第三章 もう一人の、彼_1



「……はあ~~」

 二日連続でねむれなかったこともあって、翌日学校へ向かう私の足はなまりのように重かった。

 とにかくもう、恥ずかしいやら訳が分からないやらで、折坂くんに会うのがいやでたまらなくて。

 びようを使って休もうとしたけど、すぐにお母さんにかれて、ぐずぐずしている間に家をたたきだされてしまった。

 足元に目を落としてトボトボ歩きながら、何度もためいきこぼれ落ちる。

 この二日間のこと。

 総合的に考えると、やっぱり告白されたあの日のことが夢だったのかなぁ…って、私は思い始めていた。

 だって……折坂くんとはほとんど話したこともなかったし、特別可愛かわいいって訳でもないのに、好きになってもらえる訳ないし。

 ────でも、だとしたら。

 私って、イタいやつだよなぁ……。

「おはよー、リン」

 やっぱり帰ろうかな、なんて考えていた時に背後からポン、とかたを叩かれて、私はビクッと体をらせた。

 声の主は亜美で、当然だけど何も知らない彼女はいつもと変わらずニコッと明るくほほんだ。

「……亜美。……おはよ」

「あれ、どした? なんか暗くない?」

 私の顔を見た亜美が、びっくりしたみたいに目を丸くする。

「んー。ちょっと、れなくて……」

「なんで? なやみ事?」

「……ってゆーか……」

 例の話を亜美にしようかどうか迷いながら、ばこに差しかった、その時だった。

 くつえている折坂くんとちょうど出くわしてしまい、私はギクッとその場で足を止めた。

「…………っ」

 カァッと、体中が熱くなってくる。

 ドクン、ドクンって嫌な動悸がしてきて、私は根が生えたみたいに一歩もそこから動けなくなってしまった。

 その時、靴をった折坂くんが私に気付いたようにふっと視線をこちらに向けた。

 一瞬二人の間にだけ、ピリッとした空気が流れる。

 私を見た折坂くんは何か言いたげに口を開きかけたけど、私は彼からサッと目をらしてしまった。

「リン?」

 立ち止まってしまった私を、亜美が不思議そうにり返る。

 ハッと顔を上げると、折坂くんは少しこちらを気にする素振りを見せながらも無言でろうの方へ歩いて行ってしまった。

「……ねえ、亜美」

「ん?」

 靴を履き替えて教室へ向かいながら、私は横を歩く亜美にチラッと目を向けた。

「亜美ってさ。確か折坂くんと1年の時同じクラスだったよね?」

「え? うん、そうだけど?」

「折坂くんて、どんな人だった?」

「は?」

 とうとつな質問に、亜美はまゆひそめる。

「どんなって、別に……。今と変わらないけど? いい意味でも悪い意味でもつうって言うか。派手でも地味でもないし」

「……例えばさ、急に性格がひようへんしたりとか、実は二重人格だ、なんてうわさとか……」

「は? ないよ、そんなの」

「…………だよねぇ……」

 自分で聞きながら、そんなことないよなぁ……と、私は心の中で思っていた。

 あまり接点がなかったとはいえ、この半年間クラスメートとして見てきた折坂くんは、ホントに『普通の男子』だった。

 それこそ亜美の言う通り、派手でもなく地味でもなくて、いっつも男子同士でつるんでて、明るく笑ってるような印象しかなくて……。

 あんな風に柔らかく笑うイメージも、冷たい目をするイメージも、なかったんだけど……。

(……もういいや、忘れよう)

 授業中、なるべく折坂くんを視界に入れないようにしながら、私はそんな風に考えていた。

 夢だったにしろなんにしろ、昨日あんな風にき放されたってことは、あの告白はなかったってことになるんだろう。

 元々別に好きな人だった訳でもないし、話したこともなかった人だし。

 この二日間のことは悪い夢だったと思って、忘れてしまえばいいんだ。

 そしたらもう、元にもどるだけ。

 ほとんど接点もなかったただのクラスメートの関係に、戻るだけだ……。





 ──そんな風に、なんとか気持ちを切り替えようとしていた矢先の、昼休みだった。

 亜美と向かい合ってお弁当を食べていた私の横に、スッと人が立った。

 不意に机の上にかげが出来て、びっくりした私はおはしをくわえたままその影の主を見上げる。

「…………っ」

 それが折坂くんだとわかったしゆんかん、私はぐっとのどまらせてしまった。

(なっ、なななな、何っ!?)

 気をいていたところだったので、不意打ちの折坂くんの登場に全身の毛穴が一気に開く。

 私だけでなく、向かい合って座っていた亜美までが、びっくりしたように折坂くんを見上げていた。

「……長谷部。今、ちょっといい?」

 どこかえんりよがちに、折坂くんはそう切り出した。

 昨日のことがあったから、私はとっさに身構えてしまう。

「……え?」

 さぐるように聞き返すと、私のけいかいしんが伝わったのか折坂くんは少し困ったように頭をいた。

「昨日のこと、なんだけど」

「…………っ!」

 あわてて私はガタッと立ち上がる。

 昨日の話をこの場でされるのはマズイと思い、私は思わず折坂くんの手首を強くつかんだ。

「ばっ、場所変えよう!!」

「え。……ああ、うん」

 ぜんとしている亜美に声をかけるゆうもなく、私は折坂くんのうでをグイグイと引いて、そのまま教室を後にした。


 二人きりで話をする場所がすぐには思い付かず、結局私達はその足で屋上へと向かった。

 夏が終わって気候がよく、屋上でお弁当を広げている生徒が多くて内心で私は舌打ちをする。

 それでも、タンク裏のかげになっている場所にはだれもいなかったので、自然と私達の足はそちらへ向いた。

(……やだな。……ここ)

 かなあみに指を引っ掛けながら、私はハアッと大きなためいきをついた。

 しくもここは、一昨日おととい折坂くんに告白された場所。(私のおくでは)

 あの日はあざやかな夕焼け空だったけど、今はさわやかな秋晴れの、抜けるような青空だった。

「長谷部」

 背後に立っていた折坂くんに声をかけられて、私はビクッと体をらせた。

 おそるおそる、振り返る。

 彼の顔を見た瞬間、昨日の冷めた目を思い出して、私の心臓はきゅうって縮むような感覚を覚えた。

「は、話って、何?」

 おびえながらたずねると、折坂くんは軽くひとみをさ迷わせた。

 少し何かを考え込んだ後、りんと顔を上げる。

 その顔は一昨日とも昨日ともちがった表情で、何故なぜだか胸がドキッとはずんだ。

「───昨日はなんか……ちょっと態度悪くて、ごめん」

「……え」

 いきなりの謝罪の言葉に、私は軽くめんらう。

「それで改めて、昨日長谷部が言ってたこと、くわしく聞きたいんだけど」

「き、昨日……って……」

「俺が、告白したとか何とか」

「あ、あれはもういいよ。……多分、私のかんちがいだし」

「…………」

「折坂くんが言った通り、夢でも見てたんだよ。……だからもう、忘れて」

 昨日のずかしさがよみがえってきて、私は一方的に早口でそうまくし立てた。

 今はもうただ、一刻も早く会話を終わらせて、この場を立ち去りたかった。

 すると折坂くんはキュッとくちびるめ、何故か少し不安そうに瞳を揺らせた。

 昨日のキツい印象とは打って変わっての彼の様子に、私は激しく混乱する。

 ……一体全体、どうしちゃったんだろう……。

「勘違いしてんの、俺かもしんない」

「え?」

 ボソッと折坂くんがつぶやき、よく聞き取れなかった私はじっと彼の顔に見入った。

 折坂くんは不安げな表情のまま、ふと目線をななめ下に下げた。

「ぶっちゃけ俺……覚えてないんだ……」

「…………」

「昨日は長谷部に、家にいたって言ったけど……。ホントはその時間の記憶がスッポリ抜けてるんだ……」

 おどろいた私は目を見開く。

「ど、どういうこと?」

「俺もよくわかんねーんだけど。……三日ぐらい前からポツポツ記憶が抜けてる時間があって……」

「…………」

「長谷部に言ったことはうそじゃないんだ。一昨日は授業終わってから真っぐ家に帰って……。でも自分の部屋に入ってから二時間ぐらいふっと記憶が飛んでて、出かけたつもりもないのに、気が付いたら外にいて……」

 折坂くんは、ぎゅっとりようこぶしにぎりしめた。

「昨日も長谷部と別れて学校を出たまでの記憶はあるんだけど、ハッて我に返った時は全然知らない場所にいて、二時間ぐらいってた……」

 正直、折坂くんの言っていることがよくわからなくて、私はだまって彼の話に耳をかたむけるしかなかった。

 記憶がないって……一体どういうことなんだろう。

 彼は一体、私に何を言いたいんだろう……。

 じっと彼の顔を見つめていると、折坂くんは体を反転させて両手でガシャッと金網を摑んだ。

「だからもしかしたら……長谷部に告白したっていうの、やっぱり俺かもしんねぇ」

「えっ?」

 そこに話がもどってきて、私はびっくりして大声を出してしまった。

 折坂くんは、ゆっくりと顔だけをこちらに向ける。

「記憶がない時間に俺、無自覚に色々なんかやらかしてんのかも…って。そう思ったらすげーこわくなってきて……」

「…………」

「だから一昨日、俺が告白したって話、詳しく聞かせてほしい」

 折坂くんの私を見る目付きは、しんけんそのものだった。

 不安のにじんだ瞳。

 まぁ、確かに……折坂くんの言うことが本当なのだとしたら、そのじようきようものすごく不安であることは間違いないよね……。

 彼の様子からして、噓をついている風ではないし……。

 何が何だかわからなくてこんわくしながらも、さっきよりは少し気持ちが落ち着いてきていた私は、呼吸を整えながらゆっくりと口を開いた。

 一昨日のことを思い出しながら、ポツリポツリと説明を始める。

 折坂くんは金網にもたれて腕を組み、じっと私の話に聞き入っていた。

 時々けんに深いシワが刻まれ、険しい表情になる。

 何だか、告白された話を当の本人に説明するのが恥ずかしいやら、折坂くんのその顔が怖いやらで、上手うまく説明できたのかどうかもわからなかったけど。

 私が話し終わると同時に、昼休みの終わりを告げるれいのチャイムが鳴った。

「…………」

 ほかの生徒達が、わらわらととびらへ向かって歩いていく。

 チラッと折坂くんの顔をうかがうと、折坂くんはゆっくりと金網に凭れていた体を起こした。

「……ありがと、長谷部」

「えっ。あ……いえ」

「あと悪いんだけど……。放課後もうちょっと、話聞いてもいいかな」

「え。……うん。あ、でも、委員会の後になるけど」

「委員会って……。ああ、学祭の」

「うん。おそくなるけど、それでもいい?」

「────わかった」

 折坂くんはふぅっと大きく息をき出した後、何かを言いよどりを見せた。

 まだ何か言おうとしてるのかな、と思い、彼の口元を見つめながらじっと続きを待っていると。

 折坂くんは人差し指でほおきながら、スッと私から目をらした。

「昨日は……ホントにごめん。感じ悪くて」

 ボソッと言った後、彼の顔がうっすら赤く染まる。

 その表情に、私はびっくりして息を飲んでしまった。

おくないのちょっと不安になってた時に身に覚えのないこと言われて……。八つ当たりっぽくなったっていうか……キツい言い方になって、ごめん」

「…………!」

 ペコンと頭を下げられて、私はブンブンと勢いよく首を横に振った。

「う、ううん。気にしてない。平気」

 ホントはめちゃくちゃヘコんで気にしまくってたけど。

 理由聞いたら、仕方がないなって思えたし。

 謝ってもらって、ちょっと気が晴れたというか。

 ぎこちなくだけどニコッと折坂くんに笑いかけると、私の顔を見た折坂くんは少しホッとしたように表情をやわらげ。

 ……そうして照れたように、小さく笑い返した。

 ───ああ、また。

 初めて見る表情。

 私が知らなかっただけで……多分折坂くんは、もっといっぱい色んな顔を持ってるんだろうな……。

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