく、オレは何をやってるんだっ。厄介ごとから逃げてる最中のくせに、人助けかっ? つくづく、らしくないっ」

 自嘲気味に吐き捨て、まだ固まっている二人を見下ろした。

 その目と目が合い、どきりとした母親に若者が吐き捨てた勢いのまま怒鳴った。

「早くしろっ。次の列車が来たら、もう知らんぞっ」

 びくりとして頷き、それでもまだ夢のように感じて女はのろのろと動き始めた。

 先ほどできなかった子供の足を溝から引き出す作業を再開したのだが、夢うつつの今の状態では余計にうまくいかない。

 焦れた若者が再度怒鳴ろうとする気配に首を竦めたとき、助けの手が添えられた。

 母親の手を、透き通るような白い手が、軽くたたいた。

「落ち着いて。引っ張るだけじゃあ、その子が痛い思いをするだけだ」

 先ほどとは別人の、無感情な声がそう言い、その声の主がその場に膝をつく。

 顔を上げた母子が、二人とも思わずぽかんとその容姿を見てしまった。

 手と同じくらい白い顔の、美少年といっても言い過ぎではない、そんな若者がそこにいた。

 くせのない薄色の金髪を短くしているその若者は、子供すら見とれているのに気付いていないのか、全く自然に女に手を貸し始める。

 それをちらりと見た黒髪の若者が列車に手を添えたまま、首を傾げた。

「お前、こんな所も放浪しているのか? ここで鉢合わせは珍しいな」

 それを受ける方は、顔を伏せたままだ。

「あんたは珍しく人助けの最中か。あんまり珍しかったんで、思わず来てしまったんだ。れんを撒いてる最中なのに」

「蓮? お前もか。……絶対そうだと思って逃げたんだが、お前を巻き込もうとする位だから、相当の厄介ごとらしい。逃げて正解だったな」

 一人頷いている若者に、ようやく顔を上げた若者が問いかけた。

「そう思うなら、何でこんな所でこんなお節介やってるんだ? あの人、まだ追いかけて来るぞ、珍しく怒ったみたいで」

「あいつを無闇に怒らせるな。ただでさえ厄介な奴だというのに、余計厄介だ」

「うん。普段なら、あれで怒らないんだけどな……」

 言いながらも顔を上げながら立ち上がっていた若者は、仕草でまだ座り込んでいる母子を促して立ち上がらせる。

 それを察して黒髪の男は少し身を引き、呟くように言った。

「まあ、別にさしたる理由はないんだが……強いて言えば、目と鼻の先で血生臭いことが起こるのは、後ろめたかったんだろうな」

 他人事のような、先ほどの問いへの回答に、踏切の遮断機を下からくぐって母子を線路から避難させていた若者は、笑いもせずに頷いた。

「まあ、そんなところだとは思ったよ。あんたなら、その目と鼻の先で何かが起こる前に、逃げる方を選ぶはずだというのは、この際考えないでおいてやるよ」

「ほっとけ」

 線路内の若者が言った直後、轟音が起き、列車が通り過ぎた。

 その巨体の起こした風と音が去った後、母子は踏切の外に取り残されていた。

 傍にいたはずの金髪の若者も、線路内にいたはずの黒髪の若者も、消えている。

 今起こったことは、夢だったのか……ぼんやりと座り込んでいる母親と、線路内で脱いだ靴を傍らに見つけ、おぼつかない手つきで持ち上げた子供の方に、踏切の向こう側から小柄な若者が走ってきた。

 先ほどの二人より少し年少でさらに小柄な若者は、全力で走って来たのか、今時珍しいほど長く伸びた黒髪を束ねた背中を揺らし、肩で激しく呼吸をしている。

 母子の傍で立ち止り、息を整えながら言葉を吐き出した。

「くそっ、滅多にねえチャンスを、思わず見送っちまったっっ」

 意味不明の言葉をぼんやりと聞き流し、母親は子供に急かされるままに靴を履かせてやり、立ち上がった。

 子供のズボンの砂を払ってやり、その手を取って歩き出す。

 その背を、立ち尽くしたまま小柄な若者が見送った。


 短気は損気。

 その言葉が身に染みる現在の状況を、蓮は母子を見送りながらしみじみと噛みしめていた。

 いつもなら素通りできる行動や言葉でも、その時の事情や心境で反応が違ってしまうのは、人という生き物としては当然の話だ。

 だから、相手がその時々で捕まらないのも当然なのだが……。

 今日の自分は、短気だ。

 冷静になった頭で、蓮は自分をそう評価した。

 いつもなら、こんなことにはならない。

 今日、蓮はある男に呼び出され、仕事を頼まれた。

 緋色の髪と翡翠色の瞳の外見を名前の漢字に当てたその男は、極々普通の護衛じみた仕事を持ってきた。

 しかし、勘の良さには定評のある蓮は、緋翠ひすいの背後で動く人物の陰に気づいた。

 その人物と係わるというだけでも厄介だと考えて断る気配を見せた若者に、緋翠は痛い所をついて嘆いて見せる。

 考えさせてくれと逃げて来るのが、精一杯だった。

 断る気は充分にあるが、その後の男との関係が拗れると厄介で、途方に暮れていた。

 実は、あの男と初めて会ったのは、ごく最近だ。

 こんな小さな若者を息子と紹介されて向こうも戸惑ったろうが、突然引き合わされた蓮も、どう接していいのか分からずこれまで来ていた。

 真剣に悩みながら街中に出た蓮は、本当に偶然、あの二人を見つけたのだった。

 両者別な場所で、全く別方向を向いているが、距離を考えると互いの存在には気づいている、そんな距離感の位置に、二人はそれぞれいた。

 黒髪の若者は、ベンチに腰かけて細長い白杖を抱え込み、珍しく何か考え込んでいるようだった。

 金髪の若者は、時計塔の傍の街灯の下に立ち尽くして、無感情に携帯機器を操作していた。

 話し相手にもってこいの二人で、思わず安堵のため息を吐いた蓮の目の先で、黒髪の方が動いた。

 不意に顔を顰め、故意に顔を背けて立ち上がり、逆方向へ足早に去って行く。

 相変わらずの露骨な反応に、蓮は思わず苦笑した。

 面倒事には、最初から係わらない、それがあの黒髪の若者の方針だ。

 仕方ないともう一人に目を向けると、こちらは表情も変えず、自分に背を向けて立ち去ってしまう。

 これもいつもの事なのだが、蓮は思わずそれでカチンと来てしまったのだ。

 大体、自分が人を頼る時は厄介な物事を持っている時だから、それを知る若者は手持無沙汰でない限り、逃げてしまう。

 いつもなら、仕方ねえか、で済ますのだが、今日は違った。

 真剣に悩んでいる上に、金髪の若者とは実に三年顔を合わせていなかった。

 だから、懐かしい気持ちも少しはあったのだが、相手の方はそんな心情をあっさり無視して走り去ってしまった。

 今思うと、それが一番カチンときた理由だったが、ともかく蓮は思わず我を忘れて追いかけてしまったのだった。

 いつもなら、逃げ足の速い相手にすぐ撒かれてしまうか、向こうが今自分の持つ用件との優劣を考えた後足を緩めてくれ、すぐに捕まえられるかの決着がつくのだが、今日は違った。

 何の前触れもなく、追いかけていた若者が立ち止ったのだ。

 蓮の目線の先で、若者は僅かに目を丸くして、踏切の方を見ている。

 そして、表情に呆れを滲ませながら、ゆっくりとそちらに向かって行った。

 珍しいその行動の隙に間を詰めようと足を速めた蓮も、そこの珍事を見つけて立ち止ってしまった。

 警報機が鳴り響く中、踏切内の線路で、意外な人物が立って列車を止めているのが見えたのだ。

 思わず呆気にとられ、線路内にいた母子らしい二人を、金髪の若者が促して向こう側の踏切を潜り出、列車が轟音を立てて走り過ぎるまで、蓮はそのまま立ち尽くしてしまっていた。

 目の前を列車が横切った時、我に返って踏切に近づいて線路を渡ったが、二人の姿はなかった。

 呼吸を整え、母子の背を見送りながら、蓮はしみじみ思う。

 今日の自分は短気で、確かに頭の冷静さは欠いていた。

 だが。

 蓮はいつの間に手にしていたのか、右手にある自分の携帯電話を開きながら、にやりとした。

 さっきの二人の行動をつぶさに撮った動画が、そこにあった。

 長年の経験が、頭で考えるより、手を無意識に動かしていたのだ。

 良心は、こんな盗撮まがいな行為するもんじゃないと言っているが、そう思うのなら無意識でもこんなもの撮るはずがない。

 心の葛藤はすぐに打消しながら、蓮は誰にともなく呟いた。

「結構うまく撮れてんな。このまま週刊記者に売っちまうか。それとも、ネットで流しちまうか」

 合成ではないが、どちらにしても信ぴょう性を論議されそうな代物となるだろう動画入りの携帯機器を持つ蓮に、先に近づいたのは黒髪の方だった。

 女が現実味を忘れるのも、無理はない。

 今は不機嫌に細められた目の瞳の色は恐ろしく薄く、視力がないために白くなった瞳孔が、更に瞳の色を薄く見せていた。

 基本的に優しいこの若者は、どんなに怒っていても知り合いである蓮に、力づくで来ることはない。

 来るとすれば……。

 蓮は、迫りくる気配を避けながら、携帯電話を守った。

 横合いからの不意打ちを避けられた金髪の若者は、小さく舌打ちして蓮を睨んだ。

 その、瞳孔と変わらない黒々とした瞳を見返しながら、蓮は冷静に言った。

「悪いな。こっちも、手段を選ぶ気がなくなっちまった。出来れば、話くらいは聞いて欲しいんだが?」

 二人は黙ったまま蓮を睨んでいたが、先に目を逸らしたのは黒髪の方だった。

 深々と息を吐いてから、口を開く。

「場所を変えるぞ。この辺は、そろそろ通行量が増える」

「……」

 まだ隙を伺いながら、金髪の方も頷く。

 蓮も頷いて二人に続いて歩き出しながらも、警戒は続けていた。

 返事もなく、脅迫にも屈していない。

 自分の出方次第で、逃げられる可能性はいくらでもある。

 表面上は不敵に笑いながら、蓮はこの後どう話を進めるか、考え始めていた。


 何なんだ、これは。

 たった今、注文されたコーヒー三つを客三人に出した喫茶店のマスターは、カウンター内に入りながら身を縮めた。

 入って来た三人の内、二人は時々来る客と常連の客だったが、今日は二人共軽い会釈のみで黙ったまま店の奥に行ってしまった。

 いつも愛想がいい人たちではないが、今日は剣を帯びている気がする。

 残りの一人は、初めて来る客で、自分にも愛想よく会釈して二人に続いて奥へ歩いて行った。

 どうやら、険悪な空気の原因はこの初対面の客のようで、マスターから見ると命知らずにも不敵な笑みを崩さない。

 マスターが知る限り、この二人を怒らせて平常心を保てるものはいなかった。

 だが、二人より少し年少に見えるその若者は、全く怖じける様子は見えなかった。

 内心感心しながら、我関せずの姿勢を作ってグラスを磨き始めたマスターは、視線の端で初対面の若者が携帯電話を手元で弄んでいるのを見ていた。

「まさか、こんなもんを撮る隙を作ってくれるとは、オレも思ってなかったぜ」

「……」

 楽しげに言う若者とは対照的に、向かいの黒髪の若者は苦々しく舌打ちした。

 何も言わない隣の若者の代わりに、金髪の若者が無感情に、しかし目だけは相手の隙を伺いながら低い声で返す。

「しばらく会わない内に、あんたに盗撮癖が出来てたなんて、私も知らなかったよ」

「んなもん、あるかっ」

 これにはむっとしたらしく、若者は言った相手を見据える。

「キョウはともかく、お前まで一目散に逃げやがるから、思わず撮っちまっただけだろうが」

 その目を見返して、金髪の若者はゆっくり首を振った。

「私も仕事が入ってるんだ。そっちには係われない」

 その答えに、相手は懐疑的な目を向けた。

「その割に、あんな場所でのんびりしてたじゃねえか」

「ロンと待ち合わせ中だったんだよ」

 根が正直な若者の答えに、小柄な若者が目を見張り、代わりに鏡と呼ばれた若者が、目を丸くして隣に顔を向けて尋ねた。

「何だ、お前の方も厄介な仕事なのか? その状態で危ういほどに?」

「出来ないほどではないかもしれないけど、厄介な依頼なんだ」

「ほう」

 仕事の内容にまで興味を抱かず頷いた鏡の向かいで、幼い若者が顔を曇らせた。

「そうか。まあ、元々、仕事を手伝ってもらうつもりでも、なかったんだけどな」

 呟いた声に、向かいの二人が顔を上げ、若者を睨んだ。

「こら、レンっ」

「あんたな、だったら、どういうつもりでそんなもの撮ったんだよっ?」

「さっきも言っただろうがっ。思わず撮っちまったって」

「思わずっ? お前なあっ」

「元々は、厄介な仕事をどう断ればいいか、相談したかったんだよっ。なのに、あんたはともかく、こいつまで逃げやがるもんだから……つい」

「ついって……今までだって、無理なら逃げてただろっ。何で今日に限って・・・」

 鏡が隣に怒りを向ける前に、向けられかかった若者が反論すると、蓮と呼ばれた若者は天井を仰いだ。

「それは……まあ、心の余裕の有無の問題で、思わずカチンってな」

 その様子を見て、金髪の若者は肩の力を抜いた。

「……珍しくしつこいから、おかしいとは思ったけど、そこまで余裕がなかったのか」

 力なく呟く若者の前で、蓮は携帯電話を操作した。

「動画はこれが一件だけだ。今消す」

 脅迫材料をあっさりと消去するさまを見て、マスターは少々残念に思いながらも、興味のない振りをしていた。

「あんたをそこまで困らせる仕事か。どんな仕事なんだ?」

 無感情な声で切り出した若者の隣で、蚊帳の外になったはずのきょうも頷き、話くらいは聞いておこうという姿勢でいる。

 いつもの声に促されて、蓮は話し出した。

 蓮という若者は話すことに集中して、鏡もいつものように相槌を打っている。

 金髪の若者は目を伏せて眠っているように見えるが、それでもマスターは慎重に眼鏡を定位置に戻した。

 話に耳が向いてしまうのを、必死でこらえての動作だ。

 興味はあるが作業を続けるマスターの様子を気にせず、話し終えた蓮はコーヒーを啜った。

 そのまま相手の言葉を待つ若者の向かいで、鏡が目を伏せたまま黙っている隣の若者を、肘で小突いた。

「おい、お前の仕事とやら、先送りは出来んのか? せめて、掛け持ちで出来る物ではないのか?」

「キ……キョウ?」

 一瞬間を置いた呼び掛けが、この蓮という若者と鏡の付き合いが、短いものではないと言っていた。

 相槌は、鏡の癖、だ。

 その相槌のお蔭で、話はするすると出来てしまうが、鏡本人は条件反射でやっているだけで、話の内容は聞き流してしまっているのだ。

 いつもなら、半分も内容を理解していないはずなのに今日は違うようで、それだけでも驚きだというのに……。

「何だ?」

 聞き返した鏡に、蓮が恐る恐る尋ねた。

「まさか、仕事を、手伝ってくれる、のか?」

「ああ。構わんぞ」

 マスターがカウンター内でグラスを取り落し、カウンターテーブル上に落ちたグラスの音と、蓮が思わず立ち上がる音が重なった。

 勢いが過ぎて、椅子が派手に倒れるのに構わず、蓮は喚くように言った。

「あんた、正気かっ?」

 遠慮の見えないその物言いに、慌ててグラスを拾ったマスターは目を丸くしたが、構う者はいない。

 怒る様子もなく、鏡はいつも通りのんびりと返した。

「正気でないなら、何だという気だ?」

「当然のこと、聞いてんじゃねえよっ。気が違っちまったんじゃねえのか? さっきの踏切の件と言い、何か変じゃねえか」

 話が見えない問いに、鏡は重々しく頷く。

「ああ。あれは、我ながら変だった。自覚はある。だから正気だ」

「いや、自覚があるから正気と言われてもな。一体どういう風の吹き回しだ?」

「別に……」

 当然の問いに、鏡は少し躊躇ってから答えた。

「出来れば、一時身を隠した上で、この地を離れたいのだ。それをするにはここでの守備を広げ過ぎて、オレ自身だけでは収集しきれない。金がなさ過ぎてな」

「……何か、あったのか?」

 椅子を立て、座りながらの問いにただ頷く若者をしばらく凝視してから、蓮は頷いた。

「そうか。助かる」

「その仕事、赤毛が係わっているのだろう?」

「本当によく聞いてたな。ああ、あの人が持って来たんだ」

「あいつが係わる仕事はろくなもんではないが、その分、どこからでも搾り取ろうと思えば搾り取れる場合がほとんどだ。だが、オレとお前だけでは、あの赤毛がどんな企みをしているか先読み出来ん分、成功確率は三分の二にしかならん。どうせなら、確実に成功したいだろう?」

「ああ。オレもそう思う」

 頷いた蓮は、先ほどから話に加わらず、目を伏せたままの若者を見た。

「おい、セイ」

 呼び掛けながら右手をテーブル上に滑らせ、流れるような仕草で添えつけの灰皿を取り、呼び掛けた若者の頭を攻撃した。

 容赦の一かけらもない一撃に、マスターはぎょっとしたが、蓮は構わずきっぱりと言った。

「寝てねえで、答えろっ」

 流石にテーブルに突っ伏したセイと呼ばれた若者が、身を起こしながら文句を言う。

「……あんたな、店の備品で、何てことするんだっ?」

「うるせえっ。お前はこの位しねえと、返事もしねえじゃねえかっ……て、灰皿の方が変形しちまったぞっ。お前、弁償しろよっ」

「自分で勝手に使っておいて、何言ってるんだよっ。板金を加工した百均で売ってる奴なんだから、それくらいあんたが弁償したらどうだっ?」

 その言葉に、蓮はきっぱりと返した。

「分かった。その辺の金の話はお前に任す。それより、話を戻すぞ」

 あっさりと話を戻す蓮に、連れの二人は慣れているらしく、呆然としているのはカウンター内のマスターだけだ。

 それでも溜息を吐きながら、若者は先の言葉に答えた。

「寝てないよ。話もちゃんと聞いてたけど、話を聞いて相談に乗るだけでいいんじゃなかったのか?」

「そのつもりだったんだけどよ。この人が珍しくやる気になってんだぜ。百年に一度あるかないかの偉業に、箔を付けねえ手はねえだろ」

 しれっとしてコーヒーを飲む鏡を見ながらの言い分に、セイもそちらを一瞥してから言った。

「そうだな。やってみようか」

 鏡がコーヒーを口から吹いた。

 勿体ないとは言えない。

 マスターの手から落ちたグラスが、今度は床に落ちたのだ。

 慌てて拾って無事を確かめるマスターと、激しく咳込む鏡に構わず、蓮は身を乗り出してセイの額に手を当てる。

「お前、どっかで頭でも打ったか?」

「打ったというより、打たれただろ、さっき。自分で持って来た話を受けた相手に、よくそこまで言えるな、あんたは」

 眉を寄せる金髪の若者セイは、根は頑固だが事によっては意外にぽっきりと折れてくれるのだが……。

「お前が、一度は断った話を、全く渋らずに受けるとは。世紀末はまだ先なはずだが、何かの前触れかもしれんぞ」

 ようやく何とか立ち直り、少し咳込みながらしみじみと言う鏡の言葉に、全く持って同感だった。

 しかし。

「ちょっと待てよ。何であんたにまで、そこまで言われるんだっ?」

 思わず反論したセイの続く言葉にも、マスターは共感できた。

「あんたはどうなんだよ。ろくに逃げもせずに、いつもなら聞き流す話もしっかり聞いて理解した挙句、少しも嫌がらずに受けるなんて。カスミあたりが聞いたら、この星を出る算段をし始めるぞ」

「……それは、もしかして、オレの方が、お前よりも変だと言っているのか?」

 どんよりと問う鏡に、相手もどんよりと返す。

「自覚がないとは、驚きだな」

「なるほど。お前とは一度、きちんと白黒つけないといかんらしいな」

 不毛な言い合いで、険悪な空気が店内に漂い始めてしまった。

 先ほどより物騒な空気を、あっさりと笑って蓮が散らした。

「やめとけよ。どっちがより面倒臭がりかなんて、比べて何の意味があるんだよ。第一どう張り合う気だ?」

「楽そうな争いになるな」

 少し考えて答える鏡に苦笑し、その隣の若者に目を移した蓮は、話を戻した。

「で、何で受けてくれる気になった? それなりの理由があるんだろ?」

 機嫌を戻した隣の若者とは逆に、セイはどっと疲れたらしく、げっそりと答える。

「やっぱり、やめとく」

「もう遅えよ」

「そうだ、もう遅い。一度受けたんだ。もう引き返せんぞ」

「最初は断っただろっ」

「それはそれ、これはこれ、だ」

 普段は単独で動く二人だが、連携すると相手としては厄介らしく、セイはため息を吐いて反論を試みた。

「あのな……」

「話を逸らそうとしても、無駄だぜ。分かってんだよな、セー?」

 言いかけた若者を遮り、蓮が笑った。

 幼さの残る顔が、一切そのあどけなさを消し、物騒にも見える笑みだ。

 その表情に慄いてというより、図星を指されてたじろいだセイは、目を伏せてため息を吐いた。

「ちょっと、都合がいいかなと思ったけど、よく考えたら、あんたらと一緒じゃあ、逆に大変だから、やめとく」

「どう都合がいいんだ? ちゃんと話して見ろ」

「蓮、頼むから、自分事に集中してくれ。多分その仕事、カスミが絡んでる」

「そう思うなら、何で手伝ってくれねえんだ?」

「二人揃えば充分だろ」

「充分なものか。あの馬鹿親父が絡んでいるのなら、お前も絡めっ」

「冗談じゃない。こっちも……」

 あんまりな言い分に反論しかかった若者が、突然口を閉じた。

 向かいの若者がその不自然な沈黙に眉を寄せ、再び身を乗り出す。

「おい」

 呼びかけに顔を上げた相手を見据え、蓮はきっぱりと言った。

「吐けよ」

「……」

「その状態で危うい何を、お前は引き受けたんだ?」

 見返したまま逸らせない視線を受け、セイは重い口を開いた。

 重い口ぶりながらも、自分の話を始めるセイにマスターは驚いたが、その内容にも驚いた。

 話し終えたセイに頷き、鏡が笑った。

「なるほどな、そういう仕事か」

「確かに、オレの方の仕事は都合がいいな」

 納得して言う蓮は、軽くセイの頭を叩いて姿勢を戻すと、もう一人の若者を見る。

 鏡も頷き、考え込みながら口を開いた。

「しかし、まずいな。あの馬鹿親父が絡んでいる話だとしたら、出し抜くのは難しい」

「ああ。だから、最悪、あんたかこいつを引き込めねえようなら、断ろうと思ってたんだ」

「オレじゃあ役不足だ。あの親父の変さ加減は、並ではない。お前がそこまで感じたのなら、なおさらこいつを引き込んで正解だ」

「だから、あいつと一緒くたの、変人扱いはやめてくれ」

 蓮と頷き合う鏡に顔を顰めたセイだが、声には力がない。

 そんな若者に、盲目の若者は平然と言う。

「褒めたんだが」

「本当か?」

 疑わしいその言い分に疑いの目を向けつつも、何とか自分を取り戻し始めたセイは、表情を戻して首を傾げた。

「でも、カスミを出し抜けというなら、もう手遅れだぞ」

 思わず、カウンター内で固まったマスターに構わず、鏡も頷いた。

「そうだな。まあ、それは、仕方あるまい」

「? 何だ? 話が見えねえんだけど?」

「それは、後だ」

 話が見えない蓮にはそう返し、セイは話を戻した。

「出し抜くのは手遅れだけど、この後あいつを引かせる手なら、ないこともない」

「本当か」

「ただ、今の段階で引かせるにしても、これまででカスミの計画が実行されているかもしれない」

「されているだろうな。あの赤毛が、蓮をそこまで悩ませる話を持ち出せるわけがない」

「そうなんだよ。あの人が持ってくる仕事ってだけなら、やりやすいんだ」

 しみじみと頷く若者に、セイは続けた。

「だから、その計画を出来うる限り予想して、それの上を行く計画を考えるしかないな」

「ああ。頼む」

 真面目に頷いた蓮に頷き返し、セイは不意に声を改めた。

「じゃあ、話を深く進める前に……」

 無感情のままなのに何かの含みを感じるその声音に、マスターがそちらに目を向けると、無感情な黒い瞳がその目を見返していた。

 ぎょっとして後ずさり、思わずグラスを取り落すマスターを見て、セイはゆっくりと笑みを浮かべたが、その目は全く変わらない。

 背後の食器棚にへばりつく喫茶店の店員に目を向けたまま、セイは言った。

「口封じをしておこう」

 悲鳴は、上げられなかった。

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