第78話 論破すること、あの人の如し

 ――翌日!


「貴様! ふざけるな!」

「オマエこそ何だ! 偉そうに!」

「名を名乗れ!」


 ヤバイ……。

 収拾がつかない……。


「なんだとー!」

「なんだとは、なんだー!」


 ああ、無情……。

 俺は遠い目をして、躑躅ヶ崎館の天井を見上げた。


 対長尾家の対策を決めるべく、俺は大評定を開いた。


 武田家の重臣。

 甲斐の主立った国人衆。

 信濃から避難してきた国人領主。

 それぞれの家臣。

 合計六十名が、躑躅ヶ崎館の大広間に集まった。


 大広間は人気アイドルのライブ会場並にギチギチで、熱気が凄い。


 最初は冷静に議論出来ていた。


 武田家筆頭家老板垣さんから、状況の説明があり、武将たちが色々と話し始めた。


 俺と板垣さんの事前打ち合わせでは――。


『御屋形様。最初は自由に議論していただきましょう』


『そうですね。まず、思っていることを吐きだしてもらって、スッキリしたところで、俺たちの案を出す』


『言いたいことを言った後ですから、我らの案が通るでしょう』


 ――という段取りだった。


 だが……。


「だから、貴様の家はとろくさいのだ!」

「無礼だぞ! 貴様の嫁の方が、とろいわ!」

「それは……!? どういう意味だ!?」

「そういう意味だ! うつけ!」


 もう、軍事行動とは関係のないところで議論……、いや、ケンカになってしまっている。


 俺は腕を組み、ため息をつきながら、板垣さんに相談した。


「おかしいなあ。状況は説明したのだけれど……。板垣さん、どうしましょうか?」


「いや、もう、どうにもなりませんな……」


 板垣さんは目頭をもみ、匙を投げた。


 長尾軍は、越後から信濃に入ると、まず村上義清軍を撃破。


 ここで二手に分かれる。


 一隊は、深志の小笠原家へ向かい、もう、一隊は、小県郡の海野家へ向かった。


 小笠原家に向かったのが本隊で、長尾家当主の長尾為景が率いる。

 海野家に向かったのは別働隊で、長尾家きっての猛将柿崎景家が指揮を執る。


 長尾軍は二手に分かれたが、攻撃力は落ちず小笠原家、海野家を速攻で下した。


 そして、本隊は、深志の小笠原家領地から諏訪へ。

 別働隊は、小県郡から佐久郡へ向い、既に戦闘が始まっている。


 佐久では、長尾軍に負けて、我が武田家に敗走してきた国人領主もいるし、籠城して救援を待っている国人領主もいるのだ。


 だから――。


「だから、ケンカしている場合じゃないのだけれど……」


「まったくですな……」


 俺も板垣さんも、ため息が深い。


 きっかけは、例の小笠原兄弟だ。


 小笠原家当主の小笠原長棟殿は、静養中のため欠席。

 代理で兄の小笠原長時と弟の小笠原信定が、大評定に出席した。


『なんだ? 小者ばかりだな! 控えよ!』

『そうだ! 控えろ!』


 初っぱなから、これである。

 いきなり空気が悪くなった。


『まずは、深志から長尾のやつばらを追い払うのだ!』

『そうだ! まず深志だ!』


 次に自分の都合優先である。

 ますます空気が悪くなった。


『その方らは、信濃の守護たる小笠原家の指揮下に入るように!』

『そうだ! 入るように!』


 さすがにこれは、諸将もカチンと来ていた。

 小笠原家が信濃守護ではあるけれど、長尾軍の攻勢に対して守護らしいことは何一つ出来ていない。


 今回、避難してきた国人領主を保護して面倒を見ているのは武田家。

 そして、兵を出すのは武田家なのだ。


 小笠原家が威張り腐る理由がない。


 この後、板垣さんから状況説明があり、フリー・ディスカッション・タイムになったのだが、小笠原兄弟の進撃は止まらなかった。


 諸将もあおられて、この有様である。


 俺と板垣さんが遠い目をして途方に暮れていると、小笠原兄弟が頼んでもいないのに、こちらにからみだした。


「オイ! 武田の! 貴様、やる気があるのか?」


「へっ?」


「この評定の場で立ち働いているのは、ガキばかりではないか! まともな近習はおらんのか!」

「そうだ! ガキばかりだぞ!」


 小笠原兄弟は、本当にうるさい。

 小姑か!


 俺は大きくため息をついてから、返事をした。


「武田家は人手不足なのです。成人した者や小姓でも年上で心利く者は、皆さんのお世話係にあてているのです。ですので、年若い小姓が多くなってしまうのです」


 小笠原家を筆頭に、逃げて来た国人領主と家臣、その家族の身の回りの世話をしなくてはならない。


 食事の手配から、厠への案内まで、細々した仕事が沢山あるのだ。


 俺は暗にオマエラのせいで人手が足りないのだと、マイルドな嫌味を言ったのだが、小笠原兄弟には通じなかったようだ。


 小笠原長時はバカにした顔で、ネチネチとからみ続ける。

 昨日、俺にやり込められたことを、根に持っているのだろう。


「ハンッ……。甲斐守護武田家の底が知れるな。だいたい、評定の場に女がいるのは、どういう了見だ? 女子供の手を借りねばならぬとは、情けないのう~」

「そうだ! 情けないぞ!」


 不用意な言葉に、恵姉上が反応した。


「小笠原長時! 聞き捨てならぬぞ!」


 女性に怒鳴りつけられ、小笠原長時はポカンとした。

 だが、すぐに顔を真っ赤にして言い返す。


「ぬっ!? 女は引っ込んでおれ! ここは戦について語る場だぞ! 軍議に女が出しゃばるとは何事か!」

「そうだ! そうだ! 何事か!」


 恵姉上は、待ってましたとばかりにドヤ顔で言い返す。


「恵は千鶴隊の大将じゃ! 先の今川との戦では、首級も上げたぞ! 軍議に出席するのは、当然じゃ!」


「そーよ! 恵ちゃんは、私と一緒に戦ったんだからね!」


「女だから戦に役に立たないとか……。考えが古いですね!」


 奥さんの香と妹の南も参戦だ。

 女性を敵に回すと怖いぞ……。


「お主ら……! 女らしく、少しはわきまえたらどうだ!」

「そうだ! わきまえろ!」


「女であろうと一家の大事とあらば、弓薙刀を担いで戦場に赴くのが、武家の勤めであろうが!」


「そーよ! そーよ! あ……、さては小笠原長時さんは、戦場に出たことがないんじゃない?」


「ああ……。小笠原家は兄弟そろって、童貞ですか……。あっ! もちろん、戦場に出たことがないって意味ですよ!」


「南ちゃん! きっと夜の方も童貞だよ! あの二人に顔を見ればわかるでしょ!」


「ああ! 童貞だから、あんなに余裕がないのですね! 残念な兄弟ですね……」


「お主ら口を慎め!」


 早くも小笠原兄弟が、ボコボコにされている。

 武田家の家臣団は、『ざまあみろ!』と薄笑いを浮かべて小笠原兄弟をにらむ。


 小笠原兄弟は、今になって悪い空気に気が付いたのか、居心地を悪そうにした。


「二人に問うが、本当に戦場に出たことがないのか? 敵を討ち取ったことがないのか?」


 そこへ、恵姉上が淡々と詰めだした。

 小笠原兄弟は、恵姉上から視線を外した。

 兄の長時が、投げやりに答える


「それがどうした! この小笠原長時は、小笠原家の長男! 戦場に出たとて、雑兵に混じって刀を振るうことなどないのだ!」


「そうか? 先の今川との戦では、太郎は敵の総大将今川義元を自ら討ち取ったぞ」


「何!?」


「戦場なればこそ、大将自ら刀を振るうこともあるのじゃ。まして、我らは守護の家に生まれたのじゃぞ? いざという時に、刀を振れぬようでは頼りなさ過ぎると思うが……」


 小笠原兄弟は、恵姉上に論破されかけている。


 武家の当主が戦うことを恐れるようでは、人がついてこない。

 もちろん猪突猛進して、自分の命を軽く扱うのはダメだが、今は戦国時代……勇猛さは賞賛されるのだ。


 小笠原長時は、不利な状況を変えようとしたのか、立ち上がって恵姉上をにらみつけた。


「小笠原家は、小笠原流を継承する名門武家ぞ! いざ、戦場に出たならば、敵を引きちぎってくれるわ!」


「よう言うた! 天晴れじゃ! 小笠原長時!」


 恵姉上は、待ってましたとばかりに立ち上がると、大広間から庭に降り立った。

 そして、小笠原長時の方へ向くと、両手を広げた。


「いざ、組まん!」


「な……なに!?」


 小笠原長時は、恵姉上が言っている意味がわからずに、困惑している。


 だが、武田家の家臣団は、恵姉上の言っていることを理解した。

 ニヤニヤしながら、二人を見守る。

 俺は、頭を抱え深いため息をつき、全てをあきらめた。


 恵姉上は、さも、当然と話を続ける。


「組むと言ったら、相撲に決まっていよう! さあ、早よう!」


「ちょっ!? ちょっと待て!? 女子と相撲など――」


「小笠原家は、名門なのであろう? 敵をひきちぎるのであろう? ならば、その力を見せてみよ!」


「なっ――!?」


 はあああああ………。

 恵姉上!

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