夢と現と君の記憶

「バカじゃないのッ⁉」

 病室中、下手したら廊下にも響き渡った母さんの怒鳴り声は、他に入院している患者や看護師達の注目を一気に集めた。

「母さん落ち着いて。ここ病院だから」

 父さんがそう宥めるが、母さんは聞かない。

「貴方は逆に何でそんなに落ち着いていられるのよ‼ 子供が自殺しようとしたのよ⁉ たまたま落ちるのを見掛けた人がいたからいいものを……あの方達がいなかったらと思うと、もう……っ」

 父さんは母さんの背中を摩りながら、廊下まで連れていく。

 あの日、俺達が崖から飛び降りる姿を、近くを散歩していた老夫婦が見てしまったらしい。二人はすぐに警察に通報して、その日のうちに俺らは見付かり、病院へ搬送されたそうだ。

 そして俺は、それから約三日間、生死を彷徨っていたと、看護師に聞いた。

「ちょっとオーバーに感じるかもしれないけど、母さんの反応が普通だよ。お前は、それだけの事をしたんだ」

「それは、わかってるよ」

 もう高校生だ。それがわかっていなかったら、こんな意味も面白みもない人生なんてさっさと棄てていただろう。

「あれからずっと、考えていたんだ。母さんと、二人で」

「……何?」

 父さんは少し躊躇して、姿勢を改めてから続ける。

「お前が辞めたいと思うなら、高校を辞めてもいい」

「え……?」

 高校を、辞める? どうして?

 父さんはずっと『頭のいい息子がいて鼻が高いよ』なんて言っていた。戯けてみせてはいるものの、きっとそれは本心だ。

 だから俺は、期待に応えたくて高校に入った。結局不登校ではあるけれど、『入学して卒業することが大事なんだ』と言ってもらえて、嬉しかった。

 それなのに、何で急に……。

「俺に、幻滅したって事?」

「違う。そんなんじゃない」

「じゃあ何で?」

「……辛いからだ」

「え?」

「今のお前を見ていると、辛くなるんだ」

 それは、俺が目障りだという事だろうか。でも父さんの口調からは、そんなような意味ではないように感じた。

「父さんが高校二年の時、当時の級友が自殺したんだ。といっても、幸い、それは未遂で済んだけどな。埼玉は――あぁ、そいつの名前だが――その後、病院でこう言ったんだ。『理由はよくわからないが、学校という場所が凄く嫌いだった。でも俺が死んだら悲しむ人がいる。だから俺は、もう二度と、自分で命を絶つような事はしたくないよ』って。暫くして、埼玉は学校を辞めた。通信制の高校でやり直したそうだよ。

 お前は頭がいい。だから父さん達は、学校へ行かせる事だけを考えてきた。でも、それは間違っていたのかもしれないな。お前が行きたくないなら、学校を辞めてもいい。今は高認だってあるしな。お前なら、大丈夫だろ」

 父さんは、いつもみたいに優しく笑う。でも俺は、上手く笑顔を作れなかった。

「牧村梗汰さん、ちょっといいかしら」

 返事が出来ず戸惑っていたら、看護師がドアから顔を覗かせてそう言った。父さんは彼女に頭を下げて、「じゃあまた来るな」と言って出て行ってしまった。

「素敵なご両親ね。貴方の目が覚めるまで、毎日二人出来ていたのよ」

「そうですか……」

「命なんて、簡単に捨てていいものではないわ。紙切れとは違うのよ」

「…………」

「まぁでも、学生らしくて好きだけどね」

「え?」

 反射的に彼女の顔を見ると、彼女は一瞬だけこちらを見て、笑った。

「青春って感じがして、私は好きよ」

 どういう事か訊こうと思ったけれど、それより先に廊下の騒がしさに意識が行った。

「どうしたのかしら」

 そうは言いつつ、彼女は特に気にする風ではなかった。

「見に行かないんですか?」

「あっちには他の看護師や医者が沢山いるわ。それに、私の仕事をまだ終えていないのに行ってどうするの?」

 それもそうだ。

 俺はあまり気にしないように、意識を別のところへ持っていこうとした。――その時。

「先生! 埼玉紗由莉さんが、目を覚ましました‼」

 沢山の足音の中に、そんな言葉を拾った。

「……さゆり、さん」

 木に成った林檎が、すとんと落ちて地面を叩くみたいに、それは俺の口から零れた。

「知り合いなの?」

 わからない。

 知り合いでは、ない気がする。

 でも、どうだろう。何処かで知り合っていた可能性だってあるんじゃないか?

 知らないはずの他人の名前が、心の中に蟠りを残す。

 沸々と湧き出す記憶が脳細胞に絡まって、大切な事が思い出せない。

 結局夜になっても何も思い出せないまま、俺は諦めて、眠りについた。



 それから俺は、身体的な面と精神的な面を兼ねて、三週間程入院させられた。

 退院した時、母さんは泣きながら俺を叱って、その後優しく抱き締めてくれた。父さんは微笑を浮かべて俺の頭を撫でた。

 両親の優しさを改めて感じると同時に、この二人が生る間はまだ死ねないな、と思った。

 そして思い浮かんだのは、セーラー服の少女の姿だった。

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