終章 幻想世界の日常風景

6-1 それから

 アリス・アリソンという名の女ドワーフは存在しない。


 なぜなら偽名だからだ。


 彼女は自分を、この世の影に生きる幽霊のようなものだと思っていた。いたのだが……。


(まさか、この世界そのものがあの世みたいなもんだったとはね)


 電使エレカンジェルの最後のアレは警告だ。


 人の心に、魂に存在価値がなくなればこの世界も存在意義をなくすという。


 死後の世界の管理者と言う意味では、奴は死神よりむしろ天使かもしれない……。


(ってアホか。あんな不気味な天使がいてたまるか)


 自分で自分の妄想に呆れていると、耳のウェアコンが着信を知らせた。同時に仮想窓が開き、見覚えのない番号が表示される。その並んだ数字が、あらかじめ取り決めてあった規則に従っていることを確認。応答を許可すると、いつもの軽薄な顔が映し出された。


『確認、終わったよ。口座はちゃんと、彼が言ってた通りの名義で存在してた』


「……」


 目だけで続きを促すと、ボビィは大げさに手を広げながら答えた。


『これがまた結構なRPが溜まっててさ。諸々の手続きを終えたら、当分の間は仕事なんかしなくたって遊んで暮らせるよ?』


「ふん。そうか」


『どうしたの? なんかいつも以上に気のない返事だね』


「別に」


 傭兵時代に得た評判を全て渡す代わりに、アムの再起動とマルティコラスにかかっている機能制限の解除を手伝う。


 それが瀕死のエミリアが持ちかけてきた取引だ。


 支払いに法定通貨ではなく暗号資産を用いたのは、彼が社会の裏に潜っていた証だろう。信用経済の発達したこのご時世、己の評判だけで普通に毎日を過ごす者も少なくない。


 だが実態としては、銀行に口座の開設を拒否された、あるいは公的機関によって凍結されてしまった者も含まれるのが実情だ。そうした人間が評判を得るには、誰もが嫌がる仕事を――合法非合法を問わず――するしかない。


 裏道を歩く人生とは、決して陽の当たらない道を行くことだ。


(さて。あいつはあれで、自分の生に納得してるのかねえ。あるいはいずれ、裏に生きるこの身に順番が回ってくれば分かるかも……)


 アリスは、自分でも珍しいと思えるほど感傷的になっていた。その様子をどう見たのか、相棒が普段通りのヘラっとした笑みを浮かべた。


『ま、色々あったけど今度の仕事は成功ってことで。打ち上げにこれからお茶でもどうかな。難しいことは甘いものでも食べて忘れよ?』


「生憎だったな。甘いものは好きじゃない」


『ありゃ。そうだっけ?』


 目に見えて落ち込む男。それもいつも通りのオーバーアクションだったが、これはこれで嫌いではない。だからアリスはこう続けた。


「だが、酒を一杯というならば付き合わんでもない。……店はどこでもいい。任せる」


『え!? マジで!』


「ああ。ビールでもワインでも好きにしな。今は酔って現実を感じたいんだ」


『やっ、たー!』


 手を叩いて喜ぶボビィ。酒で沈んだ気分を払うつもりのアリスだったが、相棒の盛り上がりようを見ていると、もうそれだけで心が軽くなっていることに気付いた。


「ふん。飲む前から騒いでからに……。こっちも気合を入れないといけない気になってくるじゃないか」


 誰にともなく呟いて、アリスはクローゼットに向かった。


 女が並外れた酒豪だと男が思い知るまで、あと一時間。


―――――――――――――――――――――――――――――


 夏休みが明けると、学校はとある企業が行った違法研究の話題で持ち切りだった。なにせ自分たちの暮らす地域で、人知れず機械の魔物の改造が行われていたのだから。とはいえ、まだ学生である生徒たちの間には、どこか人ごとのような雰囲気が漂っていた。


「みんな呑気だな」


「そういうあなたはどうなのかしら」


「……リーシン」


「なにか悩みごと? ずいぶん思いつめたような顔をしているけれど」


「あ、いや。大したことじゃないよ」


 隣の席で小さく首を傾げる幼馴染に、コーヤは軽く手を振って答えた。すると彼女は、制服のポケットから情報端末を取り出し、無造作に指を滑らせた。


「ハートのキング。真っ赤な嘘――大嘘ね」


「うおおい!」


 王様の衣装を着た猫の画像を突きつけられ、コーヤの喉から苦情とも悲鳴ともつかない声が漏れる。あとに続く言葉も、ほとんどうめくようにしか出なかった。


「勘弁してくれ……」


「なによ。あのあとどうなったか、教えてくれないあなたが悪いんじゃない。メッセージ送っても返事は返ってこないし、通話をかけてもパティが応対するし……。少なくとも、バイク通学やめてバスで登校するようなことはあったんでしょ」


「ぐ……」


 ほっそりとした指で額をつついてくる。


「いろいろあって、あり過ぎて話せることが少ないんだよ。守秘義務ってやつだ」


「そう」


 説明になっていない説明を聞いてリーシンは手を下ろした。あらぬ方向を見やりながら、しみじみと呟く。


「彼女は、自分のいるべき場所へ去って行ったのね」


「ちょ、おまっ……なんで!?」


 周囲の級友が何事かと振り向いた。驚かせて悪いと謝ればすぐに興味をなくしてくれたが、コーヤの動揺はなかなか治まらなかった。対して、幼馴染の方は周りの様子を気にした風もなくマイペースに続けてくる。


「なんでもなにも。今出回ってる情報とあなたの様子を照らし合わせれば分かるわよ」


 ピシリと指を突きつけてくる占い師。その堂々とした姿は、まるで自分の推理を披露する名探偵のようだ。


「もしあの子の救出に失敗したのなら。あなたのことよ、そもそも学校に来る気力もないでしょう。でもこうして教室で物思いにふけってるってことは、ちゃんと助け出したあとに彼女との間で何かあったんだわ」


「う……」


「そして、ほぼ同時と言っていいタイミングで違法研究の発覚が起こってる。しかも、そのうちの一つが電子人形サイドールに関わるもの」


「うぅ……」


「以上のことを踏まえて、アムは自分からコーヤとお別れして当局に出向き捜査に協力した、っていう結論を導き出すのはそんなに不自然かしら?」


「いや、まあ」


 おおむね正確だ。公的な機関が動いたのは師の通報によるもので、時系列的には前後しているが、アムが自らしかるべき機関に身を委ねたのは間違いない。


「人工知性だろうとなんだろうと、彼女が自分で決断したのなら尊重してあげるべきだわ。一度決着した以上、あなたが気を揉んでも仕方ないでしょう」


「ん。そうなんだけどな」


 リーシンの言うことはもっともだ。これからアムに訪れる未来はアム自身が受け止める。


 だがそれはそれとして、もう一つコーヤの頭を悩ませている事柄があった。


「なあ」


「なに?」


「もしも、もしもだ。『今こうして生きている現実が、実は仮想の世界でした』って言われたらどうする?」


 アムの話題が出たついでに聞いてみる。しかし内容が突飛すぎたようで、リーシンは眉根を寄せた。


「……何の話よ」


「いや、そのなんていうか……。ほら、違法な人工知性研究なんてものに関わったからさ。実は俺達自身も、なにかのプログラムで構成された存在かもしれないとか思ったりなんかしちゃったり……」


「完全にヒトと同じ存在を人工的に造り出すことが可能なら、ヒト自身も誰かの手によるモノかもしれない、ということかしら?」


「そう。そんな感じ。こうやって生きてる感覚とか覚えてる記憶とか、全ては外部からインプットされたデータに過ぎなくて実体なんか存在しない、としたらどうする」


 厳密には、ヒトだけにとどまらずセカイそのものを含めた話だが。


「どうするって……」


 幼馴染は困り顔で答えた。


「どうしようもないんじゃない?」


「………………そうなんだけどさ」


 だから悩んでいるのだ。


 などと言ってみたところで、それこそどうしようもない。コーヤが言葉に詰まっていると、にわかに教室内がざわめき始めた。何人かの生徒が、少し興奮した様子で周りに何事かを語っている。


「なにごと?」


「さあ?」


「あのね。今日からこのクラスに転入生が来るんだって」


 疑問に答えてくれたのは、朝の委員会活動を終えて教室に戻ってきたウサギの少女。けれどもその説明には、気になる箇所があった。


「転入生?」


「随分と急ね」


 少なくとも、学校からは事前に説明がなかった。このことからして、妖精系や鬼人系のように極端な体格を持つ、あるいは水中生活を送る水生系のような特別の配慮が必要になる生徒ではないようだ。ということは、人間自分猫人リーシンのような動物系のヒトだろうか。


(いや、見た目は動物系によく似てるっていう幻獣系や飛天系の可能性もあるか? なにも多数種族マジョリティーが来るとは限らないわけだし)


 まだ見ぬ隣人の姿を想像していると、委員長の長い耳がぴくぴくと動いた。何が気になったのか、今度は逆に彼女から質問してくる。


「あれ。オトギ君は知らないの? 先生に養われてるんじゃなかった?」


「養われてるって……」


 せめて面倒を見てもらっていると言って欲しい。そう反論したかったが、訂正するべきところは別にあった。コーヤはほんの一瞬迷ったあと、クラスメイトとの会話を優先することにした。


「もう独立してるから。狩人になったのを機会に生まれ育った家に戻ったんだよ。今も世話になってるのは妹の方」


「あ、そうなんだ」


「ああ。それにあの人、公私の別ははっきりさせるから。学校に関することでも、仕事上の話はほとんど口にしないんだ」


「なるほどねー」


 いつしかクラスの話題は、社会問題から新しく来るクラスメイトに変わっていた。


 だが、それもチャイムが鳴るまでだ。


 担任が転校生の紹介を終える頃には、教室は沈黙という静寂に包まれた。


 緊張した面持ちで教師の傍らに立つのは、銀色の髪の少女。


「――と諸般の事情を考慮した結果、世界でも例のない特殊電子人形サイドール、アムサ―ツウはこの学校に通うこととなった」


 誰も何も喋らない。コーヤなどは自分が今、現実にいるのか夢を見ているのか分からなくなっている。


「では、君からも挨拶を」


「はい」


 皆の困惑を予想していたのだろう、ウィーニアが事務的にことを進める。対照的に、電子仕掛けの少女はわずかに身体をこわばらせながらお辞儀をした。


「AMθ・ver3.2搭載インストール‐ヒュームス型電子人形サイドールAH2.2です。通称はアムサー・ツウですが、親しい人からはアムと呼ばれています。以後よろしくお願いします」


 教室中から拍手が起こった。歓迎の声があふれる中で、ウサギの委員長が手を挙げる。


「はいはーい。質問いいですかー」


「ああ、簡単なものなら……まて、そんな一斉に聞いても彼女が答えられないだろう! 一人一問ずつだ。授業を潰すわけにもいかないからな。それとついでだ。自己紹介も兼ねて最初に自分の名を名乗るように」


「はい。クラス委員長のミアです。えっとアムさんは――」


(なんで? なんで師匠とアムが!?)


 今もっとも熱い話題の主の登場に級友たちが沸き立つ中、コーヤは独り混乱に陥った。


(そりゃアム達を連れて行ったのは師匠だけど。全部忘れろって言ったじゃん!)


 あの夜。


 電使エレカンジェルが姿を消すのと入れ違いに、ウィーニアが姿を現した。彼女は電子仕掛けの姉妹としばらく言葉を交わすと、黒塗りの車を呼んで三人一緒にどこかへ去っていった。


 少年に他言無用と念押しして。


(師匠が狩人になる前は、何でも屋みたいなことしてて国に雇われてた時期もあるとは聞いたけど……その関係か? そういえばエミリアさんも、師匠見て『れでぃっしゅふろーら』とか言ってたっけ。……そもそも、この世界の真相って誰がどこまで知ってるんだ?)


「良かったわね、コーヤ。新学期早々再会できて」


「おいリーシン。いきなり話しかける……な!?」


 低く抑えられた声に振り向くと、黒猫の少女が睨んでいた。教え子二人の間に走る緊張に気付いたのかどうか、教師が軽い調子で宣言する。


「さ、そろそろ質問会はお開きだ。これから授業を始める」


「後で覚えておきなさい」


「なにを!?」


 どうやら、少年が考えなければいけないことは多そうだ。

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