第35話.たった二人の天使さま
彼女らの本質は兵器である。
創造主の
正式名称を人類補償機関 地球奪還作戦軍 独立戦闘支援部隊。
──通称『
──海の国──
国の中央に建つ巨大建造物の一室に二体の天使が居た。
片方は高い背もたれがある革張の椅子に腰掛け、
……あるいは、淀み濁った血を思わせる紅色と言うべきか。その瞳の色は、内に
こちらは彼女よりも幾分背が高く、頭二つ分は背が高い。絹糸のように柔らかく淡い金髪を肩口まで伸ばしており、彼女よりも顔付きは数段柔らかく面倒見のよい近所のお姉さんといった雰囲気である。
「ヘリヤ、街の様子はどう?」
椅子に掛けたままの一体がもう一体に問う。
「中央へ続く
「そうか。良くない獣と言うのは、アレのことか…… 」
ヴラグと呼ばれた個体は椅子に掛けたまま所在無さげに答え、ヘリヤと呼ばれた個体はそんな彼女の反応に気を病む事もなく続ける。
「本当に不思議ですよねぇ、アレ。
人類が記録した系統樹に当てはまらないし、魔物とも異なるんですから。一体彼らは何処からやって来ているのでしょう?」
「宇宙からのモノでもない、陸のモノでもない。ならば深き水底から来たと考えるのが道理だろうさ。
「狗とは失礼ですよ上官。正しい名前があるのであればその名を呼ぶ必要があります。誤った呼称は誤認や誤解を招くリスクにしかなりませんから」
ぼやく上官を
「……そうだな、狗では無く
彼女はバツの悪そうな声音でそう漏らすと、手にしていた軍帽を軽く被り直しヘリヤを
「──ところで、いつまでソコに居るつもりかしら。
何かしら用があって私を訪ねたのではなくて?」
声を荒げず伝えていたのだが、かえって威圧感を増してしまったのだろうか。ゆっくりと扉が開かれ、酷く強張った表情の
「……失礼致しました、天使長殿。お二人の会話を邪魔するのもどうかと思いまして──」
「──御託は不要よ、用件だけを手短に伝えなさい」
震える声を必死に抑え、言葉を選ぶ彼の言葉を遮る彼女。その眼光に負けず劣らずの圧を孕んだ言葉を前に、彼の心が折れかけているのは誰の目にも明らかである。
「用件を失念でもしたのかしら、シコルスキ分隊長?」
「……指令、彼の名前はシルフスキです」
「あら、私とした事がごめんなさいね、シルフスキ。
それで、用件は思い出せたかしら?」
二体が彼を愚弄しているのは明らかだが、彼がそれに対して反論する事は無かった。青ざめた表情のまま、身体の震えを抑えるのに必死である。
「……に、西区の防壁を突破される恐れが出た為、助力を願いたく参りました」
身体の震えは抑えられても、声の震えは抑えきれていなかった。
「まぁ、それは大変ね……けれど一つ疑問があるのよ、シルフスキ。どうして分隊長である貴方がここに居るのかしら。分隊長というのは普通、前線で指揮を執るものだと思っていたのだけれど」
机に両肘をついて顔の前で手を組む彼女の声にこそ変わりないが、その目は怒りに燃えていた。
「なぜ、戦線を放棄してまで此処へ来たのかしらね。
もしかして戦場で死ぬのが怖かった?」
場違いとも思える程に優しく諭すような声音で問う彼女を前に、シルフスキは即座に土下座して見せた。
「も、申し訳ありません!
わた、私のほ、他に、もう、は……走れる者が、なく……それで!」
床に頭を擦り付けながら許しを懇願する彼を、二体は冷たい目で見下ろしていた。
彼が犯したのは敵前逃亡、よりにもよって分隊を束ねる立場にあるものが部下を見捨てて我が身可愛さに逃げてきたのだ。到底許される行為ではなく、古今東西戦場において最も恥ずべき罪である。
ヴラグは席を立ち、土下座のまま震える彼の頭を軍靴で踏みつけた。彼が小さな悲鳴と呻きを漏らしたが、それを二体が気にする様子は微塵もない。
「──だとしても、貴方が離れていい理由にはならないの。私の言っている事がわかるかしら、シルフスキ」
「すみません、すみません……!」
彼は頭を踏みつけられながら尚も謝罪の言葉を続けるが、ヴラグには全くと言って良い程届いていない。暫し
赤い飛沫と共に飛び散るのは歯の欠片、顔面を蹴り抜かれたシルフスキは声にならない悲鳴を上げてのたうち回っていた。彼女は靴に付着した血を拭うこともなく彼へと近づき、乱暴に頭をひっ掴むとそのまま持ち上げて見せる。
痛みと恐怖でぐちゃぐちゃになった彼は呂律の回らない口で、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返している。
「またそれ。延々と意味のない言葉を繰り返して、貴方はそれしか言葉を知らないの? 亜人種を名乗るのなら人らしく多様な言葉を使って見せなさい」
「ふ、ふみ……ま、へ……ん」
砕けた顎で必死に喋る彼を見据える彼女は、ここで初めて表情を変えて見せた。
「はぁ……貴方には失望致しましたわ。
──私が欲しい言葉は、それじゃあない」
獰猛な笑みを浮かべたまま、彼女は彼の頭を握り潰した。まるでリンゴを握り潰すかのように、なんの躊躇いもなくアッサリと。
「──指令、掃除はしておきますので御召し物を着替えてきては如何でしょう。替えは何時もの場所にありますので」
頭部を失い血溜まりを拡げ続ける死骸を、片腕のみで掴み上げながらヘリヤは彼女へと伝える。彼女は短く感謝の言葉を伝えると、真っ直ぐに扉へと向かい部屋を後にした。
「しかしまぁ、造られた
ぼやくような独り言を漏らしつつ、一度死骸をベランダへ移してから手早く飛び散ったモノを処理する。随分と手慣れているあたり、ヴラグが亜人種を処分するのは日常茶飯事なのかもしれない。ヘリヤは死骸の腹を裂きナニかを詰めてから汚れた敷物で
「さて、小官も着替えるとしましょう。家畜の血で汚れたままと言うのは気分が悪くなる」
死体の消失を見届けた後、彼女は大きく背伸びをして自室へと消えていった。
──半刻後、海の国 西地区──
“第4区防壁、穴をあけられました!”
“クソが、このままでは持たないぞ……隊長は何処へ行ったんだ!?”
“司令の所へ駿馬を飛ばしたらしい!”
“不在かよ、あのクソ猿!!”
“文句垂れる暇があるなら弓を射て、そこ!
弾幕薄いぞ!!”
“わかっ──うわぁああああああ!!”
“ジェイムズ副隊長、もうだめ───ぐっ、あがあああああ”
防壁に空けられた穴を囲うように部隊を展開し、雪崩れ込む魔物と交戦する亜人種達をやや離れた位置から見下ろす影があった。
「うん、良いタイミングだ」
「ええ、丁度良いタイミングですね」
悲鳴と怒号、赤く濡れゆく大地を前にヴラグは心底嬉しそうに
「ヘリヤ、お前はここに居ろ。家畜共に大切な
「了解致しました、指令──では、足元に気をつけて」
その場で半歩下がり頭を下げて戦場へ向かう上官を見送ると、彼女は軍服の胸ポケットから少し潰れた煙草を取り出し火を灯した。
「たまには私も戦いたいんですけどねぇ……」
燻らせた煙と共に吐き出した言葉は、誰に届くこともなく空へと消えていく。
──ヴラグにとって、最も心休まる場所は何処か。
それは戦場であり、それ以外の場所はなんの価値もない
故に、戦場へ赴いた彼女は常に嗤っている。腹の底、自身の
彼女が嗤うところに戦はあり、戦のある所に笑顔の天使が
混迷極める戦場を駆ける事もなく、優雅に歩く彼女は上機嫌に嗤っていた。家畜の首筋に噛み付く魔物を、手にした軍刀で
そうして戦場の中心に立つと、手にした軍刀を勢い良く地面に突き立てる。
“──我は戦乱の使徒。
我は争いの調停者。
我らがもたらす破滅の中に希望を。
万物に滅びと繁栄を。
我が主の意向に
頭上の
──目覚めろ、
彼女が槍を手に取り言葉を告げた次の瞬間、放たれた兵装は雷鳴となり大地諸共敵を焼き砕いたのだ。空を駆ける雷撃に焼かれ、炭と化した死体は別の雷撃の余波に砕かれ塵と果てる。
魔物への恐怖も怒りも何もかも、戦場にある全てを等しく飲み込み砕いていく赤雷。
これこそが彼女の励起兵装──広域殲滅非実体兵器・
「貴様らは楽器だ、恐怖を撒き散らす装置だ!」
戦場を照らす赤い稲妻の渦の中にあって、彼女は声高らかに嗤うのだ。
「さぁ、悲鳴を奏でろ!!」
歓喜に震えた声で叫び、再び励起兵装を手に取り投擲する。
「苦痛を歌え!!!」
雷撃に焼かれ、異常な収縮を見せる筋肉が骸を踊らせる。
「ハ、ハハ……ハハハハハハハハハハッ!
これが、これこそが我が愛しき戦場よ!!」
断末魔を歌い、舞踏する死体の蔓延る
それは異端の天使、ヴラグ──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます