8 安眠できません
嫌いな奴の目の前で剣を杖代わりにして歩くのは、相当屈辱だった。馬車に乗った疲労と寝不足という理由で倒れかけたのは、流石に予想できない。……体調管理とはここまで難しいものだっただろうか。
ゼェハァ言いながら部屋に戻ろうとする私を見るグレンの目は、何故あんなにも……哀れみに満ちているのだろう。
メレディスの補佐をしてくれると言うから少しは信用したが、溝は深いままだ。あれだけ私が嫌っていたのだから、仕方ないのかもしれないが。
「……その、見苦しいと思いますので……他所を向いていてくださいませ」
「そうしたら監視の意味が無くなるだろ」
「……えぇ、まあ、そうですわね。でも、それとこれとは別ですわ!」
此奴相手に弱った姿を見せるなど、恥でしかない。不機嫌な顔を隠さずに言うと、相手はムッとしていた。先程までの肌を刺すような空気とはまた別の、ピリピリした雰囲気がする。気を張ったあの時と違って、今は何とも間の抜けた感じであった。
「まさか、今も自分の方が立場は上だと思ってるなんてこと、ないよな?」
「当たり前でしょう。恥を貴方に晒すなんて真似をすれば、何時何処で利用されるか分かりませんもの」
「……その割には、言葉遣いが直ってねえけど?」
「癖なので」
そっと視線をずらしても、訝しむような目を向けられる。……仕方ないだろう、事実なのだから。実際これまで影で努力していたというのに、直る気配がしないのだ。
もしや、『悪役令嬢スカーレット=ローズ』としての宿命なのだろうか。だとしたら、物凄く嫌だ。悪役令嬢としての運命に囚われている云々はどうでもいいけれど、直らないのならとても困る。平民として生きていくのに、どうして言葉遣いはお貴族様風でなければならないのだ。
「……わたくしは一つを極めるなんて芸当は、とてもできませんでしたわ」
「十六年間……ねぇ。長い間やってたんだから、その方が楽なんだろ? だったら構わない」
「あ、ありがとう存じます?」
「……何で疑問形なんだよ」
白々しく視線を逸らした。今度こそ此奴も諦めたようだった。私はこう見えても夢を求めて十六年もの間、言葉遣いや仕草など細部にまで拘って『完璧人形』を演じ続けて来た。執着心の強さなら、グレンとも張り合えるだろう。
「――っ!?」
「って、おいっ!」
そしてすっかり忘れていたが、私は今にも倒れそうな虚弱体質である。……か弱き乙女なのだ、剣を振り回していても。それだけは揺るぎない事実だ。……多分ね、うん。
兎に角、睡眠不足のせいでますます倒れそうになっているのだ。それを無視して騒げば当然、体がふらついてもおかしくない。体を支えようとすれば、掴まるものが必要だ。そして此処は広すぎる広場で、近くにある調度良いものは、
「……ったく、しゃーねぇ。運んでやるよ」
「って、止めてくださいまっ!?」
「あーもう、うるせぇな! 黙ってか弱いふりでもしてろ!」
「………………チッ」
「舌打ちはするな」
あ、バレた。
ブチ切れることがなかったのは良いとして、肩に担がされている現状に疑問が飛び出す。黙っている訳にもいかないけれど、面倒くさいので舌打ちだけしておいた。……直ぐにバレて怒られてしまったが。
それにしても、何でわざわざこんなことをするのだろう。あれか、筋肉自慢なのか。『お前なんかよりも俺の方が強い』というアピールなのか。もしそうならば、当たり前だろうに。私が虚弱体質であることを知っている此奴は、病弱どころか騎士を務めるほど健康体だ。
私の予想が正しければ……想像以上に馬鹿だった。
「……今なんか、変なこと考えてなかったか?」
「滅相もないですわ」
この男、意外によく私のことを理解しているのかもしれない。思考回路なんて見えないはずのもの、果たして此奴にも見えないのだろうか。ちょっと疑心暗鬼になる。
……というか。
「いつまで抱えられていれば宜しいのでしょう?」
「お前が寝るまで」
「……ご冗談を。さっさと降ろして欲しいのですが」
「じゃあ、寝ればいいだろうが」
至極簡単なことだという反応がムカつく。睡眠不足と疲労で苛々しているのに、眠りたいというのに。
例え元がついても、私は淑女なのだ。異性の前で眠るなんて真似をすれば、無防備になってしまう。そんなことはしなそうなグレンだとしても、恥を晒すのは結構だ。
じたばたともがいて落ちそうになった私を、あの男は呆れた目をしながら抱え直した。
「暴れるなよ!」
「なら、降ろしてくださいませ。重いでしょうし」
「……別にそうでもねぇけど」
「……?」
ボソリと呟かれた声は聞こえない。まあ、知ったところで面白くないだろうし、興味もないけれど。
というか、重い奴を抱えて歩くのも大変だろう。こっちも降ろしてもらった方が楽なのに、此奴は一向に止める気配がなかった。
「諦めて寝ろ。寝心地は保証しねぇけどな」
何だか負けたような気がして、むぅと頬を膨らませる。この男、まさか私が寝るまでこのままだとか言い出すつもりではなかろうか。
せめてと軽く蹴ってやると、額に指で突かれた。反抗する気しかなかったけれど……何だか瞼が落ちていく感覚がして、そのまま寝てしまった。……絶対、悪夢しか見ないだろう。
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