(10)

 そうやって勇ましく舞い戻ったはいいものの、両者に気持ちがないのだから、上手く行くはずもなく。


 結局上滑りする話題と、さして面白くもない話を交互に口にするのみで、セヴリーヌが設けた見合いの場は、白けた雰囲気のまま時間切れを迎えた。


 あの令嬢たちは帰った途端に今日の出来事を小鳥のようにさえずるのだろう。「おもしろくない男」と。それを考えると少し憂鬱になったが、しかし俺は社交の場からは遠のいて久しい。そもそもがミソッカスの王子。そう気落ちすることでもないかと思い直す。


 楽しくもないし実りもない見合いが終わって、先生にまた会えると思うと、俺の気分はあっという間に浮かんで行った。俺のことをよく思っていないご令嬢方とのおしゃべりより、先生と他愛ない言葉を交わしている方が楽しいのは、自明の理だ。


 さっさと客室に戻って、先生の顔を見たい。令嬢方を見送りながらそんなことを考えていた俺に、隣に並ぶセヴリーヌはおどろくべき発言をした。


「アングラード男爵邸で夜会があるのよ。舞踏会よ。あなたも出るって伝えておいたから」


 めまいがした。比喩ではなく、本当に目の前が一瞬暗くなった。


 セヴリーヌはなにがなんでも俺に女をあてがいたいのだろうか? あてがって、偉そうな顔をしたいのだろうか。真意は未だにわからないが、俺にとっては大きなお世話であることに変わりはない。本当に心から俺のことを心配してアレコレと世話を焼いているのだとしても、「大きなお世話」であることに違いはない。


「わたしの顔を立てて、せめて挨拶だけはしてきて頂戴な」


 俺があまりにも嫌そうな顔をしていたのだろうか? セヴリーヌはあわてたようにそんなことを言い出す。


「なんだったら、『先生』……だったかしら? 一緒にいらしている『先生』とやらをエスコートして出席しても構わないから」

「……夜会があるなんて初めて聞いた」


 うめくように俺が言えば、最後にはセヴリーヌは開き直ったような顔をしてこちらを見る。


「いつまでも独り身でいるなんて、世間様に恰好がつかないでしょう。王室の一員なら尚更です」


「だから、早く『いい人』を見つけて結婚せよ」とセヴリーヌは言いたいらしい。もう何度この言葉を心の中でつぶやいたかわからない。「大きなお世話」だ。


 しかし思いっきりカタに嵌められた。それが妙に悔しく、同時に途方もない疲労感を呼ぶ。


 アングラード男爵とやらのことも知らない。と思って聞けば、新興の貴族らしい。しかし、今の俺にはどうでもいい情報だった。


 それよりも、先生のことが気にかかる。セヴリーヌのことだから、素早く手を回したとしてもおかしくはない。俺を懐柔するために先生を引っ張り出すのか、と思うと、セヴリーヌにはかすかな怒りを感じたし、先生には申し訳なさを感じた。……先生はきっと、しかし、気にした風の顔はしないだろう。ありありと思い浮かべられる。


 そして俺の予感は当たっていた。俺が中庭から客室へと戻るわずかのあいだに、セヴリーヌはさっさと先生に息のかかった侍女たちを差し向けていた。


 先生は与えられた客室でスツールに座って、目の前に引き出された色とりどりのドレスを、なんの感情もうかがえない目で見ていた。いや、それは大して親しくもない人間が見たときの話で、俺には先生の目に好奇心、みたいなものが宿っているのをたしかに見た。


「ジル、帰ったか」

「先生……なにをしているんだ?」

「夜会に出て欲しいと言われて……ドレスを見ていた」


「そんなことはわかっている」――そんなセリフが口を突いて出そうになって、代わりに俺はかすかなうめき声を上げた。


 先生は急に予定になかった夜会に出ろ、と言われても、特に不満そうな顔はしない。そんなことは、わかっていた。わかっていたのだが、いざ現実に立ち向かうと、やはり呆気に取られてしまうところもあった。


 先生を見て、先生が手にしているドレスに目をやる。周りではセヴリーヌが寄越した侍女たちが、次々にドレスやアクセサリーを取り出して並べている。


「先生は……嫌じゃないのか」

「よくわからない」


 先生の意外なセリフに、俺はちょっとだけ目を見張った。先生の言葉はいつだって明快だった。白黒がハッキリとしている……というか。とにかく、どう感じているのか、という感想がわかりやすい。そんな先生が、「よくわからない」と言うのは珍しかった。


 しかし先生の目に戸惑いはない。物珍しげに侍女たちが手にする煌びやかなアクセサリーへと視線を向けている。花や宝石や綺麗なものを見て心を動かされる女の子の目、というよりは、先生の目は興味深い対象を見る研究者のそれと同じだった。


「夜会なんてものはそう出たことがないから」

「そうか……。貴族じゃないなら、そんなものか」


 なんとなく、ほとんど対等に話ができる相手だからか、あるいはそういうことを過不足なく易々とやってのけるイメージがあるからか、先生は夜会に慣れているような印象があった。が、現実は違った。だから、ああやって物珍しげにドレスを見ているのだろう。


 そんな先生を見ていたら、先生を夜会に連れて行くのはそう悪いことではないような気さえしてきた。……セヴリーヌの手のひらの上にいるような気がして、あまり気分はよくないが。


「……俺がエスコートすることになるが……いいのか?」

「ジルにエスコートされることに、不満なんてあるのか?」


 疑問に疑問で返す先生も珍しかった。それだけ、もしかしたら先生は浮かれているのかもしれない。心底不思議そうな顔をして俺を見上げる先生を見ていると、それまで男爵の夜会に対して感じていた気鬱がどこかへ飛んで行くかのようだった。そんな単純な自分に、心の中で苦い笑いをこぼすしかない。


「……不満じゃないならいいんだ」

「おかしなやつだ。お前に不満なんて、あるわけないだろう」

「そう言ってもらえると……うれしい」


 本当に、本気でうれしかったので、軽く頬に熱が集まる。それを隠せるはずもないのに、俺は先生からそっと視線を外した。


 先生は侍女たちから、これが流行りの型とか、これが今人気の色だ、とか色々と聞いては興味深そうに頷く。普段、そのしゃべり方も相まって、先生の女性性をことさら感じられない俺は、そんな先生を見て妙な気分になる。


 先生に対して好意を抱いてはいるものの、恐らく先生が男性であってもそうだっただろうと断言できるくらいには、俺は先生のことが好きだった。だから、ことさら女性性を意識せざるを得ないような会話が飛び交っていることに、俺は妙な気分になってしまったのだ。


 着飾った先生も、思えば見たことがない。先生はいつだってシンプルな白いシャツに、黒いパンツスタイルという、女性とは思えないような出で立ちでいるから。……俺は、そういう先生も好きだし、慣れているからなにも思わないが、そうではない人間の目には奇異に映るだろう。


 そんな先生がドレスに着替えるところを想像して……俺はまた頬に熱が集まるのを感じた。先生の普段見れないような姿を見られるのだと思うと、現金な俺は喜んでしまう。


「どう思う? ジル」

「……すまない、先生。聞いていなかった……」

「どのドレスがいいのか私にはさっぱりわからないから、ジルに聞きたくて……」

「ああ、それなら――」


 そうしてふわふわとした気持ちのまま、俺は先生のドレスやらアクセサリーやらヘアスタイルやらを選ぶのに、存分に付き合ったのだった。

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