第三章 掃除屋は裏口から忍び寄る
3-1 あふれでる想い
夏の日差しが強まる昼下がり。
街の北の境界線をなすニレンゼ川。
その河口からさらに北へと延びる海岸線を、一組の男女を乗せた電導二輪が走る。
ハンドルを握るのはコーヤ、後ろから手を回しているのがアム。
今電導二輪が駆けているのは、道ではなく砂浜だ。占い少女のお告げに従ってここまできた。別れ際にアムの姉――エミリアというらしい――について視てもらったのだが……。
「月の逆位置が海を暗示する――ってほんとか?」
『まあ、占いですからね。結果が術者の解釈任せなのは仕方がないと思います。それに、リーシンさんを信じるって言ったのはマスターですよ?』
「そうだけどな。一口に海って言ったって、海岸線も長いんだぞ」
眼前に広がる浜には、寄せる波の残す線が際限なく続いている。そして遊泳禁止区域に指定されている海には、コーヤ達の他に誰もいなかった。目ぼしいものもこれといって特になく、沖合から吹きつける風だけが潮の匂いを運んでいる。
せめて釣り人の一人ぐらいは、と思ったところでコーヤの脳裡に直接声が響いた。
[マスター。穏便に済ますなら今のうちですよ]
[なんだよ? 急に内緒話なんて感じ悪いぞ]
パティからの直接通信だ。耳ではなく脳へ囁くこの方法は秘密の会話向きだが、それだけに通信に加わらない相手は排除される形になる。だがまさしく、彼女の用件は後ろに座るアムに聞かせたくないものだった。
[昨日の続きです。迷子の
[それこそ昨日話したろ。人工知性からの正式な要請だって。不正なんてなにもないし、姉妹機探しの協力は取得に当たらないだろう]
[アムさんがすでに、開発段階を終えていればそれで問題ないんですけどね]
[? どういう意味だよ?]
[そのままの意味です。人だって、成人と未成年では行使できる権利に違いがあるでしょう。同じように、人工知性に人格権が認められるといっても、未完成の状態では制限がかかるんです。法的観点からすると、開発側よりマスターの方が不利ですね]
[……もう少し具体的に』
[家出した子供をかくまうと親御さんに誘拐で訴えられるかもしれない、って言うとイメージできますか? 法廷で反論するにしても、その子が家を離れたがっていたから手を貸しました、では通らない可能性があります』
[未完成だとは知らなかった、思わなかったって言えば……]
[言い訳の定番ですね。弁護士相手に一体どこまで通じるか……。いえ、企業なら法務部門でしょうか]
「ぐ……」
妖精の正論に思わずうめく。日々の生活をサポートしてくれる人工知性の言葉は重い。だが、コーヤにも言い分があった。
[けどさ。親だからって、家出した子を怪我させてでも連れ帰るってのは間違ってるだろ。あの夜、俺が遠回りして帰ろうとしなければアムはどうなってたか]
[そこが、グレーゾーンなんですよねー。アムさんを襲っていた相手は違法技術を使用していた可能性が高いですし、もしそうなら、虐待されている子を保護したとも言えます]
[ほらやっぱり。俺のやってることが間違ってるとは限らないじゃないか]
[パティが心配してるのは、マスターが事態を単純に考え過ぎていないか、ということです。もしどこかの企業、あるいは研究所が違法行為に手を染めていたとしても、
[……そしたらどうなる?]
[グランドマスターに報告しないといけないでしょうね]
「げっ!」
思わず声に出た。
少年の苦手だと知りつつ、むしろ効果覿面だからこそパティは念を押してくる。
[それでもアムさんを手助けしたいのなら、相応の自覚を持って取り組んでくださいね。女の子を後ろに乗せたからって、鼻の下を伸ばさないようにお願いします]
「べ、別に伸ばしてなんか……!」
「どうかしましたか?」
「い、いや何でもない。何でもないぞ!」
「そうですか」
電子仕掛けの少女は、動揺で上ずった叫びを素直に信じてくれた。これ以上相棒と密談していれば、なんのためにここまで来たのか分からなくなる。コーヤは本題を切り出した。
「どう? 見つかりそう?」
「いえ。見た限りではいないようです」
「ま、いくらあいつの占いが当たるからって、ただ道を歩いていたらばったり会える、ってものでもないしな」
手がかりらしい手掛かりがまるでない現状、可能性があるだけでも上出来だ。
通常、電理機によるシミュレーションでは、前提となるデータの精度が得られる情報の確度を左右する。対照的に、たとえば白紙からでも、所定の手順さえ踏めば何らかの絵を見出せるのが占いだ。数値計算による未来予測は具体的だがあくまで予測であるのに対し、不完全ながらも未来の情報そのものを電素から読み取れるのが電導法による占いの強みといえる。
それはそれとして、コーヤが海岸に出向いたのには別の理由もあった。
「アムの開発元っていう研究所は、あの島か?」
顎の動きで水平線の手前に浮かぶ影を示す。
そこは、全体がオートン開発で有名なアシュラムの私有地だ。
バイザーディスプレイに地図を展開して確認するとかなりの広さがあり、位置情報だけではなにかの工場と勘違いしてしまいそうだ。
『おそらくは。この町では、ほかにオートンの研究をしているところはありません。あくまで登記上は、ですが。アムさんが襲われたのが魚タイプの
「だな。と、なると……」
アムの姉、エミリアがどこに消えたにせよ、元々はアムと同じ研究所にいたのだ。そこが一体どこなのか、まず初めに確認しておく必要がある。
何か特徴はないかと眺めてみるが、沖合に浮かぶ島は平坦で緑もなく、代わりに大小の建物が密集していてどこかミニチュアめいていた。遠目に見た感じでは平穏そのもので、何か問題が発生しているようには思えない。
『ごめんなさい。お役に立てなくて』
バイザー上で新規に小さな窓が開き、アムが頭を下げてくる。研究所についてなにも知らないのを気にしているのだ。当人が自分のすぐ後ろにいることを思えば奇妙な構図だが、人でもすぐ隣にいる相手とメッセージでやりとりすることがある。人工知性は電相空間で動くソフトと実相空間で動くハードという二つの身体を持つと考えれば、なおさら自然な振る舞いかもしれない。
コーヤは軽く笑って彼女の謝罪を流した。
「いいって。まだ開発途中なんだから、詳しいことを知らされてなくても当然だ。それよりも……」
疑問なのは、エミリアがなぜ研究所の外へ出たのかだ。アムと同じように
「そこのところ、はっきりさせたいんだけど」
『そうですね』
コーヤの問いに、アムは仮想の窓の中で考え込む仕草を見せた。どうやら会話はこちらですることにしたようだ。ドライバーの立場からすると、注意を向けるべき対象が増えてしまうのだが、優秀な妖精がついているので滅多なことは起きないだろう。
そのまま視線を彼女に向けて待つことしばし。
電子人形仕掛けの少女は、記憶を探るようにゆっくりと話し始めた。
『あの時、研究所だけでなく内部サークルも大混乱に陥っていました。ですが、その騒ぎをかき消すようにして、たくさんの命令と応答が飛び交っていました』
『その中に、エミリアさんに関する情報が?』
『はい。最重要機密の研究体が脱走したので至急追手をかけろと』
「ええっ!」
「きゃ!」
思わぬ内容に驚き、コーヤの身体が反射的にのけぞった。上半身が後ろに振れ、危うく背中につかまるアムを振り落としそうになる。
「あ、あぶねえ!」
『気をつけてください、マスター!』
電子の妖精が注意してくる。だが、そのサポートは完璧だった。操縦者の運転がぶれても、電導二輪はわずかに車体を揺らした後は安定した走行を続ける。
もっとも、支障が出なかっただけで問題は残っていた。
『大丈夫ですか?』
「ああ。大丈夫だ……けど、アムこそいいのか?」
『はい。私も大丈夫です』
「それはよかった……でもなくて」
『なんでしょう?』
「なんていうか……」
『ダメですよ、アムさん。そう簡単に外部へ機密を漏らしては』
言葉に詰まるコーヤの代わりに、パティがアムへ忠告してくれる。だがしかし、無垢な
『はい。最重要機密についてはお話しできません。これは、私も内容については詳しくないというだけでなく……』
「いやそういうことじゃなくて、機密と言うのは存在自体が機密と言うか……」
『さっきの発言は、エミリアさんが最重要機密に属すると認めたのも同然です。第三者であるマスターやパティは、その彼女と接触する資格はあるのですか?』
『……ああ!』
ようやくことの重大性を理解してくれた。バイザーに映った少女が視線を泳がせ、いつになくそわそわした様子を見せる。だがそれも数秒ほどのことで、アムは意を決したように訴えてくる。同時に、コーヤの腰に回された彼女の腕に力がこもった。
『機密を守るなら、なおさら早く姉さんを探し出さないといけません。姉妹機である私がコーヤさんに助けられた時点で、ある程度は漏れてしまっているわけですし。それに……』
「それに?」
「どうしても姉さんと会いたいんです」
声は背中から聞こえた。まるで自分の感情を外に、現実に押し出したいかのようだ。堰を切ったように言葉があふれてくる。
「AH型電子人形は開発が難航していて、制御用ソフトも私と姉さん以外のタイプはすべて凍結されているような状況でした。だからでしょうか。電相空間の管理も厳重で、これまで姉さんとはこっそり言葉を交わすことしかできませんでした。けれどようやく比較試験をできる段階まで来たので、昨日は二人揃って機体に搭乗する予定だったんです。昨日初めて、姉さんに会えるはずだったんです! 実験スケジュールを知った日から、ずっと楽しみにしてたのに、なのに……!」
「……だから、そういう内情をばらしちゃダメだってば」
「あ……」
はっと我に返った気配がする。いつの間にか閉じていた
『ごめんなさい。やっぱり私、未完成品ですね。それとも失敗作でしょうか』
「まさか。こんなに感情豊かな人工知性、他に知らないよ。むしろ、ごく普通の女の子だ」
『ですね』
「機密云々については聞かなかったことにする。
『……はい! ありがとう、ございます』
人工知性らしからぬくぐもった声。しかしそれが逆に、彼女の内に込められた感情を表しているような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます