第24話  狂愛その1

柴田拓人は中学三年生で、そろそろ進学する高校をどこにするか決めなければいけない時期だ。


拓人の家は拓人と母親のいわゆる母子家庭である。

親族の話によると、拓人の父親はどうもよそに女を作っていたらしく、散々拓人の母親の春子と揉めたあげく、拓人がまだ幼いうちに離婚が成立した、とのことだった。


そして、この頃拓人には一つの心配事があった。


以前は、心の底から我が子がかわいいといった感じで、優しい笑みを絶やさなかったのに、

今年に入ってからというもの、母親の、拓人を見るその目が少しおかしくなってきていた。

春子は、まるで親の仇を見るような、鋭い視線を拓人に頻繁に向けてくるようになった。


ジッと拓人を睨み付けている春子に声をかけると、春子はハッとした表情で正気に帰るのだが、しばらくすると、また拓人に鋭い射るような視線を向けてくる。


一体、お母さんに何が起きているのだろう?

まさか、何かの精神病でも患っているのではないだろうか。……それが拓人の唯一の心配事だった。


この間など、拓人が深夜自分の部屋で寝ていると、側に誰かの気配がして拓人は目を覚ましたのだが、枕元で春子が鬼のような形相を浮かべて拓人を見下ろしながら、ブツブツと拓人の父親の名前をうわ言のように呟いていたのだ。


「……風人さん、風人さん……愛してるわ……。風人さん。風人さん、風人さん、風人さん。私はこんなに愛しているのに……」


拓人は、その母親の異様な様子に思わず身震いしてしばらく動けなかったほどだ。



…………そして、学校が夏休みに入り、拓人は様子のおかしい母親と毎日、家で長時間一緒にいることになった。


友達と遊びに行こうにも、皆、受験が差し迫っているためそれもままならない。


「…………ハア。」


拓人はこの日、一体、何度目になるかわからないため息をついた。


血走った目で、拓人を毎日のように凝視してくる春子には、拓人はもういい加減うんざりしていた。


……なんで、なにもしていない僕を、お母さんはあんな目で見てくるようになったの?


そう言えば、以前深夜に目を覚ましたときに、お母さんは別れたお父さんの名前をブツブツ呟いていた。


…………もしかして、僕はそんなにお父さんに似ているのだろうか。


父の写真は見たことがあるけれど、拓人は父親にうっすら似ているくらいで、そんなにそっくりと言うわけではない。…………にも関わらず。


「…………ハ~~アァァ。」


拓人はひどく憂鬱だった。ため息がまた口からこぼれてくる。


拓人がふと台所に目を向けると、母親の春子が台所で包丁を片手に何事かを呟いている。

その表情には、息子の拓人からしても鬼気迫るものがあった。


リビングに座っていた拓人の耳にその呟きが聞こえてきた。


「…………風人さん、風人さん、風人さん、風人さん…………!」


…………駄目だ。お母さんは完全に正気を失っている。

僕が力ずくでも病院につれていった方がいいんじゃないだろうか。


拓人はそう考えて台所で立ち尽くしたままの春子に近づいていき、声をかけた。


「……お母さん!ねえ、お母さんったら!!」


「……風人さん、風人さん、風人さん、風人さん…………。私はこんなにあなたを愛しているのにあんな女と……………。」


なおも壊れたように、拓人の父親の名前を連呼している春子の両肩を、拓人はしっかりとつかみ、前後に揺さぶりながら言った。


「お母さん!……ねえ、病院に行こう?きっとお母さんは疲れてるんだよ。病院に行ってきちんと治療してもらえば治るから。ねえ、聞こえてる?」


その時、下を向いてうわ言を繰り返していた、春子の血走った目が、拓人の方をギラリとねめつけた。


「…………………………っっ!!」


あまりの不気味さに、拓人は思わず春子の肩を離し、一歩後ろへ後ずさった。


「…………ああ。そこにいたのね、風人さん……。

ねえ、聞かせて?私のどこが悪いのか言ってっ!全部直すからぁぁッッ!!!」


「お、お母さん!お父さんじゃなくって、僕だよ!!息子の拓人だよっ!!」


春子は相も変わらず、右手に包丁を握りしめたままで後ろに後ずさっていく拓人ににじりよってくる。


「…………私はこんなにもあなたのことを愛しているのにッッッ!!!

このおッッ、裏切り者ォォッッッッ!!」



拓人の腹に春子の振り上げた包丁が突き刺さる。


「…………あああああっっっ!!」


母親に刺された腹部を押さえて、たまらず拓人はその場にうずくまった。


「……あなたが悪いのよ……。……まだ小さい拓人と私を捨てるからこういう目に遭うの……。

自業自得、そう思わない?ねえ、風人さん……。」


うずくまった拓人の頭上から狂気に満ちた春子の呟きが聞こえてくる。と同時に、拓人は気を失った。



     ◆  ◆  ◆  ◆


「……………………っっ!!…………拓人くんっ!!大丈夫か、しっかりするんだっ!拓人くんっ!!」


拓人がうっすらと目を開けると、叔父の義之が拓人の体を起こして必死の形相で呼び掛けている。


義之は拓人が目を覚ましたのを見てとると、拓人に言った。


「しっかりするんだっ、拓人君っ!!もうじき、私の呼んだ救急車が来るからねっ!!それまでの辛抱だっっ!!」



…………やがて、拓人は再び意識を失った。

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