第38話 行方は知れず




 ──鸚鵡貝通ノーチラス・ストリート・大教会──



「まったく何処へ行ったんだ、紫蘭は」

 日暮れまでに大教会で落ち合うと約束していた筈の彼女は、定刻となる時間帯を過ぎても現れなかった。僕は大教会を離れ、彼女を探すことにする。この鸚鵡貝通ノーチラス・ストリートは未だ活気に溢れているが、昼には見掛けなかった風貌ふうぼうの者達が増えていた。通りと路地の境に立つ女達が妖艶ようえんな笑みをたずさえ、露出度の高い派手な衣装で男達を誘っている。通りには派手な色使いの衣服に身を包み、馬鹿みたいにゴツい指輪やネックレスを着けた男達が闊歩かっぽしていた。

 通りを賑やかす喧騒けんそうは、昼間のそれとは異なり性と薬と暴力に彩られた退廃的な匂いのするものになっていた。この手の喧騒は好ましくないし、その喧騒の住人はもっと苦手だがここは我慢する他無いだろう。



「──お姉さん、少しいいかな?」

「あら可愛いお嬢さん、どうしたのかしら」

 たまたま近くにいた幼さの残る可愛らしい猫科カート亜人種アドヴァンスに声をかけると、なまめかしい返事と同時に腕を絡ませてくる。そしてあっという間に僕の腕をその柔らかな乳房で挟んできた。加えて少しの前傾姿勢に上目遣いという凶悪な組み合わせ。だが今回、僕はそういう目的で声をかけた訳ではない。

「ごめん、そういうお誘いじゃないんだ」

「……冷やかしなら他所でやってちょうだい、久しぶりの上玉だと期待しちゃったじゃないの」

 僕の言葉に落胆し不機嫌そうに離れる彼女。

「──聞きたいことがあるんだ」

 僕は去ろうとする彼女の手を握り、その手へ幾枚かの硬貨を握らせる。手の平に伝わった感触で理解してくれたのか、彼女はその場で足を止めくるりと向き直ってくれた。

「……面倒事には巻き込まないと、約束してくれるならいいわよ」

「勿論、話が早くて助かるよ。

 実は人を探していてね。身長は僕よりも頭一つちょっと大きくて、雪のような白髪をした有角ゆうかくの亜人種なんだ……御伽話おとぎばなしのナラカみたいな見た目と言えば伝わるかな」

 暫し考え込む様な姿勢を見せた後、近くにいた他の私娼ししょうへと訪ねてみてくれたものの良い返事はなかった。

「……ごめんなさい、わからないわ。

 けれどもし、見掛けたら声をかけておきましょうか?」

「わざわざすまないね……もし見掛けたら大教会で待っていてくれと伝えてくれ」

「そ、わかったわ」

「ありがとう、助かるよ」

「いいのよ、これくらい。

 だ・け・ど、今度声をかける時は、ちゃんと私を買ってよね?」

 再び密着し豊満な乳房を押し付けてくる彼女。その軟らかさと全身にまと色香いろかは、同性相手であってもクるものがあった。

「……そっち専門の娼婦だったのか、君は」

「どっちもイケるってだけよ?

 それじゃあね、お嬢さん」

 別れ際に可愛らしいウィンクを見せ、彼女は再び通りへと戻っていった。



 これからどうしたものかと思案していると、目を引く深緑色をした長髪の子どもが目に入った。腕を押さえてヨロヨロと歩き、通行人にぶつかっては尻餅をつき怒鳴られ萎縮し、再び立ち上がるとヨロヨロと何かを探すように辺りを見回している。あのままでは何かしらのトラブルに発展する可能性が高い。見てみぬふりも出来ないので、声をかけることにした。

「どうしたんだい、誰かを探しているのかな?」

「ひっ……ぁ……」

 声をかけた子供は一瞬ビクッと身体を震わせ、恐る恐るといった具合で振り向いた。オドオドしており、その目線は宙を舞っている。極度の緊張状態なのだろうが、脅えと恐怖が混在しているようにも見えた。ならば、紫蘭から教わったようにやってみるのが一番良いかもしれない。相手の目線と高さをあわせて、優しい笑顔で彼方から来るのを待つようにとアイツは言っていたはずだ。

「いきなり話しかけてごめんね、おどろかせちゃったかな?」

「あっ、えっ……と……ぶたない?」

「ぶたないよ、大丈夫。

 きみを傷付けたりしないから、ね?」

「ほ、ほん……と?」

「うん、約束するよ。

 それでキミは、なにか困っているのかな?

 僕で良ければ手を貸してあげたいのだけど」

「あの、その……お、お姉ちゃんを、助けて」

「お姉ちゃんを?」

「えっと、そ、そこの路地で……とにかく、き、来てほしいの!」

 子供は痛めていない方の腕で僕の服の裾を掴むと、遠慮無く引っ張って何処かへ連れていこうとし始める。

「待った待った、そのお姉ちゃんはどんな人なんだ」

「あ、赤く黒い、珍しい、角なの。

 早く、いかないと、こ、ころされちゃう」

 振り返り訴える子供の顔には焦りと不安が混在している、かなり不味い事態になっているのかもしれない。

「……わかった、急ごう」

「は、はやく、はやくしないと、お、お姉ちゃんが」

 ついに泣き出してしまった子供を背負い、涙とよだれと鼻水に肩を濡らしながら通りを歩く。件の通りに入るとそこには暴力の痕が色濃く残っていた。嗅ぎ慣れた血の臭いに一瞬嫌気が差したが、その中にふと感じた覚えのある臭い。


 ──この血臭においは紫蘭のものだ。


 現状を見るに、アイツはまた厄介事に首を突っ込んだのだろう。紫蘭らしくはあるが、その度に怪我をされてはたまったものではない。人助けは美徳だが、今一度注意する必要がありそうだ。

「ここで間違いはないんだね?」

「うん、ここ、ここだよ!」

 僕の背から降りた子供はヨロヨロと覚束ない足取りで立つと“お姉ちゃん、お姉ちゃん”と泣きながら連呼している。終いにはその場にへたり込み、大声で泣き始めてしまった。

「お姉ちゃん……どこぉ……ひっく……やだぁ……」

「僕がいるから、ほら。一緒に探そう、ね?」

 泣きじゃくる子供の頭を撫でてあやしていると、奥の路地から誰かが近づいてくる気配があった。この路地に住まうやからだろうが、理由についてはおおかた予測出来る。子供の泣き声が煩いとか、そんなろくでもない理由でシメにきたのだろうから。

「喧しいガキだ……って見つけた!

 見つけたぞフログ、こっちだ!!」

 建物の影から身を覗かせた赤髪の亜人種が叫び、やや遅れて青髪の亜人種がやって来た。二人の手に握られていたのは、大振りの鉈と釘だらけのバット。どうも話ができるような相手ではなさそうだ。

 私を視認した二人は互いに目配せを交わし、ぎこちなさが滲み出る気持ちの悪い笑顔で近寄ってくる。

「なぁ姉ちゃん、その子を渡してくれないか?

 俺たちはその子のお母さんから頼まれてきてんだ」

「……ふーん、そうは見えないけど。

 ねぇキミ、このオジサン達とは知り合い?」

 僕の足にしがみついたまま、子供は涙をこらえ首を横に振る。そして涙を浮かべた表情で、なにかを訴えるように此方を見上げていた。

「そりゃこんなナリしてるし、怪しいのはわかるけどよ……信じてくれよ姉ちゃん、な?」

「なら、この子の名前を言ってみな。お母さんから頼まれて探しに来たのなら言えるだろう?」

 僕の言葉に二人組はそろってその足を止め、赤髪の男はため息と共に獲物を握り直した。

破落戸共ごろつきども。お前らここで何があったのか知ってるな?」

 足元の子供をそっと通りの方へ遠ざけ、腰ベルトに吊った剣の柄に手をかける。すると二人組は手にした獲物を馴らすように振るい、見慣れたチンピラの顔付きになっていた。

「──俺は賢い女は嫌いだ、フログ」

「そうだなぁ、ダス。女は馬鹿に限るぜ」

「──奇遇だね、僕も賢い男は嫌いなんだ。

 だから、君たちのようにわかりやすい男は好きだよ」



 6:58:12


 先に仕掛けたのは赤髪の男、手にした鉈を振り上げ単身での突撃。



 6:58:13


 軽い踏み込みと共にソフィが抜剣。薄刃の剣が鞭のようなしなりを見せ、鮮やかな剣線が通った後に男の右腕は輪切りとなり血飛沫が上がる。



 6:58:15


 輪切りにされた手から離れた鉈を掴み、青髪の男に向けて投擲。飛沫と共に上がる絶叫、男は鉈の食い込んだ左太腿を押さえ踞っている。


 6:58:16


 肩を押さえ圧迫止血を試みる赤髪の男の首を一線、剣に付着した血液を払うと同時に男の首が落ちた。



 時間にしてたったの零コンマ四秒──

 またたきの間に一人が死に、残る一人も重症。ここからの逆転など望むべくもない、圧倒的と言う言葉さえ生温い程の実力差。

「えぁ、あ……?!」

 痛みにもだえる青髪の男の喉元に刃を当て、強制的に上げさせた顔は恐怖と苦痛に染め上げられていた。男は一変した状況を整理する余力もなく、ただただ痛みと友人の死に困惑するばかりであった。

「さて、話す気になれたかな?」

「て、テメっ……ダスを、ダスを殺しやがったな?!」

 彼女は涙混じりの声で叫ぶ男を冷たい目で見下ろすと、その口へ剣先あわせる。何をするのかと思えば、一切の躊躇ためらいもなくそのまま剣を横に薙ぎ、寸秒の間を置かずに鮮血と悲鳴があがった。

「──質問を質問で返すなよ。

 もう一度聞く、ここでなにがあった?」

「ナラカみてぇな女があのガキを守ろうとしたから、痛め付けてやっただけだよぉ……」

 彼女は軽い溜め息を漏らすと、その切っ先を男の頬へと向けた。

「そう、それでその女はどこへ?」

「し、知らねぇ……ほ、ほ、本当だ、本当に知らねぇんだよぉ……」

 傷口を抑え小さくなって震える男が一瞬、他所へ視線をずらしたのを彼女は見逃さなかった。

「君が一瞬目を向けた先に、なにがあるのかな」

 男の顔に浮かぶ焦りの色。視線を向けた先に、知られたくない何かがあるのは明白であった。彼女は切っ先を逸らさずに、ほんの少しだけ男の頬を突く。刺された傷からは鮮血が滴り涙と共に落ちた。

「もう一度だけ聞くよ、君が見た先にあるのはなんだ?」

「い、言えねぇよぉ……言ったら、こ、殺される……!

 どうせ、し、死ぬなら……今ここで、し、し、死んだ、方がマシだ……!」

 自暴自棄じぼうじきになったのか、男は素手で彼女へと飛び掛かる。彼女はそれを軽く飛び退く事で回避しながら、恐慌きょうこう状態にあった男の首を断った。



 ──周辺に人の気配はない。目撃者は多少居るだろうが、わざわざ通報するような者も居ないだろう。入国時にも注意されたが、裏路地では強盗、殺人、違法薬物の売買、非合法の売春などの犯罪行為が日常的に行われている。故に余程の事態でもない限り、治安維持組織が関与することも無いのだとも言っていた。

 だからまぁ、死体の一つや二つ放置したところで問題はないだろう。手首をスナップさせて剣を振るい、付着した血を払ってから鞘へ納める。

「……もう大丈夫だ、出ておいで」

 意図的に優しい声で呼び掛けると、大通りに近い場所にあった大樽の影から件の子供が姿を表した。子供は散乱している人体だったものを気にする様子もなく、僕のところへ一直線に来る。

「怖くないの?」

「こ、こわくない……よ?」

「……そうか、なら良いんだ」

 しゃがみこみ、子供と視線をあわせてみるも言葉通り恐怖している様子はない。いくらこの様な惨状に慣れているとしても、全く気にしている様子がないというのは少々異常だ。ましてや地面に広がる血溜まりを、臆せずに素足で歩き回るなど正気の沙汰では無い。

 そしてあの深緑色の髪とサファイアを思わせる蒼い瞳、遠い昔に出会った人造の竜人に似ているのは気のせいだろうか?







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