第4話 奴隷紋 前編 改稿
奴隷商人の館 二階の学習室
その日は珍しく大雨だった。
雨音が激しいせいで、刻を知らせる鐘の音すら聞こえない程だ。
いつもなら窓の外に鳴り響くその音が、今日は雨音にかき消されている。
だが、そんな全ての雑音を消す音色が、好きだった。
学習が捗るのだ。
朝からこの世界の言葉を記憶する為、この部屋で貴重な本と向き合っている。
それは、最近増えたお伽噺の本だった。
文字が読めなかった俺は、その学習能力の高さを認められて、こうして本を読み漁る時間が与えられたのだ。
断じてサボっているわけではない。
これは立派な勉学なのだ。
「…へぇ」
物語の続きが気になり、パラパラと読み進める。
勉強が捗っている証拠だろう。
物語は佳境を迎える。
——ガチャ
結末はどうなるのだろうと思った矢先、扉が開いて青髪の少女が入ってきた。
「クロくん、夕飯の時間だよ」
彼女はそう言ってきたが、その顔は暗い。
いや、いつも明るく笑っているからこそわかる、微妙な変化だろうか?
「どうかしたか?」
「んー」
指先を唇に当てて、実に可愛らしい仕草をする。
だが、珍しく考え込んでいるのか、彼女の言葉は、その先に続く事はなかっな。
「なんだよ」
「んー、夕飯?」
やはり考え事をしているのだろう。
繋がらない二つの言葉が、返ってくる。
だが、俺の性格は、そこに余計な一言を添えるのを拒否する。
「ああ、今行くよ」
本を閉じて片付けると、廊下へと出た。
後ろからついてくる少女の気配を感じる。
廊下の窓には相変わらず、雨粒が激しく打ち付けられていた。
「今日のご飯はなんだろねー?」
「…どうせ、芋だろ?」
悩み事は解決したのか、はたまた忘れる性分なのか、食堂に入ると、いつもの調子で話しかけてくる。
それに答える俺もまた、いつも通りだ。
そして、商人が運び込んだ見慣れた樽には、いつも通り皮むきのされた芋がぎっしりと詰まっていたのだ。
…はぁ
俺は心の中で、ため息を吐く。
こう毎日毎日、芋ばかりでは仕方ない事だろう。
飢え死にしそうな時の気持ちなど、喉元過ぎればなんとやらなのだ。
もう一つの樽の中を覗けば、何の葉っぱかわからない山菜が詰め込まれていた。
…調味料は塩しかない。
刃物は武器になるからなのか、調理道具はすり潰し用の棒のみだ。
「今日は肉の日じゃなかったねー」
「…期待してなかったさ」
週に何度かは、切り分けられた肉が詰まっているのだ。
だが、期待すれば裏切られた時の落差が大きい。
「今日の料理当番の腕に期待しようぜ」
まあ、無理だろうがとは言わない。
貧しい時ほど、人は工夫するのだ。
仮に料理人が子供だとしても…。
仮に食材と調味料が限られていたとしても…。
ああ、無理かもしれない…。
…
……
………
いつものように質素な夕飯の後は、いつもどおりに大部屋に集まっていた。
そして、自然とグループが出来ると会話が始まる。
だが、そこに子供らしい姿はない。
馬鹿騒ぎをした者がどうなるか身をもって知っているからだ。
下の階に響かないように、静かな声で談笑するだけだ。
だからだろうか、一際目立つグループがあった。
「やめた方がいいよー」
「いや、こんな大雨の日だぜ?バレないって」
壁に背をつけながら座る俺の前で、青髪の少女と金髪の少年が、先程から言い争っている。
…迷惑だから、やめて欲しい。
だが、そんな淡い期待はすぐに砕かれた。
「クロくんも、やめた方が良いと思うよね?」
なにを?と言いたいところだが、こんな至近距離で騒がれたら、嫌でも聞こえる。
この金髪の少年…歳は16らしいが、この教育施設を脱出しようとしているのだ。
教育施設とは俺が名付けているだけで、四方を大人の背丈より高い壁に囲まれた二階建の館である。
上の階は奴隷達の施設になっていて、下の階は奴隷商人や教官の部屋がある。
館を出ると訓練の為の中庭があり、その先は外に繋がるだろう門があるのだが、当然衛兵が二人立っている。
ちなみに、館には教官が二人。
奴隷商人はいない日もある。
それに対して、奴隷達は少年少女合わせて10人いた。
つまり警備はザルなのだ。
逃げ出せるものなら、どうぞという形である。
だからこそ、この奴隷紋の効果が恐ろしい。
…俺は右手に青白く輝く紋様を眺める。
そして、金髪の少年の顔を見た。
——名前も知らない少年だ
…奴隷紋の効果ね。
窓の外は相変わらず、全ての雑音を飲み込む雨音に包まれていた。
「自分で決める事だろう」
「…クロくん!」
青髪の少女が非難めいた声を上げる。
なんで止めないの?と言いたそうな顔だ。
…彼女は馬鹿ではないらしい。
「俺は決めた!やるぞ!」
そして、勇敢な金髪の少年が一人。
だから俺は、
「…手伝うよ」
と、笑顔で答えるのだった。
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