第3話 化粧

私は結婚して以来、妻の素顔というのを見たことがない。私達はお見合いで知り合い、なんとなくお互いにしっくり来るものがあったのだろう、その後何度かのデートを重ね私の方からプロポーズした。

それが丁度二年前の初夏の事だ。それから夫婦二人三脚で仲良くやって来たつもりだし、彼女の方も同じ気持ちでいてくれる、と信じている。


ただ、結婚以来妻は私が床に入っても完全に眠ってしまうまで決して化粧を取る事が無いようだ。そもそも毎日ちゃんと化粧を落としているのかすら良くわからない。毎日私より後に眠って私より先にもう起きている。そんな日々が続いていたある日の事。


その日私は会社の同僚の送別会でしこたま酒を飲みぐでんぐでんに泥酔した状態で家に帰った。

「まあまあ、あなたったらしょうがない人ね。」妻はいつもと変わらず優しい笑顔でそんな私を出迎えてくれた。

妻はすぐに床を整えてくれて私はすぐに夢の世界へと旅だった。……そして。


……ぶるっと思わず寒気がして私は目を覚ました。少しの尿意を覚えてトイレへとそろそろと向かった。

トイレからの帰り道、夫婦の寝室である和室の隣にある妻専用の6畳程の洋室からうっすらと明かりが漏れているのが見えた。


……おそらくその時はまだ酔っ払っていたのだろう、柄にもなくそっと陰から忍び寄って妻を脅かしてやろう、と思った。


…足音を立てぬようにそーっと、そーっと部屋に近付く。…どうやら妻は化粧台の前で化粧を落としているようだった。その時、一瞬、鏡の中の妻の頬の部分に細長いもう一対の目が開いているように見えた。


…………?何だ…?見間違いかしら。そう思ってもう一度鏡に写った妻の顔に目を凝らす。「………っっ!!?」危うく声が漏れるところで私は自分の口を両手で押さえた。

な、何で愛する妻の顔に目が4つもあるんだ!?

私の酔いが残っていた頭がフル回転を始める。

ど、どうすれば………。私の妻は果たして化け物だったのだ。すっかり酔いが覚めてきた。私は決して妻に見つからないよう、細心の注意を払って、そーっと寝室まで戻り布団を頭から被ってガタガタと震えていた。


……結局、その後は朝まで一睡も出来なかった。


翌朝。げっそりとした私の様子に妻は心配していたものの、私はまともに口を開く余裕がなく、ただただ夕べは少し飲みすぎた、気分が悪い、と全て酒のせいにして、訝る彼女の追及を避け、逃げるように会社へと向かった。


ところで、学生時代からの趣味で私は簡単な日記のようなものをケータイに毎日綴っていた。

勿論昨日の妻の素顔が化け物であった件も動揺を押さえるために、あえていつも通りに書き綴った。


私はいつもケータイにはロックをかけているから、万が一にも妻に中身を見られることはない、とたかを括っていたのだ。


その夜、会社から家へと帰った私は妻の視線に気を付けながら今日の分の日記を書いていた。

……半ば程書き終わった頃に突然急な差し込みで慌てて私はトイレに駆け込んだ。


「……ふーっっ!!」いやーっ、スッキリしたなぁ、さて日記の続きを書くとするか、そう思いながらリビングへと戻ると、

「あなた……。ちょっと……。」妻がどこか無機質な声で私を呼んだ。果たしてその右手には私のケータイが握られている。


「あなた……、ちょっといいかしら……。」

私に背を向けた妻の表情は見えない。


「私達、どうやら話し合うことがあるみたい………。」

そう言って妻は、普段は化粧で隠しているもう一対の瞳をカッと見開いた……。




 





  

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