第39話 開戦
靄がぬめるように肌をなでる。
雨がひどい。水滴が目に入る。足場も悪い。
ただでさえ敵が得体のしれない魔族だってのにこの環境はこっちに不利だ。
ローブの下の霧の向こうの明かりのように光る眼がこっちを見た。
こいつは見た目はローブ姿の腰の曲がった老人にしか見えない。
デカい剣とデカい図体で、何をしてくるか分かりやすかったバフォメットとは違う。
さっきの冒険者たちに仕掛けた水の攻撃を思い出す……ローブの裾の水はまだあいつの周りにわだかまっていた。
あれ以外にどういう攻撃を仕掛けてくるか想像もつかない……が。
「どうする?」
「戦いのセオリーは、先手必勝、短期決戦だ。最大火力をぶち込め」
正体不明の相手の攻撃を受けるなんてマネはすべきではない。
初手で殺せればそれが一番いい。
今のところ、バフォメットの様にあからさまに敵対的に攻撃を仕掛けてくる気配はない。
じっと立っている間に死んでくれるならそれが一番だ。
「分かった【書架は南・想像の弐列。五拾弐頁三節……私は口述する】」
テレーザが詠唱に入る。
そいつがそれに呼応するようにこっちを見た。
「აუზში დახრჩობა」
地面についたローブの裾が波打って波が押し寄せるように地面を灰色の水が張ってくる。
さっきの奴だな。
「風司の59番【地を走れ颯。伏したる砂礫を高く舞わせよ】」
地面すれすれを風が吹き抜けて水をまき上げた。黒い水がバシャバシャと音を立てて落ちる。
水と言うより、スライムとかそう言うような感じの粘り気があるなにかだ。
当たり前だが……ただの水じゃないな。
魔族を取りまく空気がわずかに変わった。
「これでも食らえ!」
剣を振り下ろして、風の塊をたたきつける。
ローブが水のように歪んでしぶきが飛び散ったが……何事もなかったかのように元の通りに戻る。
効果なし……ダメージ的にはやるだけ無駄だ。
気をそらすくらいはできるかもしれないが。
こっちが睨みあっている間にも砂浜に広がった波打つローブの裾から次々とスケルトンが立ち上がってふらふらと歩いていく。
あの数がこっちに向かってきたらかなりの脅威だが、加勢する気配はない
「მოდი ნისლი」
そいつが何か言葉を発すると、靄が渦巻くようにしてそいつの周りに集まった。靄が濃くなる。
この靄は自然現象じゃなくてこいつの作り出したものってことか。
何か仕掛けてくるつもりかもしれない、だが遅い。
もう詠唱は終わる頃だ。
「【古の伝承に偽りあり。煉獄は業火が満ちたる場所にあらず。無明に燃ゆるはただ一対の
テレーザが魔族を指さす。
一瞬遅れて、内側から赤い光が走った。
炎がローブの中から噴き出してそいつを包む。赤い火柱が明るく光ってどんよりとした靄を照らした。
「……終わったか?」
そう思ったが……突然靄が炎を覆うように動いた。
靄が炎を包み込む。靄が炎を侵食して、砂をかけられた焚火が小さくなるように火が掻き消えていく。
火が消えた後には、さっきのローブ姿が何事もなかったかのように立っていた。
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