Set list 1
今日は、じいちゃんの命日だ。じいちゃんが死んでもう一年
洋楽ロックが好きで、
中学生の時、僕はじいちゃんとセッションしたくてベースも練習し始めた。じいちゃんがギター、僕がベース。初めて合わせたときの
じいちゃんに届けとばかりに、墓の前でベースを弾く。ここは広い墓地なうえ、
ねぇじいちゃん、新曲作ったんだ。
携帯をタップし、自分で作り込んだ音源を再生する。カウントが四つ鳴ると、ギターのメロディーが
どうにもならない日常、出口のない暗闇、そこに
風が音を乗せて吹き
僕は、最後の一音を弾く。
その
「今のすっげーね! おにいさんが作ったの?」
楽器以外の音が聞こえたことに、心臓が飛び出そうになる。
その明るい声の主は、にこりと笑いながら三つ隣の墓石の上に
「あ、なんかビックリさせちゃった? ごめん、ごめん」
声の主は軽い口調で謝ると、こちらに歩いてきた。月明かりでもよく分かる、派手な格好の青年だった。耳にはごついピアスが痛々しいほど
怖くて動けないでいると、青年がさらに近寄ってきて、顔をのぞき込んできた。目と口がニヤニヤと緩んでいるので
「あ、あの……すみません、でした」
何か反応しないと、この居たたまれない
「どうして謝るの?」
のぞき込むのをやめた青年は、頭半分ほど高い位置から僕を見下ろしてくる。
「えっと、その、うるさかったかなと思って」
「べっつにぃ、おにいさん音量かなり
ならば、なぜ声をかけてきたのだろう。どう返答したら良いのか、コミュ障の僕には分からない。
「それよりさぁ、おにいさんって近くで見ると、案外若いっていうか、何か幼い? 前髪で目が
なるほど。バンドマンだからこんな積極的に来たのか。そりゃ、墓場でベース弾いてる奴がいたら気になるだろう。
ただ、この流れは僕も自己
「……僕、もう帰ります」
片付けようと体の向きを変える。すると、明らかに
「えー、歳くらい教えてくれたって良いじゃん。俺のだけ聞いて
バンドマンは地面に座り込んで、
勝手に自分の年齢を
「……十七歳です」
しばし
「えっ……そっか、あいつと同じ──」
バンドマンの声がだんだん小さくなり、しまいには考え込むような表情で固まってしまった。
さっきまで食いつく勢いだったのに、今度は急に
「あ、あの?」
「いや、ごめんね。ちょっと
先ほどの固まった表情が
バンドマンがベースケースを抱きしめながら立ち上がった。
「俺、
悪戯な表情を浮かべたカズさんとやらが、僕に
僕の名前は
僕はもともと周りに
そんな僕に対し、両親は最初こそ心配そうに声をかけてきた。だが、何を言っても
一人っ子の僕は、ただひたすら部屋に閉じこもった。でも、それに対して、
さて、現実
見ず知らずの他人と一緒にいるだなんて、僕には荷が重すぎる。それに、地下鉄の走行音はうるさいうえ、隣の車両からは大声が聞こえてくるし。
「鈴谷くん、もしかして気分悪い?」
カズさんが心配そうにのぞき込んできた。
「い、いえ、そんなことないです」
実は、本当に気分は良くない。だけど、その理由を言ったら引かれそうで思わず否定した。
「そうは見えないけど。違ってたら
カズさんの問いかけに、驚きのあまり目を見開いてしまう。
「どうしてって顔してるね。そりゃ分かるよぉ。鈴谷くん、大きな音が聞こえるたびに、手にぎゅっと力が入るからさ」
その通りだった。
僕は、幼い頃から音に
僕は返事の代わりに、ぎこちなく
「音に敏感ってことか。だから良い音が出せるんだな。ちぇ、いいなぁ」
カズさんの言葉に、引っかかりを覚える。
「何も、良くないです。こんなの、いらない」
僕は思わず反論していた。だってそうだろう。どれだけ苦痛で、どれだけ苦労して、どれだけ他人から気味悪がられたと思ってるんだ。
「でもさっきの音、すごかったよ。俺、あんなベース
まっすぐにカズさんは僕を見つめてくる。その眼力に耐えきれず、窓の外を向くのだった。
地下鉄を降りると、カズさんに連れられ
そして僕はというと、ヘロヘロに
「体調に
カズさんは
確かにその通りなのだが、ここまで
「……水、ありがとうございます。いくらですか?」
僕は
「えっ、そんなのおごりに決まってるじゃん。俺がわがまま言って連れてきたんだし。それよりもさ、そんなんで日常生活どうしてんの。支障出まくりでしょ」
他人に何かをおごってもらうなんて初めてだ。本当にいいのだろうか。
「そう……ですね。支障が出るので、基本的には家に引きこもってます」
ペットボトルを手の中で転がしながら、ぼそりと答えた。
「でも、学校行くときは外出しなきゃダメでしょ?」
「通信制なので、登校しなくていいんです」
カズさんは腕を組んでなにやら考えている。
「んー、じゃあさ、今日はどうやってあの墓地まで移動したわけ?」
「ヘッドフォンで音楽を
僕が素直に言うと、カズさんの表情が
「待って待って。なら、さっきどうしてヘッドフォンしなかったの?」
「どうしてって……人と一緒にいるのに、耳をふさぐような
すると、カズさんが
「思って? 気分悪いの我慢してたの? マジか……」
カズさんはあからさまに
なんていうか、この人、変だ。
「あの、なんかスミマセン」
困り果てて、僕は小さく謝ってみる。
すると、すぐにカズさんは肩を上げた。
「謝んなって! それよりだいぶ顔色も
そう言うと、僕の返事なんか聞かずに、カズさんは奥の受付へ行ってしまう。
セッションするだなんて、結局
けれど、帰らなかった。内心ビビりまくってはいるけれど。
僕とセッションしたがる人なんて、じいちゃん以外にいるはずがない。だから、こんな変な人に
いつも家の中で弾いてるだけだったから、スタジオなんて初めてだった。スタジオ内は正面が鏡になっていて、困り顔の僕が映っている。
防音の室内は、カズさんがギターをチューニングする音がベンベンと聞こえるだけだ。動きを止めれば無音状態。そこに
実際は、カズさんが軽くギターを鳴らし始めただけ。けれどその音は、僕の体を通り抜けた。まるで、太陽に熱せられた夏の風だ。暑いからこそ、風が欲しくなる、手を伸ばしたくなる。
「鈴谷くん?」
呼びかけと同時に風がやむ。
「もっと」
僕は
「鈴谷くん?」
「風が、
カズさんの前まで、ふらふらと歩く。
こんな音を出す人、初めてだ。時間だけはあったから、いろんな音楽を家で聴いた。けれど、こんな気持ちいい風を感じるギターは、聴いたことがない。
「風? ここ室内だよ?」
カズさんの
「あ、あの、いいいいまのは言葉の
手をブンブンと左右に振り、身振りも加えて必死で否定した。
僕は音に敏感すぎるせいか、聞いた音に対して、風や温度、
あと、ついでに言えば、いわゆる絶対音感をもっているらしい。『らしい』というのは、絶対音感があるとじいちゃんに言われたけれど、ちゃんと確かめたことがないのだ。
「そうなの? まぁいいや。鈴谷くんもベース用意しなよ」
カズさんはそれ以上
幼い
だから、
それでも幼稚園の頃は、ビクビクしたり、気分が悪くなる原因が分からなかった。まさか、自分の聞いている音の世界と、他人の聞いている音の世界に
だから、気味の悪い自分を知られたくない。こうして明るく接してくれているカズさんの
僕は
「すごい」
思わず言葉が
「鈴谷くんはスタジオで音出すの初めてでしょ。そーなのよ、ここで出す音は違うんだよ」
カズさんがにやにや笑っている。
それからしばらく指慣らしでスケールを弾いてると、聞き覚えのあるギターフレーズが飛び込んできた。ドヤ顔のカズさんにイラッとしながらも、僕はカズさんに向かい合うように体の向きを変える。それが合図のように、カズさんが再びフレーズを初めから弾き始めた。
カズさんが弾き始めたのは、僕が墓地で弾いていた曲だ。一度
置いていかれたくなくて、僕は夢中でベースを弾く。真夏の太陽の下、自転車で坂を
「最高! めっちゃ気持ち
曲が終わると、カズさんが額に
僕は
「鈴谷くん、楽しい?」
「そっか、そっか。じゃあさ、
興奮が冷めやらず、
それは四月
【カズくんのドッキリ動画配信のお時間でっす。え、ひねりが何もないって? じゃあ今から、この生配信の名前を
携帯から調子の良い声が流れてきた。
「
携帯をいじりながら、高校の制服を着た男子が声を上げる。
すると、呼びかけられたエプロン姿の青年が、ため息をつきながら寄っていく。
「あいつ、本当に自由人だよな。俺らにはやるって事前に言っとけよ」
青年は、携帯の画面をのぞき込むと、
「順兄、俺も書き込む。何がいいかな?」
「お前な、一緒になって遊ぶな。あいつが調子に乗るだろ」
【お、どんどん来たね。えーとバンド名にひっかけて『シンドローム』をつけるのが多いね。ふんふん、じゃあ、独断と
画面上に「泣かないで」の文字が流星のようにたくさん流れていく。
【へへ、ありがと。みんなやっさしいなー。じゃあ、この生配信の名前も決まったところで、改めて『カズくんシンドローム』始めまっす!】
ジャーンとアコースティックギターの音が鳴る。効果音を自分で入れているらしい。
【じゃあ何を話そう……最近驚いたことにしようかな。実は俺ね、運命の出会いをしたんだ】
画面が文字で
【わ、こんなに反応があるとは。ごめん、ごめん、
最後の一文だけ低い
その
「にしても、リーダーの言う運命の出会いってなんだろ」
制服男子は
【ちょっと前にさ、
カズは心底楽しそうに、思い出し笑いをしている。
「バカだとは思ってたけど、まさか興味本位で墓地まで行くとは……」
青年は頭を押さえる。
「えー俺も行きたかった。
制服男子は不満をぶつけるように、コメントを
しかし、
「コメントが目立たない! 色つけよ」
なぜか選んだ色は黄色で、ますます目立たぬまま終わる。
「お前、なんで黄色なんだよ。赤とか青とか、
「だって、黄色は俺の色だから。俺のコメントだって気づくかなと思ったんだもん」
【琵琶法師はちゃんと生きた人間だったよ。すんごく不思議でアンバランスな
「ちょい待てや! あいつ、何勝手に告知してんだよ」
青年が、画面に向かって文句を言う。
「あはは、まだ対バン相手にやるって返事してないんだっけ」
「そうだよ。まったく、これで絶対にやらなきゃいけなくなったじゃん」
青年はこめかみを
「たぶん、リーダーの
「ライブやりたいのは分かるけどさ、やっぱりサポートメンバーじゃ……」
「そうだね。なんかピッタリしないもんね」
制服男子の表情も
その後も、携帯からは軽快に『カズくんシンドローム』の配信が流れていった。
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