(13)

 一日、二日と経っても俺の心は浮ついていた。あれは先生なりの慰めなのだ、とは思っても、口と口のキスである。浮つかない方がどうかしている。相手が思い人であれば、なおさらのこと。


 先生も俺のことを少なからず思っているからこそ、ああしてキスをしてくれたのだと――そう思いたかった。


「やめておきなさいな。あなたにはもっと若いが似合っていると思うのよ」


 またしてもセヴリーヌに呼び出されて彼女とテーブルを囲むハメになった俺に、またしても「大きなお世話」を焼こうとする。しかしそのときの俺はやはり浮ついた気分でいたので、いつもよりセヴリーヌの言葉にイラ立つようなことはなかった。


 セヴリーヌがあーだこーだと口を挟んでも、結局のところ結婚相手は俺が選ぶことになるだろう。そして父は俺がだれを伴侶としようが気にはしないはずだ。よほど王室に取って禍となる人物でなければ、結婚の許可は出るだろうと俺は睨んでいる。


 先生の歳は知らないが、見た目からしてそう俺と離れているようには見えない。そして先生は父に招聘されてこの国にやってきたのだ。反対される要素は思い当たらなかった。


 そうやって先生とキスをしただけで結婚まで飛躍して考えているあいだにも、セヴリーヌは遠回しに「年増はやめろ」だの「仕事を持っている女はロクでもない」などと、彼女の方がロクでもないようなことをぶつぶつと説教する。しかしそれを右から左へと流して、俺は「妻くらいは自分で決められます」と釘を刺す。


「それよりも……今日はマリルーのことで『どうしても頼みたいことがある』と聞いてきたのですが?」

「ああ、そうよ、そうよ。あなたがいつまでも恋人のひとりも見つけられやしないから話がそれたわ。それで、あの子のことなんだけれどね……」


 そう、俺が素直にまたセヴリーヌの元へと顔を出したのにはそういう理由ワケがあった。


 マリルーはセヴリーヌの娘なので、つまるところ俺の腹違いの妹ということになる。マリルーはお世辞にも性格がいいとは言えない。おまけに言わなくてもいいことを口にするので、デビュタントを済ませてからは度々舌禍に巻き込まれて、新聞に書き立てられたことは一度や二度の話ではない。


 ハッキリ言って、王室のお荷物と言って差し支えない。同じミソッカスでも俺が戦争で功を立てられたのに対し、マリルーは女ということもあって、先の戦争では銃後にいた。戦場にも女兵士はいたが、それはバケモノであった俺の仲間四人しか知らない。


 王女であるがゆえに王位継承権も俺より低く、舌禍を繰り返すお荷物王女。マリルー自身にもそういう自覚はあるのか、近頃は大人しくしていたのだが……。


「なんでも、また問題を起こしたとか?」


 先日、ある帰還兵が近所の子供に怪我をさせた。子供と言ってもたいそうな悪ガキだそうで、帰還兵であった男の家に爆竹を投げ込むような輩だ。そんな悪ガキの腕の骨を男が折った――。そういう事件だ。


 巷にあふれる帰還兵たちの問題は深刻だ。戦場で不具となり、再就職がままならないような者もいる。五体満足で帰ってこれても、精神に問題を抱えることになった者もいる。俺はそういう帰還兵たちを支援していたが、それでも限界はあった。事件は、そんな中で起こった。


 事件を起こした帰還兵は、戦前は明るく気のいい男だったとある人は言う。それが戦争から帰ってきてからは偏屈になって引きこもり、物音へ過度に反応するようになった。それを面白がった悪ガキが爆竹を投げ入れて――事件は起こった。


 マリルーはそんな子供を過剰に擁護し、逆に帰還兵を揶揄するような発言をした。どこでの話かは知らない。近頃は発言には気をつけていたようだから、もしかしたらプライベートな空間でのことかもしれない。……が、その発言がどこからか流出した。


 国のために戦ったのに、当の王女は精神を病んだ兵を庇わず悪ガキを擁護する……。それは帰還兵たちの怒りに火を点けるのにはじゅうぶんで、新聞もまたセンセーショナルに「王女、またしても失言!」などと書き立てるのであった。


 プライベートな場での発言が取り立たされたのであれば、可哀想だなとは思う。しかし言ったものは仕方がない。一度口にしたことは二度とその口へと返すことは叶わないのだ。


 マリルーの無神経さは母親であるセヴリーヌに似ている気がする。それでも女というだけで父に顧みられることのない妹だと思うと、なんとなく無碍にはできないのであった。……甘いという自覚はある。あるが、心情的にも立場的にも無視を決め込むことができないのが現実だった。


「ええそうなの。子供に怪我をさせる大人なんてロクでもないに決まってるのに、新聞が大げさに書き立てて……マリルーが可哀想だわ」

「それで……チャリティーバザーに出るという話に?」

「バザーに出ること自体は前々から決まっていたことよ。けれど、あんなことのあったあとでしょう? マリルーが心配なのよ。わかるでしょう?」


 こんな状況下でチャリティーバザーに出れば、それは点数稼ぎにしか映らないのではないかと思う。一方、以前から出ることが決まっていたのに、失言騒動でそれを取りやめたとなれば、それはそれで新聞は面白おかしく書き立てるだろう。……八方ふさがりとはこのことである。


「マリルーに発言には気をつけろと言っておいてください」

「あの子はちょっとお転婆なだけよ。素直ないい子なの。それを俗悪な新聞記者とかいう連中が面白おかしく書き立てているだけなのよ」

「……わかりました、わかりました」


 セヴリーヌにとっては王になる可能性が限りなくない女であっても、自分の娘はたいそう可愛いらしい。親としての愛を持っているという点において、セヴリーヌは夫である父よりも立派だろう。立派だろうが、着地するところは親馬鹿な馬鹿親なのであるから、救いようがない。世の中、なかなか上手く行かないものだ。


「あの子が怪我をしたりしないように、バザーのあいだ守ってあげてちょうだい。あなたは腹違いとは言え兄であるんですから。お願いね?」


 仕方がない。もう何度自分にそう言い聞かせたかはわからないが……憂鬱なのは確かだった。

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