第102話 水辺にて

 朝ご飯は庭の東屋で食べた。

 白い石で組まれた天蓋がかかった東屋にはこれまた白い石で作ったテーブルが置かれている。


 そのテーブルの上には香ばしいの匂いのパンや、塩漬け肉や野菜を混ぜ込んだ焼き立てのオムレツ、ソースのかけられた腸詰サルシッシャや茹で鶏、野菜スープが並べられていていた。


 オムレツは外はしっかりと焼かれているのに、中はほんのり暖かくとろりとした舌ざわりで火の通りが絶妙だ。

 腸詰サルシッシャも歯ごたえがあって、一口かじるとハーブとスパイスで風味を付けられた甘い脂が口いっぱいに広がる。

 酸味のある赤いソースともよく合っているな。


 定番の朝食メニューではあるが、どれも群を抜いて美味しい。流石に貴族の邸宅の朝ご飯だ。

 周りにはメイドさんがいてジュースを注いでくれたり料理を取り分けたりしてくれる。


「ありがとうございます!」


 メイドさんにメイが明るくお礼を言って、メイドさんが微笑み返した。


「お姫様みたいだね」

「すごいね」


 オードリーとメイが嬉しそうに顔を見合わせる。

 確かにこういう経験はなかなかできるもんじゃないな。俺はなんか立派すぎて居心地が悪い。 



「今日はなにかしたいことはあるか?オードリーにメイ」


 にぎやかな食事が終わって、食後の御茶を飲みながらテレーザが聞いた。


「街に出かけてもいいし湖で泳ぐことも出来る。馬で遠乗りしてもいいな。我が領土は景色も良い」


 テレーザが言う。

 確かに朝になるとわかったんだが森に囲まれているが、湖や小高い丘が見える。

 眺めもよさそうだ。適度に暖かいから馬で遠乗りしても気持ちいいだろうな。

 オードリーとメイが顔を見合わせて頷き合った。


「お姉ちゃん、何処かに遊びに連れて行ってくれる人は居ない?」

「ああ……そうだな。家中の者に言えば大丈夫だと思うが……誰か二人についてやってくれるか?」


 テレーザが言うと、近くに居たメイドさんが頭を下げて館の方に戻っていった。

 テレーザが困惑したように二人を見る。


「私たちと行かないのか?」


「だってね」

「お姉ちゃん、叔父さんと一緒に居たいでしょ?」


「デートでしょ」

「デートしてきてよ」


「じゃあね、お姉ちゃん」


 テレーザが何か言うより早く、そう言って二人が席を立って館の方に手を振りながら歩き去っていった。

 一体どこでそういう知識を身に着けてくるんだろう。


 何やら気まずい感じになってしまった。

 テレーザが上目遣いで俺を見る。


「あー、どうする?」

「うむ……では、そうだな。湖にでも行こう。泳ぐことも出来るし、水辺にいるだけで中々よいものだぞ」



 湖は館から暫く馬でいった所にあった。

 同じ水辺だが、潮の香りがしないし周りが砂浜とかではなくて丘と森が見えるからエスタ・ダモレイラの海水浴場とはかなり違う感じだ。

 水も透明で海とは雰囲気が違う。


 水着なるものも館で貸してもらったので泳いでみたが、やっぱり嫌な思い出がよみがえってきたのですぐに辞めた。

 水の中から何かが襲ってくる感じがしてどうも落ち着かない。


「もういいのか?」


 水から上がるとテレーザが声を掛けてきた。

 テレーザも水着ではあるが、水には入らず白い薄手のワンピースを羽織っている。

 

 水辺には木で作った庇のような簡素な建物があって、絨毯が敷かれて横になるための椅子まで置いてあった。

 エスタ・ダモレイラの海水浴の時もそうだったが、泳がずにのんびり過ごすのも水辺の楽しみなんだろう。

 

 周りには誰も居なくてかすかな水の音と鳥の鳴き声だけが小さく聞こえてくる。 

 椅子に腰かけた。


「ああ、そう言えば、少しいいか?」

「なんだ?」


 テレーザが訝し気な顔で聞いてくる。


「俺から渡すものがある」

「渡すもの、とは?仰々しいな。団長殿からの書簡か何かか?」

 

 持ってきた革の鞄を探って、中に入れておいた小奇麗な布袋をテーブルに置く。

 今回渡すつもりで持ってきたが、ちょうどいいか。

 テレーザが袋を開けて中のものを取り出した。

 

 飾り紐で留めた二粒の青い石が光をはじいて光った。

 テレーザの顔に一瞬驚いたような表情が浮かんで、笑みに変わって、また元の澄ました顔に戻った。


「これはなんだ?魔法の道具か何かか?」

蒼真珠ぺロア・デル・マールの首飾りだ。アルフェリズの飾り物だ」


 先日、家にアルフェリズ出身の行商人が売りに来たものだ。

 蒼真珠ぺロア・デル・マールはアルフェリズの近海の貝から採れる真珠の一種だ。海の中の闇を祓う、船乗りとのお守りとして珍重されている。

 ただ、そんなに数が多くないからアルフェリズの外で手に入れることは結構難しい。


「私にか?」

「ああ、まあ色々と世話になっているからな。今回も含めて」


 討伐に出たりする以外にも、師団の仲間との訓練をしたりと騎士は案外忙しくて、オードリー達のことに目が届かないことも多い。

 子供好きのメイドさんを選んでくれたりと、それとなく気遣ってくれることは分かる。


 俺は遠征だのなんだので移動したり宿が変わったりなんてのは慣れっこだが。

 慣れない王都の環境でオードリーとメイが楽しく暮らせているのはこいつのおかげって部分も大きいと思う。 


「一応言っておくと大して高いもんじゃないぞ」


 アルフェリズから来たその商人が商っていたものの中では一番いいものを選んだが。

 宝石としてはそんなに高いものじゃないし、貴族の装飾品としてはふさわしいのかは分からない。


「……うん、お前も気が利くようになったな」


 テレーザが真珠を見つめて呟いた。


「貴族たるものそうでなくてはならんぞ」 

 

 そう言って、テレーザがすっと立って首飾りを俺に差し出した。


「なんだ?」

「つけてくれ」


 ああ、そういうことか。

 自分でつければいいだろと思うが、まあいいか。

 後ろに回ろうとしたら、テレーザが体を入れ替えてまた俺の正面に立った。


「なんだ?」

「……このまま」


 テレーザが言って俺を見た。 


「このままだ……このまま、つけろ」

「このままって、お前な」


 このままだと、まるで抱きしめるような格好でつけないといけないんだが。


「…………嫌なの?」

「いや、そう言うわけじゃないんだが、いいのか?」


 ……何で俺の方が気を使っているのだ。

 テレーザが無言で俯いて俺の方に近づいてきた。息がかかるほどの近い距離だ。

 髪からかすかに甘い香りが漂う。


 後ろに回らせてくれる感じはない……仕方ないか。

 体に触れないように慎重に手を首の後ろに回した。

 銀色のサラサラした髪が手に触れる。テレーザがかすかに体をこわばらせるのがわかった。


「やっぱりやりにくいぞ」


 留め金が細かいから見えないと嵌めにくい。後ろに回ればすぐ済むんだが。

 テレーザがダメだと言わんばかりに首を振って、上目遣いで睨んできた。


 何度かやってみるがうまく行かない。

 うなじに触れるたびにテレーザが息を詰めたり体を震わせるのが伝わってきて、またやりにくい。


 何度かやっているうちに小さい金属音がして、ようやく留め金がつながった。思わずため息が漏れる。

 一仕事終えた気分だ。構えをとって姿勢を保つ訓練をした後のようだな。


 テレーザもため息をついて一歩離れた。

 飾り紐で留められた蒼い真珠がワンピースの白い生地の上で光る。

 テレーザが蒼真珠を抑えるようにして顔を伏せて大きく息を吐いた。

 

「ありがとう……大事にする」


 そう言って、テレーザが嬉しそうに笑った。

 まあ喜んでくれたなら良かったな。


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