旅するルチルと祠の呪い
心の梟
第1話 旅の少女と祠の呪い ―― プロローグ
夕刻の街道に女の子がいた。
「お腹、が……」
その女の子を一言で表すなら〝ヨレヨレ〟があっているだろうか。はたまた〝ヘロヘロ〟が適当であろうか。しかし、どちらにせよ――、
「お、おにゃかが……へぶぇあ……」
――彼女は今にも死にそうであった。
一見して、女性というほどの色香はないが、少女というほど幼くもない女の子であり、背に負った体の三倍はありそうなリュックサックを懸命に支えて歩いている姿は見るも無残だ。それは、くたびれた白いシャツが薄汚れている為でもあるし、ジーンズ生地のオーバーオールの肩紐がずり下がっている様子でもあるし、ギリギリ肩に届いていない髪をちょこんと後ろで結っている組みひもがけば立っているところからでもあるし、いやもう、彼女という人間の現状を見ればどんな人間の感性であってもひしひしと伝わってくる残念感が溢れていた。
「もうだめかもしれないよぅ……おにゃかがペコペコだよぅ……」、と。
さて、そんな彼女がどうして夜の帳が下りそうな夕刻の街道――それも、目的の地である二ペソ村という山村に続く山道を歩いているのかと言えば。
「わたくし、ルチル・ハーバーグは、どうしても叶えたい願いがあるのです!!!」
という決意をもって、三か月前に地元であるモモトト町から旅立ったからである。しかも、乗り合いの馬車も使わず草原を泳ぎ山を越えて谷を渡り森を抜けているのだから疲労はたまる一方で、彼女の可愛いらしい眼もクルクル回りだし常ならば朝露に濡れた桃色の花弁のつぼみを思わせる唇からハヒィハヒィと息を荒げる必要もなかったなど、わざわざ伝える必要もない事。それより伝えるべきは、順調に予定していた順路を旅できていればここまであられもない無残を晒す必要はなかったということだ(いや、それも伝える必要はあるのか? という読者諸君の思考をトレースしてなお書き連ねる愚行蛮行をお許し願いたい!)。
さて、ならばどうしてか?
結論から申すならば、ヨレヘロの彼女――ルチル・ハーバーグは運の悪いお人好しだった。これに尽きる。
どういうことかと問われれば、いま彼女が歩いている道は、ウペペ村から二ペソ村を繋ぐ〝ウペニ街道〟と呼ばれる山道なのだが、本来ならば、村から村へどれだけゆっくり歩いても二日もかからず歩き抜けられる場所なのだ。馬車を使っていけば朝から夕方までガタゴト揺られているだけで目的地に着けるような距離なのだ。
しかし、そこはルチル・ハーバーグ。物語のメインヒロインは簡単には終わらない。
五日前の早朝、あと一つ道を越えれば二ペソ村だと膨らまぬ胸を期待で膨らませて、ウペペ村を出た彼女が二時間ほど進んだ所でエンカウントしたのが彷徨のお婆さんだったのだ(まるでモンスターのようだが普通に迷子のご老人だ)。
「ちょっと道行くお嬢さん。ウペペ村まで案内してはくれないかい?」
「あらまあ道に迷ったおばあさん。あたしが村まで一緒に行くよ」
えっちらほっちら二時間かけて進んだ道をトンボのように舞い戻り、お婆さんをウペペ村へと案内したルチル・ハーバーグは、ありがとうと取られた手を包み返し、どういたしましてと笑顔を作る。そうして、お婆さんの姿が見えなくなるまで手を振っていた彼女は大きなリュックを背負いなおし、ふんす! と気合を込めて街道に足を出しもどすのだった。
「さて、いこう!」
けれど、ここでもルチル・ハーバーグ。メインヒロインは涙に濡れる。
今度こそとウペペ村から四時間進んだ所で、こんな声が聞こえてきた。
「罠にかかった猪が逃げたぞー」
「気をつけろ、手負いだぞー」
ならばあとの展開は決まっていて。
「いやー、あたしがなにしたのよー」
ぷぎゃー! と怒髪天を突いた猪に追いかけられて森の奥深くへと逃げ込んでみれば、
「ひっく……うぇっく、ココドコー」
と最終的には広大な森の中で遭難してみたり、その途中で猿にからかわれたり、クマの親子をやり過ごしたり、古めかしい社の一部を破壊したり、持ってきていた食料がなくなったり。そんなこんなで今のヨレヘロの女の子が出来上がった訳なのだが――さて、こんな彼女が運の悪いお人好しでないと誰が言えようか。
分かっている。昨今の自己責任論が蔓延った世界の人々には自業自得に見えることだろう。猪に追いかけられたことだって、最初から馬車を利用していれば遭遇しなくて済んだ話だし、最初のお婆さんの事だって村まで案内していなければ、いや、このウペニ街道に岐路などそうないのだから口で説明していれば、いやいや、もっと根本的にお婆さんなどごめんなさいと無視していれば、五日も森の中をさまよい歩くことはなかったし、ここまで無残な姿になることもなかったのだから。
だが、そうであってもルチル・ハーバーグ。メインヒロインはそれが出来ない女の子だからメインヒロイン足り得るのだ(もっと辛辣なメインヒロインがいたって良いじゃないと憤るなかれ。それはそれだ)。
単純にお人好しであり、豪快に運が悪くて、しかし本人にその自覚がこれっぽっちもない。だから、お腹が減っていることに泣き言を漏らしても、自分の運の悪さや出会ったおばあさんに腹を立てることのないヨイコなのである。
暮れなずむ空へと響く盛大な腹の虫のコーラスを奏でながら、ヨレヨレ、ヘロヘロと街道を進んでいくルチル・ハーバーグ。数日間の野宿で体のあちこちを汚す姿は、空腹の様子も相まって、墓穴から這い出てきたゾンビのようにも見える始末。
「あと、少し……あと少しで、手に入るのに……」
霞んでぼやける視界の向こうに目的の場所を垣間見ながら、彼女は力のこもらない脚を一歩出す。そこで。
「ゎ、わわわ、わぁ――みぎゅっ! …………あぅ」
転んだ。ふらついた足が小さな石に躓いて。背に負う巨大なリュックに押しつぶされる格好で。ルチル・ハーバーグはべたーんっ! と地に伏した。
普通なら転んだのなら起き上がるのが人の性だけれど、彼女は一向に起き上がることはなかった。力なく伸ばされる腕と、かすれた想いだけが、二ペソ村へと向かっていく。
「……ぎゅ、にゅ。おい、し……伝、つの………………っぱ、ぃ」
闇に飲まれるルチル・ハーバーグの想い。
果たせなかった、たった一つの切なる願い。
運の悪いお人好しの女の子は、夢の途上であえなく力尽きるのだった――。
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