identity ~怪物の青年と無貌の少女~

?がらくた

プロローグ

目覚めると、そこは薄汚い木の小屋だった。

ベットから身を起こすと、木の板には無数の穴が開いていた。

床は踏む度に、ギシギシと嫌な音を立てる。

まるで死ね、死ねと囃し立てるように。

とても人が住めるような環境ではないが、俺にとっては居心地の良い場所だ。

心休まる家庭も、暖かい寝床も、俺には縁遠いもの。

必要なのは、この身体とともに朽ちていく墓場と、自分自身を封じ込めておくための小さな牢獄。

―――そして、あの目玉から逃れられる避難所。

そういう意味では、ここは最高に快適な場所だ。

とはいえ、娯楽一つないここで過ごすのは退屈だった。

小屋から出ると見渡す限り、延々と続く道路と、青々とした草原が眼の前に広がる。

周囲には家一つ建っておらず、田舎というより限界集落だ。

何かないのか。

道に沿って少し進むと、上質な刀剣で真っ二つにされたみたいに、道路は綺麗に寸断されていた。

ここは、何者かが破壊したのか。

或いは元々こうだったのか。

それには、さして興味がなかった。

けれども、あの先には確実に何かがある。

そしてその何かが、無性に気になるのだ。


「ここからジャンプすれば、あっちに……」


意を決して、生唾をごくりと飲み込む。

が、次の瞬間には考えを改めた。

道路と道路の間には、眺めているだけでも、奈落の底に吸い込まれそうな巨大な穴が口を開けている。

落ちたら、ただでは済まない。

それに身体は正直だ。

脚はすくんで、ぶるぶる震えてしまっていた。

あれこれ思索を巡らすと、とても飛び出す勇気など持てなかった。

道の両脇から向こう側にいこうとするも、目には映らない障壁で遮られていて思うように進めない。

人を縛りつける論理、道徳、世間の目……。

それらが見えない壁という形で張り巡らされているようで、不愉快だ。

だが煩わしい規範もひっくるめて、俺という人間を形作っているのだろう。

納得させると、少しばかり心が軽くなっていく。

人間というのは、変化を拒む生き物だ。

停滞を嫌っても、嫌っている環境に居続けようとする。

現状を維持しようとする。

未知なものを、未知なまま受け入れる。

それだけで安心できる。

自分自身を正当化させるために理屈をこねる小心者らしい臆病さに、心底嫌気が差した。


「こんな時は、ああするに限るな……よし」


瞳を閉じると、俺は一羽のカラスに姿を変えていた。

人里で浅ましく餌をつつき、死を象徴する、不吉で忌み嫌われる存在。

でも鳥類の中では、とびきり器用だ。

過酷な生存競争を、生き抜く知恵も有している。

まさに俺の理想とする生き物。

さぁ、飛び立とう。

しがらみのない―――意識の彼岸へと。

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