一小節目「消えた秘密のノート」④

 そんな神経をすり減らす日々は一週間ほど続き、いまだにノートは見つからないものの、時間とともに私はへいおんな気分を取りもどしていった。

 悪意ある人の手にわたったなら、そこから友達同士で共有されて持ち主探しがはじまって……なんておそろしい事態もかくはしていたけれど、そんな気配はまったく感じられない。

 きっと、良識ある人が拾い、自分だけで楽しんでゴミ箱に捨ててくれたんだ。いや、そもそも読んですらいないかもしれない。

 そう思いたい。そうに違いない。

 女子高生の心の内をつづったポエムなんてミサイルの発射ボタンよりれちゃいけない存在。

 それをバカにしたり、ましてやだれかに見せたりなんて、ヤクザやテロ集団でもちゆうちよするだろう。


 月曜日の気だるい空気もなんのその。私は晴れやかな気分でお弁当の卵焼きを口に運んだ。

 今日の卵焼きはいつもよりしっかりダシがきいていておいしい。


「あ、そうだ! 遥にオススメの曲があるんだけど」


 机の向かい側でお弁当を食べていた香澄は、思い出したようにハシを置いてスマホを取り出した。

「ボカロ曲?」

「うん、そうそう。二日前、スマ動にアップされたばかりの新曲なんだけどね。もうすでに十万回以上も再生されてる人気曲なの」

 ボカロとはボーカロイドの略。歌詞とメロディーをソフトウェアに入力すると、歌い上げてくれる音声合成システム。スマイル動画、略してスマ動などの動画とう稿こうサイトでは、ボカロで作られた数多くの楽曲をくことができる。

 香澄がオススメしてくる音楽といえば、たいていアニソンかボカロ曲だ。私はアニソンなら有名どころはわかるけど、ボカロはあまりくわしくないので、彼女から教えてもらって流行はやりの曲を知ることが多い。


「ほら、遥って数日前ちょっと人生に悩んでる感じだったじゃん? たぶんこの曲の歌詞すごく共感できると思うんだよね」

 香澄は自分のスマホにつながったイヤホンを差し出してきた。

 そんな風に心配してくれる親友がいること。

 幸せかどうかと問われれば、私にとってこれ以上に幸せなことなんてない。


「ありがと」と言ってイヤホンを受け取り、両耳にねじ込む。

 しばらくして、エレキギターの心地ここちよいイントロが聴こえてきた。

「音量、だいじよう?」

「うん、良い感じ」

 そんな受け答えをしていると、急にドラムとベースが加わり、じゆうこうかんのあるロックな曲調に様変わりした。

 心臓をばすようなバスドラムの音。

 ほっぺたをビンタされているようなスネアの音。

 ぶくろめつけるようにうなり声を上げるベースの音。

 それらにのってかなでられる、泣いているようなギターのフレーズ。


「香澄、やっぱりもうちょっと音量下げてもらえる?」

「りょーかい。ちょっと大きすぎた?」

 香澄はスマホのボタンを押して少しだけ音量を下げてくれた。

 うん、たしかに私自身ちょっと大きいかなと感じたのだけど、それよりも──……。


 横目でちらりとまどぎわの席を見てみる。

 そこには、さっきからにらむようなするどい視線を向けている女子生徒の姿があった。

 彼女の名前はたちばなひな

 私たち二年四組の学級委員長で、生徒会役員でもある彼女は次期生徒会長の最有力候補として名高い。成績ゆうしゆうよう姿たんれい。一体、前世でどれだけの徳を積めばこんなにかんぺきな少女に転生できるんだろう。

 当然のように男子からの人気も高いのだけど、男子どころか女子でさえ、完璧主義な彼女に近づこうとする人はあまりいない。


 食事の手をとめてこちらを見つめていた雛子は、私と目が合うとプイッと顔をそむけてお弁当を食べはじめた。

 なんだろう? そんなに音量が大きかったのかな?

 彼女のことはまだあまりよく知らないけれど、私たちがボカロやアニメの話で盛り上がっているとたまにこうして冷たい視線を送ってくることがある。きっと、いわゆるオタク的な文化がきらいなのだろう。


 気を取り直して、イヤホンから聴こえてくる音に意識を集中する。

 ちょうどイントロが終わり、またギター以外の楽器が姿を消した。

 せいじやくの中で聴こえてくるボカロの歌声。


 はじめてボカロ曲を聴いたときは、機械的な声がどうしても受けつけられなかった。

 でも、ネット上にある数々の曲を耳にしていく中で、ボカロだからこそ表現できる自由な音楽にかれるようになり、だいにボカロそのものを好きになっていった。

 音楽で何かを伝えたい。でも伝えるすべがない。

 ボカロとは、そんな不器用なクリエイターたちの代弁者ともいうべき存在なのだろう。


 色々なことに思いをめぐらせているうちに曲の一番が終わった。

 AメロからBメロ、サビにかけてドラマチックに盛り上がっていく展開。

 エモーショナルでれいなメロディーライン。

 私の好みにぴったりの曲調だった。


 うん、大好き。


 大好きなんだけど……。

 あれ? これって……。


 うそでしょ……?

 いや、そんなはずない……。

 でも──……。


「香澄……悪いんだけど、もう一回最初から聴かせてもらえる……?」


 きように似た感情が押し寄せるのを感じながら、ふるえる声でお願いした。


「うん、もちろん。そんなに感動してくれて、なんか私もうれしい!」


 ごめん、香澄。そうじゃないんだ……。

 いや、感動はしたけど、そうじゃなくて……。


 もう一度、イヤホンからイントロが流れ出す。

 そして聴こえてくるボカロの歌声。

 その歌詞はこうだ。


 目の前に真っ白なキャンバス

「好きな風景をいて」ってだれかが言う

 私が描いたのは緑色の空と青い色の草原


 その人は不満げに笑って

「好きな風景を描いて」ってもう一度言う

 ようやく気づいたの

 私の好きな風景じゃダメなんだと


 仕方なく青い空と緑の草原を描いた


 この手は何でも生み出せる

 この足はどこへでもいける

 そのはずだった そのはずだったのに

 誰かの顔色を見てしまうのは自分自身

 私が描きたい景色は何?


 曲が終わり、そっとイヤホンを耳から外す。

 私は水辺にげられた魚のように目を丸くして口をパクパクさせた。

 言葉を忘れてしまったみたいに、何もしゃべることができない。

 胸に手を当てて心を落ち着かせ、やっとの思いで香澄に問いかける。


「こ、この曲……なんてタイトルなの……?」


 私が感動にうち震えていると信じて疑わない香澄は、目をかがやかせて返事した。


「〈グリーンスカイ〉って曲だよ!」


 ああ……なんてことだろう……。

 神様、こんな仕打ちってありますか?

 私は気を失ってから転げ落ちないようにするのでせいいつぱいだった。


<続きは本編でぜひお楽しみください。>

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