第2話「約束」③

「はぁ……」っと、情けないため息をついたあと、赤城君から私の考えがまるで見当ハズレだった事を思い知らされる言葉を耳にするなんて、この時は思いもしなかった。

「だいたいさー、部活と勉強と両立ってのがそもそも無理なんだっつーの」

 ……んっ? 部活と勉強? 部活の練習が嫌なんじゃないの?

 眼鏡の奥の自分の目が、止まらないまばたきをしてしまっている。

 どうしてここで勉強という単語が出てくるんだろう?

 俯いていた私の顔は少しだけ赤城君の方に向かい、ちょっとだけ目が合った。

 慣れない男子の目線に一瞬で心がくじけて、視線をらしてしまう。それでも赤城君は気にする事もなく、私に喋りかけてきてくれる。

「ちょっとさ、一年の時の成績が悪かったからってこの一週間は部活無しで、部室に佐々木と二人きりでもうべんきようだぜ? 考えただけでゾッとしてげたくなるっつーの」

 ……もしかしてこれが、赤城君がバスケ部の人達から逃げていた原因なんだろうか?

「部活が嫌なんじゃないの?」

 その時、自分から疑問に思ったことを初めて赤城君に投げてみた。

 目線はとても合わせられなかったけれど、クラスの人に……しかも男子に話しかけるなんて今までの私には考えられなかったことだけど、赤城君にはなぜか出来たんだ。

 赤城君のけんかんたっぷりだった目は、今はまん丸になっていてものめずらしそうに私を見ていた。

 うわっ、恥ずかしい! やっぱり話しかけなければよかった。

 そうこうかいしていると、どこまでも明るい声が私達以外いない教室にひびわたる。

「部活? バスケはきらいじゃねーよ。好きじゃなきゃあんなしんどい事やってないって! 俺が嫌なのは勉強ーっ!! つうの授業さえもメンドイのに、なんでわざわざ部活の時間にまで勉強しなきゃいけないんだか……」

 最後の言葉はまるで独り言のように小さくなっていたけれど、確かに聞いた。

 部活は嫌じゃないって。

 ということは、ただ佐々木先生と二人っきりで勉強するのが嫌だから逃げ回っていただけなんだ。勉強が嫌だからってきようだんの下にかくれたり、こんな誰も気付かないような教室にまで逃げてきたり……

「ふっ……」

 どこまでも子どもみたいな赤城君の行動に思い出し笑いをしてしまい、つい笑い声がこぼれてしまった。

「あっ、笑った」

 胡坐姿のまま私を見上げる赤城君は、私を指差しておどろいた顔をしている。

 そのしゆんかん、とてつもない熱にまた顔中がしんしよくされていく。

 恥ずかしいっ! 一人で笑っている姿を見られてしまったなんて!

「きょ、教室もどるから!!」

 その場を逃げたくなった私はとつに椅子から立ち上がり、走り出して教室から逃げ出そうとした。

「うおっ! ちょ、ストップ! ストップ!!」

 逃げ出そうとする私の手首を、いつの間にか立ち上がっていた赤城君はしっかりとつかんで私を引き止めた。

 男子に手首を摑まれてしまっている!

 その現実に込みあがってくるさけび声は驚きすぎて声にならなくて、私の行動はすべて停止。一歩み出したけな姿で止まってしまった。

「昨日もだけど、何ですぐ逃げ出そうとするかなー? 俺、別に不良でもなんでもないし、同じクラスだろ? 別にこわがられる筋合いないんだけど」

 赤城君の言う事はもっともだ。

 私だってそんな事くらいわかっている。別に逃げ出す必要はないって。

 でも、みんなと同じように経験も成長も出来ていない私には、こうして誰かと……しかも男子と二人っきりでゆっくりお喋りなんてハードルが高すぎるんだ。

「HRまでまだ時間あるだろ? 一人だとひまなんだよー。喋り相手になって!」

 手首を摑んだまま、とんでもない事を言い出した赤城君。

 私なんかが喋り相手だなんてどうかしてる。

「わ、私と……なんて、おもしろくもなんとも、ないから……」

 精一杯のこうをしてみた。

 だって本当のことだ。

 私といつしよに過ごす位なら、バスケ部の人達から逃げているほうがよっぽど楽しいと思う。

「そんなことないって。ほら、クラスでほとんど喋ったことないだろ? 柏木がどんなやつか知りたいし」

 ほとんどというか全く喋ったことないよ。

 それより場を持たすためとはいえ、私の事を知りたいだなんて赤城君は本当に変わってる。

 やっぱりその場からはなれようと思い、一歩を踏み出そうとすると赤城君からごういんに手首を引っ張られてに座らされた。

「どっこも行くなよー」

 なんて言いながら私を座らせた張本人は、後ろに積み上げた状態の机と椅子から一きやくの椅子を取り出して、私と対面になるように机の前に置いた。

 そして座った。

「……」

 また目の前には赤城君の顔。

 どこに視線をやっていいのかわからなくて、やっぱり下を向いてしまう。

 だけど赤城君はおかまいなしに次々と私に喋りかけてくる。

「柏木ってさ。いつもここにいんの?」

「……そう」

「こんなトコで何してんの?」

「い、色々……」

「色々? 色々って何?」

 ……いつまで続くんだろう、このじんもん

「色々は色々……」

 勉強ならともかく、ここで一人れんあい小説を読んでいるなんてとてもじゃないけれど言えない。

 きっと「らしくない」とか言われそうだし思われそうだ。

「何だよー、気になるじゃん。あっ、もしかして言えないくらいずかしいこと?」

「そ、そんなんじゃ……ちがう! べ、勉強っ!! ここで勉強してるの! きゆうけい時間も昼休みも放課後も!」

 余計なかんちがいをされたくなくて咄嗟に出た言葉だけれど、ますます暗い奴だって思われちゃったかも。

 少し後悔したけれど、だけどこれが「私らしい」だろうと思いなおした。

「えっ!? お前、授業以外でもそんなことしてんの?」

 っと、明らかに明るくなったのはその赤城君の声。

「じゃあさっ! 人に教えんのとか得意!?」

「……へっ?」

 机に身を乗り出して、うつむいている私の顔をのぞき込む赤城君の顔はがんの状態でもじゆうぶん見えるきよだ。

 もちろん私のかたは上がり、鼻で息を吸ってそのまま止まった。

「あのさ、一週間後に佐々木のヤローが作った俺専用の数学のテストがあるんだよ!」

 停止している私なんか関係ないのか、赤城君の話は続く。

「それで合格点取らなきゃ部活の練習には参加させないって言われてんだよ。ひどくね?」

 酷いのはこんな至近距離で私を見上げながらしやべり続けている赤城君のほうだと思う。

「でもさ、勉強は大っ嫌いなの、俺」

 うん、そうだろうね。逃げ回ってるくらいだもん。

「だけど、バスケは好きだから部活は続けたいんだよ」

 だったらテストで合格点を取ればいいじゃないって簡単に思う私ははくじよう者になるのだろうか?

「でも、クマみたいな佐々木のヤローと部室で二人っきりで勉強なんて絶対いやだ!」

 佐々木先生か……確かクマみたいにおっきい人だったな。

「だからさ、柏木! 休み時間や放課後も残って勉強するくらい好きなら、俺に勉強教えて!?」

 パンッ!! と目の前で拝むように手をたたき、頭を下げているのはちがいなく赤城君だ。

 えっ? 今、赤城君、何を言ったの?

 だれが誰に勉強を教えるの?

 まとまらない私の頭の中は「?マーク」でいっぱいだ。

「このとーり! たのむ!」

 まだ私に拝んでいる赤城君。

「佐々木と二人っきりよりもお前との方が数倍いい!!」

 瞬間、きゆうじようしようの私の体温。比べられたのが佐々木先生なのが複雑だけど。

「お願い! テストの日まででいいから! 助けて!」

 拝んでいる両手からチラッと見えるのは、うすく目を開けている赤城君の顔。

 眼鏡めがねの奥を覗かれているような視線がぶつかり、私はついうなずいてしまった。

「あっ! オッケー!?」

「……えっ?」

 頷いた事をオッケーだと思い込んだ赤城君の暴走は止まらない。

 合わせていた両手はいつの間にか机の上に置いていた私の両手を摑んでいた。

「今、頷いたよな? いい? 放課後だけ俺に勉強を教えてくれる!?」

 近い赤城君の顔。熱におぼれ、混乱した私は言われるがまま……

「……う、うん。わかった……」

 そう、答えてしまった。そして、

「よっしゃ! じゃあ、今日からなっ!」

 っと、赤城君のどこまでも明るくて大きい声が二人だけの教室にひびわたった……



<続きは本編でぜひお楽しみください。>

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