濃藍の使用人達
@elecaxy
爆裂獰猛クッキング
城下町グライスへ出掛けた日から1週間が経つ。
ここ2日程、ジヴェルは休憩時間に眠ってしまうようになった。
エイシャにはその間、新しく部下にしたレガを側に付けているので短い間であれば問題はない。
因みに、辞令書へのサイン時に呪いが掛かっている事も伝えているのだが、レガは目をキラキラさせながら喜んでサインをしていたので、別の意味での心配はある。
暗い地下の自室でシーツにくるまって眠る。食事があまり喉を通らず、好きな甘い物も欲しくはない。
愛しいエイシャはどうしているだろうか。部屋で自分の姿を待っていてくれているのだろうか。
まさか、これ程辛い思いをするとは思っていなかった。大誤算も良いところだ。
ダルい身体を起こす。思ったより眠れず、頭がぼんやりとする。身体に熱が籠って火照っていた。
「……はぁ……」
吐息は喉を焼くように熱く、目の奥からじわりと滴が流れ、下瞼に溜まる。
鏡を見れば酷い隈の出来た自分の顔。
「……はぁ……くぅ……」
間違いない、ジヴェルは知っている。
「夏風邪」
「ごほっ……あまり私に寄らないでくださいませ……」
グライスに出た時に貰ったのかもしれない。女性に囲まれてこんな物を貰えばそりゃあ嫌にもなるだろうなとは思う。
「もう貰ってると思うわ。手遅れよ」
風邪の潜伏期間はウイルスにも依るが最大6日程。大体それまでに発症する。今発症であればエイシャは既に感染している可能性が高いのだ。
残念ながらこの世界の医療はさほど賢くない。魔法で解決してきた事が多く、実例よりも迷信が強い。
当然、ジヴェルも医療には明るくない様子で、正体の分からない赤い液体を持っていた。
「水飲んで、ご飯食べて寝ると良いわ」
ハッキリ言ってこの世界の薬そのものに効果があるものは少ない。魔法に頼ったこの世界はハーブに魔法を掛けて薬とする以外の発展はしていない。
前世では風邪と言えば抗生物質を処方され、整腸剤やら咳止めに去痰剤、アレルギー薬とお腹いっぱいになるほど薬を持たされたものだ。
(別に風邪なら抗生物質は必要ないだろうし……というか、この世界にそんな良い薬ないのよね)
「言い切りますね……知識がおありで?」
「療養の基本だと思うの。信頼できるのは自分の回復力よ」
エイシャの心中では(やばい、転生がばれる)と思って少しヒヤリとした。
確かに、と頷いてからジヴェルはふらつく頭を押さえながら口を開く。
「ではお言葉に甘えて……少し休みます。早く治して参ります」
そう言って闇を纏って消えた執事の後でエイシャはレガに尋ねた。
「たぶん、ご飯食べずに寝るよね、あれ」
「そうですわね」
燃えるような赤毛をポニーテールにした従僕姿の侍女、レガはうんうんと頷いた。そして閃いたように叫ぶ。
「思い付きましたわ!!」
(絶対ロクでもない事だわ)
「ジヴェル様に手料理でもお作りになっては?きっと喜ばれますわよ!」
「ほら!やっぱり!そう思ったわよ!」
ガッツポーズで燃えるように言い放つ彼女はきっともう止まらない。
燃えるメイドさん改め、燃える侍女さん、レガ・フレバール!
「つまりエイシャ様も同じ事を思っていらしたのですわね、健気ですわぁ……」
顔を紅潮させて言うレガ。
(そういう意味の”そう思った”じゃないわ。お約束だからよ)
これを口に出すのは疲れてくるのが目に見えるので止めておく。
「……そんで何作ったら良いの?早く終わらせよう……」
するとレガがキョトンとした
「エイシャ様が考えるのでは……」
「提案しておいて丸投げにされるとは思っていなかったわ。いいわよ、無難にお粥とかにしましょう」
粥。穀類を多めの水分で煮炊きした物。
この世界では米よりも麦が一般的だ。米が食べたいと思うことはよくあるが、粘り気のある食感はあまり浸透しておらず、粥と言えばもっぱら麦。
「厨房借りよう」
「ですわね」
ノーラン城の厨房は1階。
そこに降りて厨房の扉を開けると恰幅の良い竜人の女性が調理場の指揮を取っていた。
時間はちょうど使用人の昼食後。片付けに追われて慌ただしい音が響いている。
竜人の女性は滑らかな紅い鱗で覆われ、手には四本の指、頭には柔らかな淡い黄色の細いヒレが重なって頭髪のように見えた。
「あの……」
「なんだい!……ってあらあ……こりゃ使い様かね?」
最初の声だけでエイシャがビビってしまうが、隣にいるのはレガだ。物怖じせず声を掛ける。
「マチルダさん! 厨房を少し間借りさせて頂きたいのです!」
レガの大声に厨房で忙しくしていた料理人達が手を止めてこちらを見る。刺さる視線に気圧されるが、来てしまったら進むしかない。
「使い様がかい? 構いやしないけど……何するんだい?」
「えっえと……ジヴェルが風邪だから……お粥でも作ろうと思って……」
そこまで言うとマチルダと呼ばれた竜人の調理師は驚いた顔で声を上げた。
「へええ……! あの男も風邪なんて引くんだねえ! 綺麗な顔して不養生なんだねえ……。てことは、あんたがエイシャ様かな? あの執事はよくあんたの食事だけを取りに来るんだ」
「はい……へえ……」
マチルダはニコニコとエイシャ達を厨房内へ招き入れ、快く調理場の一角を貸し与えてくれた。エプロンまで貸し出してくれる優しさだ。
石造りの厨房は広く、少々慌ただしくても人の流れが滞らないようになっている。
「ここなら使って大丈夫だよ。火は点けられるね。食材は適当に使っておくれ、1食分なら大したことないだろ」
「ありがとうございます!」
そしてレガと用意した食材が、麦、卵、ベーコン(と思われる肉)、ほうれん草(と思われる草)だ。
「何か……これあんまり見たことない草なんだけど、本当にほうれん草? 私、野菜作ってたけどほうれん草だと思えないわ」
「どこが違いますの?」
レガの用意した野菜をよく見る。
ほうれん草はサラダ用や加熱用など食べ方によって種類も違うのだが、これは非常に葉がキャベツのように厚く硬い。そしてその割に色は薄い。
「……形はほうれん草ぽいけど」
「じゃあほうれん草ですわ。厨房にあるのだから食べられますわよ」
「…………そういう事にするわ」
ほうれん草(仮)。
そしてベーコンと思われる肉。
「これ何の肉?」
「バステリオンですわ」
「えっ……高級食材……」
バステリオン。黒猫にパグを足して割ったような見た目のモンスターだ。
狂暴な見た目に反してお腹が大きく、足も遅い。子どもの内は血液に毒素を秘めており、大人になると毒素は旨味に変わって最高の肉となるのだが。
特筆すべきはその死にやすさ。
人懐こい性格が災いし、常に人が居なければストレスで死に、怪我をすれば死に、出産は勿論、便秘でも死ぬ。そして繁殖期以外に同族で置いても飼い主を独占しようと取り合いをした末にストレスで死ぬという驚異の死亡率だ。
そして出荷可能な段階になると付きっきりで世話をした者が愛着から出荷を嫌がるという難関が待ち受けており、流通数は異様に少ない。
何故こんな自然に淘汰されそうな生き物が居て、しかもそれを食用にしようとしているのか訳が分からない。
「すご……でも使おう……」
サクサクと肉を切っていく。その横でレガがほうれん草(仮)を切ろうとしているのだが。
「はああっ!!」
燃え上がる両手! 赤く熱を持つ包丁! 燃えるまな板! 燃えるほうれん草(仮)!
エイシャは口を開けて見るしか出来なかった。
一瞬でほうれん草(仮)とまな板は爆裂する火力によって共に炭と化し、もはや何が置かれていたのか分からない。
「え……何で……?」
レガが不思議な顔で炭を眺めているが、全てコイツの出した火が原因だ。
肉を切らせなくて良かった。
「レガ……私が切るから、火を点けて貰っても……いい……?」
「はあ……分かりましたわ」
小首を傾げながらコンロに火を点けるレガ。その様子はあまりにも普通、火力も普通。
新しく用意したほうれん草(仮)を切り、麦も洗って準備は出来た。
小鍋に多めの水を張って麦や肉、野菜を入れる。これぐらいであればレガに手伝って貰っても大丈夫そうだ。
「塩と……香り葉を入れて……蓋」
これで底が焦げないように時折蓋の隙間から棒でかき混ぜる。
20分ほどで出来上がる予定だ。
いつの間にか厨房も静かになっており、人気がない。どうやら片付いたので休憩になったようだ。
「20分も掛かりますの……火力上げた方が……」
レガがブツブツと呟く。
「えっ、冷静になって? 紅茶が作れて何でお粥が作れないの?」
「遅すぎますわ!!」
そう言って急に全身が燃え上がるレガ。
爆裂と言っていい感じの燃え方だ。
人体発火の瞬間を目の当たりにした衝撃は大きい。
そして凄く熱い。
厨房に人が居ないのが救いか、バレたらやばい状況だ。
コンロの火加減もつられて燃え上がっており、吹き出している。
レガの炎が天井に届きそうだ。このままでは火事になる。
「3分はともかく20分……時間は大事ですわ!」
「発想が獰猛過ぎる! そうかも知れないけど! その20分は必要な20分よ!! 焦げたらジヴェルに言い付けるわ!!」
「はっ!!」
しゅあーーーーと音をさせて鎮火する。
「も……申し訳ありませんわ……わたし……料理を始めると情緒不安定になるようで……」
「こわ……それでよく料理提案したわね?」
心臓がバクバクしているのが分かる。このまま城を火事にするところだったが、早期鎮火が出来て本当に良かった。もう二度とレガと厨房には来ない。
天井には黒い煤が付いてしまった。これは……黙っておこう……。
かくして粥は若干底が焦げる結果にはなったが、炭化は防いだ。大人しくなったレガと共に出来上がった麦粥を少し味見する。
「少し塩足りない? 足そうかな」
「それで完成ですわね」
少し塩を足してかき混ぜる。柔らかい香りの粥が出来て大満足だ。
麦粥を持って地下へ降りる。暗い地下は所々トーチが点いており、人が近付くと点灯し、離れると消える。
階段を降り、しばらく奥に進んだ所に大きな鉄の重そうな扉があった。両開きになるようだが、扉の取っ手は鎖と幾つもの鍵でガチガチに固められている。近付くと肌がピリピリとするのだが、これが公爵の結界だろうか。
「……ここはクアッド様のお部屋ですわ。ジヴェル様はここを左に曲がった先の小部屋……と聞いてますわよ」
すごいラスボス感のある扉だが、部屋の主であるノーラン公爵は現在アーテルの屋敷で療養中だ。
「てっきり上の階にお部屋があるんだと思ってたわ……。公爵と同じ階でもジヴェルは大丈夫なのかしら」
「普通はそうですわよね。ブローデン様から聞いた話では……以前、ジヴェル様がクアッド様の"お気に入り"だった頃に宛がわれたお部屋だそうですわ」
公爵がいない今だから、地下の部屋を使えているのかも知れない。
「ふーん……何で今仲悪いんだろう……」
「……それについてはわたし達も触れる事を禁じられていますわ。何の話も存じておりませんの」
そうかあ……と左に曲がって進む。灯りが灯った先に小さな鉄製の扉が見えた。
(独房みたい……)
ノックをしてジヴェルの名を呼ぶが、返事はない。眠っているのかも知れないが、もう一度ノックをしてみる。
ごごぉん……と重い音がエイシャ達の後ろ、奥の方から聴こえ……ビリビリと空気の震えが伝わってくる。
「え……何……? 誰か居るの? ジヴェル……?」
「うひぃ…………」
二人して通路の奥を振り返るが、奥のトーチは消えてしまっていて何も見えない。
「私はここですよ…………何ですか…………」
ドアの向こうから聞き慣れ……てない調子の悪そうな声がして、また振り返る。
ギギィと軋む音をさせながら鉄製の扉がゆっくり開いた。
「……用でしたら呼んでくださればよろしいのに。こんな部屋まで来なくても……」
頭をボサボサにしたジヴェルはシャツ姿。
(良かった、今日は胸にボタン付いてるし閉まってる)
エイシャの注目はまずそこだ。
ジヴェルの部屋は狭く、日本で言うところの4畳程しかない。石の壁のせいか、それより狭い印象を受ける。
部屋にあるのも、簡素なベッド、小さな丸い板のサイドテーブル、縦長の本棚、そして灯りのランタン。それだけだ。
本棚には書類が少し入った程度で、上の方には箱が3つ。箱からはみ出しているのは服の袖で、そこに衣類を入れているのだと分かる。執事服は机に畳まれて置かれていた。ベッドは既に綺麗にされていて、起きたらすぐシーツを直す癖があるのだろうと思わせる。
しかし必要最低限といった様子の部屋に少々絶句した。
「えと……さっき凄い音が向こうからしたのよ……他に誰か居るの……?」
「はあ……? 私しか居ませんが……ゴーストでも居るんじゃないですか? 邪竜の奴隷が作った神殿部分ですしね、ここ」
それを聞いたレガが震え上がる。さっきの厨房での様子が嘘のようだ。
「ひぃ……ジヴェル様は平気なのですか……?」
「ゴーストが居たとして、それが私に対して何か出来ると思いませんし……」
随分強気だが、確かに彼ならむしろゴーストが逃げそうな気がする。
「それで? 何の用でいらっしゃったんでしょうか。休めと仰ったんですよね?」
いちいち毒を吐いてくる辺りが風邪引いてようと流石だ。確かに休めと言っておいて起こしたのは悪かった。待っておけば良かったな……と思う。
これは流石に配慮に欠けていた。
「視界にも入ってるでしょ。お粥作ったのよ、私とレガで」
「私は材料入れただけで終わりましたわ……」
燃やしかけた事は黙っておくレガだが。
「コンロに火を着けただけとは思えない魔力痕なんですが…………焦げてはいないのが逆に何故でしょうか…………」
「ううん、ちょっとミスって底は焦げたわよ、底は。大丈夫の範疇だと主張するわ!」
この男は非常に目敏い。そんな事まで分かるとは思っておらず、レガも冷や汗をかいている。
(チート過ぎるわ、絶対転生してるよこれ……あれっ、でも私転生してもそんなに恵まれてない……なんで……)
エイシャが貧困から脱却できたのはごく最近の話で、しかも外的要因での結果だ。聖女の涙を被らなければ今でも畑を耕していたところだろう。
そして先ほどの魔力痕で警戒を強めたジヴェルが無表情でエイシャ達に礼を言った後、ベッドに座って匙を取った。
「変な物は入ってないわよ、本当よ! ほうれん草みたいな草と」
「これはスピナッジという野菜です」
「そう、それと、卵と、バステリオンのお肉と麦、あと塩と香り葉よ。誓うわ、それに私は別に料理下手じゃないもの!」
そーですか……と小さい声で返答した後、少し躊躇してから一口食べる。そしてそれを見守るエイシャとレガ。
「……何が入っているのでしたっけ」
「えーと、スピナッジ? と、卵と、バステリオンのお肉と、麦と塩と香り葉よ」
「嘘ですね…………その列挙した中から砂糖が抜けております」
空気が凍る。これは言い逃れが出来ないミスだ。最後だ、最後に入れた調味料だ。
それまでは薄いながらも普通の味だったのだ。
「エイシャ様……」
レガがどうしよう、という気持ちを込めて視線を送ってくる。
(圧倒的お約束力……! ごめんなさい、ジヴェル……それは綺麗な残飯よ!)
「どう……しよ、止めとこ、ジヴェル、本当にごめんなさい……普通に厨房で作ってもらうわ……起きてから食べて……」
恐る恐るジヴェルの顔色を窺いながら、そーっと粥を乗せた盆に両手を伸ばす。
が、眉間に皺を寄せたジヴェルが意を決し、そして一気に粥を掻き込む。
エイシャとレガ、二人で顔を真っ青にしながら両手で口を塞いで見守るしか出来なかった。止めることも出来なかった事が悔やまれる。
「……はい……うぐ……もう……看病とかいいので……眠らせてください……もう水飲んで寝ますから。まっすぐ! 寄り道しないで帰ってくださいね」
器を空にしてから盆を突き返し、ジヴェルは闇を纏って部屋から消えてしまった。
「……あっ、しかも水乗せてきてませんわよ、これ……」
「うっわぁ…………やばそう……逃げよう……」
そっと軋む扉を閉めて二人はジヴェルの独房のような部屋を後にした。
帰り道、どこからか水の流れる音がしてビクビクしながら帰ってしまったが、何も無く帰る事が出来た。
勿論、厨房での軽い火事騒ぎは、魔力痕を怪しんだジヴェルに後でバレて、レガは暫く天井の掃除をさせられたとの事。
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