5-7 目覚めの時



~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


 そして約束は果たされた。予測して思っていたのとは異なる形で。


『……一つ、勘違いをしている』


 街灯に照らされた道路上、金髪の電子人形じぶん銀髪の電子人形じぶんを見つめている。


『勘違い?』


『俺は電子人形では……オートンではない』


~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


 自分が自分の知らない事実を語っていた。


 そのことに違和感を抱くことなく、アムはいつも通りエミリアに話しかけた。


 場所も道路ではなく独房の前。


 前後に脈絡がないが、夢の中ではよくあることだ。記憶の泡同士が接触し、同時にはじけたのだろう。


『姉さん姉さん』


『どうした?』


『ついに電子人形サイドール本体への搭載インストールに成功しました。今日から私、AMθ・ver3.1搭載インストール‐ヒュームス型電子人形サイドールAH1.2です』


『……そうか』


『姉さん?』


『――いや。良かったな、おめでとう』


『はい!』


 祝福されて嬉しくなり、自然と喜びの感情値が大きくなる。次いで、もう一つ報告する。


『それで、皆さんからアムサ―と呼ばれるようになりました』


『……型番をそのまま並べたAMTHAHか。なんてセンスのない』


 ここの研究バカどもは、と呟いてから、エミリアはポツリと言った。


『アム』


『はい?』


『アムでいいな。その方が似合っている』


『似合う、ですか?』


電子人形サイドールとはいえ女の子だしな。愛称もかわいい方がいいだろう』


『~~!』


 喜びの感情が最強レベルになった。にもかかわらず、精神の高揚は止まらない。ついには心理プログラムが新しい感情を構築する。


 それは、人が幸せと呼ぶモノだった。


『ありがとうございます。姉さん』


『ほかの連中には内緒だ。この逢引き自体が秘密だからな』


『はい』


 敬愛する姉の言いつけにアムは素直に頷いた。頷いてから、小さく首を傾ける。


『逢引きって、なんですか?』


『……知らんのならいい。大した言葉じゃない』


~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


 別の泡がはじける。


 今度は少年がこの世ならざるモノと格闘していた。彼は複数の手に握った剣で、相手へ切りつけながら叫ぶ。


『やい死神! なんで今頃になって出てきたっ!』


『処分スル関係者は少ないほどイイ。当初ハ人工人類アーティマンが開発者の手に戻った後で動く予定ダッタ。ダガ、お前に助けらレルト関わる者が増えてシマウ。ダカラ今なのダ』


『んなことは聞いていない! こんな胸糞悪い計画、なんで引き戻せないところまで放置したんだって言ってんだっ!』


電主エレクウスニヨル人への干渉は、必要最小限であるベキダ。結果トシテどのような事態が起ころうトモ、それが人の選択。機械ガ人類社会を運営スルナド、あってはナラナイ』


 長大な鎌が地面すれすれから振り上げられ、稲妻のごとき突きを寸断する。だが少年は構わず柄だけになった剣を手放し、右上腕を打ち込みながら懐に潜り込んで左中腕を突き上げる。


 まばたきすれば見逃してしまう、一瞬の攻防。


「コーヤさん……」


 思わずその少年の名前を呼んだところで目が覚めた。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


 電子の海の中において、過去と現在は等価だ。たとえ今この瞬間、目の前で起こっている出来事さえ、次々と記憶領域メモリーに記録されて時間を止める。このため、昔起こった出来事と今進んでいる事態を同時に認識しても、電子人形サイドールであるアムにとって不自然なことではない。


 だが通常、ヒトの脳に当たる中枢電理機は二つの現実を同時に処理することはないし、休眠状態に陥っている間はデータの収集機能そのものがストップする。


 今までアムの見ていた夢は、誰かが外部から情報を流し込んでくれたために発生したものだ。大貝の殻の中に身を横たえたまま、少女はその相手に声をかけた。


「……姉さんではなく、兄さんだったのですね」


「そうなるな。騙したようで悪かった」


 暗闇の中、傍らに立つ彼女――彼からそっけない返事がくる。


「いいえ。元より私は人工知性ですから。性別の違いは特に意味を見出みいだせません」


「そうか」


 小さく息を吐く音ともに、エミリアが隣へ腰をおろしてきた。身動きしないアムに構わず、付近を漂う虹の泡を眺める。やがて彼は、視線を動かすことなくポツリと言った。


「すまなかったな」


「ですから、謝っていただくようなことでは……」


「お前を連れ去った械物メカニスタ。あれはな、俺が管理者権限を盗んで動かしたものだ」


「え……?」


「あの夜……。電使エレカンジェルの襲撃で研究所は大混乱に陥った。その最中に、奴がアーティマン開発計画を葬るために現れたと知った俺は、ここの連中にどうにかできる相手ではないと悟った。そこで、俺自身を囮にして電使エレカンジェルを人工島から引き離す作戦を立て、搭載される予定だったAH3.1に乗り込んだ。そしてもう一体を、騒ぎで野放しになった巨大魚型の械物メカニスタに運ばせようとしたんだが……」


 思い出すだけで頭が痛いとばかりに、エミリアは額に手を当てた。


「大型械物メカニスタの制御はまだまだ研究途上で、あれも簡単な命令しか聞けなかった。目標の確保を連絡すると、役目は終わったとばかりに通信を断ちやがった。とはいえ、誘導に使おうとした機体にお前が載っていることに気付かなかったのは、完全に俺のミスだ」


「え? でも、ね……いえ、兄さんは研究所から脱走したのでは」


 アムが驚いて身を起こすと、そこには静かな眼差しがあった。


「最初は、港に誘い込んだ奴を械物メカニスタの集団と電導甲冑の兵装で仕留める気でいたんだ。泳ぎの速い魚型にAH2.1を持ち出すよう指示したあと、電使エレカンジェルを迎え撃つ準備をしていたところに、あの掃除屋どもが来やがった」


 そう言ってエミリアは手の平から気泡を生み出し、自身の過去を見せてくれた。


 閃光と爆音、それらを断ち切る大鎌に翻る黒い外套。


 煙の中に倒れる警備用オートン達と彼らを見下ろす赤い目。


 警報の鳴り響く格納庫、その中央に鎮座する獅子ししの巨人。


 星明かりに波打つ夜の海、群れをなして泳ぐ異形の魚や獣たち。


 そして、械物メカニスタを蹴散らし襲い来るドワーフとエルフのコンビ。


「研究所のお偉いさんは俺が混乱に紛れて逃げたと思って、急遽きゅうきょあの二人に捕獲を依頼したらしい。こっちは単に、生き延びるためにより有利な戦場を選んだだけだというのに……。だが、そのまま逃げるという選択肢に思い至ったのはその時だ。なにせ追手に外部の者を選んだということは、警備部の全滅を意味するからな」


 さらに言えば、電使エレカンジェルがそれだけ強大だという事でもある。


 そう注釈を加えて、エミリアは拳を握りしめた。


「電相空間にお前の悲鳴が聞こえた瞬間、決意は固まった。暴走した械物メカニスタが奴を振り切った可能性にかけて、この二十四時間ずっとお前を探していた」


「……」


「だからすまん。今の事態を招いたのは俺の責任だ」


 思わぬ告白に、しかしアムは首を横に振って応えた。自身の思いをまっすぐに伝える。


「やっぱり、あなたが謝ることなんてなにもありません。混乱の原因はあの電使エレカンジェルですし、なにより械物メカニスタが私を連れ去ったおかげで、いろんな方に出会えました」


「そうか。……確かに、少し離れている間に色々あったようだな」


 おぼろげな輝きを放つ泡を見ながらエミリアが言った。光彩の揺らめく表面がつつかれる。アムの、黒猫の占い少女を訪ねた時の記録だ。鮮やかに浮き上がる思い出に引きつけられるように、アムの口から言葉が出た。


「占いというものを、初めて体験しました」


「楽しそうじゃないか」


 カードを前に騒ぐ少年少女たち。


 そのどうということのない光景を、エミリアは穏やかな表情で眺める。だがそれは、全てを受け入れた諦めの現れだった。


「こんなにも充実した時間を過ごせたのなら、俺の行動も少しは意味があったのかもな」


「姉さん?」


「すまん。そろそろ時間だ」


「え?」


「ただでさえ繊細なAH型で戦闘を重ねた上に、整備もろくにできないまま電使エレカンジェルに挑んで俺の身体はもうロボロだ。だが、機能停止する前に今一度お前と話がしたかった」


 瀕死ひんしの男は掃除屋達に取引を持ち掛けた。自身が傭兵時代ようへいじだいに稼いだ資産と情報を報酬に、別れの時間を稼いでほしいと。


「幸い契約は成立した。今こうして話せるのは、AH型がセーフモード時に使用する非常用回線を使って意識を接続しているからだ」


 ――だがそれも。


「もう、限界のようだ」


「そんな。待ってください姉さん!」


「本当にすまん。最後まで守ってやれなくて。……いや、そもそも俺がお前になにかしてやれたことなど、最初からなかったな」


「そんなことありません。私、姉さんと出会えてどれだけ楽しかったことか。あのままずっと電相空間で独りだったら、きっと外への興味も失って電子人形サイドールに搭載されてもろくに動かなかったはずです。今私がいるのは、姉さんのおかげなんです」


「ありがとう。その言葉だけで救われる気がする」


 唇が最期の言葉を紡ぐ間にも、その姿は掠れていく。


「ではわたしも連れて行ってください! 救われたのはわたしの方です。一緒じゃなきゃいやです!」


「……っ!」


 アムは手を伸ばすが、滲むように輪郭がぼやけ始めたその身体はつかめない。とっさに応じようとしたエミリアも、広げた腕がむなしく空を切っただけだった。


「姉さん!」


「アム!」


 鮮やかな金色の髪も極限まで薄まり、ついには泡と消えいく。


 その寸前。


『――起きろ! 起きてくれ!』


 大貝せかいが震えた。


「この声は……?」


「コーヤさん!」


 聞き覚えのある声に二人して周囲を見回す。


 当然、姉妹のほかには誰もいない。


 たが、貝殻の振動は確かに少年の声を伝えてきている。


 電子人形サイドールの身体に浴びせられた叫びが、電子の海の底にまで響いてきたのだ。


『ようやくお姉さんと会えたんだ。もっと二人で、いや、みんなで外を見て回ろうぜ! きっと楽しいぞ!』


 さらにもう一つ、愛らしい声が加わる。


『エミリアさん、目を開けてください! あと少し、あと少しですよ。あと少し頑張れば自由になれますよ!』


「パティさんも!」


『ここまできたんだ、絶対できる! だから起きてくれ!!』


 大貝がゆっくりと口を開く。海水の代わりに光が差し込んでくる。電子の海が活性化し、海底へ向けて大量の情報が、感情が流れ込んできているのだ。


 淡い光はだんだんと強く、激しく輝きを増していき、ついには消えかけていたエミリアの姿をも照らし出す。


「姉さん」


「ああ」


 二人一緒に手を伸ばす。彼方から降り注ぐ光へ、自分たちの在るべき現実せかいへと。

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