油揚げのため!

「父さん」


 ナツメさんが、ぼそっとつぶやくように言った。振り向いてみると、お父さんの顔を見るナツメさんの顔は、なんだか怒ってるようにも、泣きそうなようにも見えた。

「お前のせいじゃない。ばあちゃんが言ったのはおとぎ話だから、気にするなって言ったろ。父さんがドジだっただけだって。すぐに良くなるから、店も、今日は病院に行くから休んだけど、明日からは母さんにも手伝ってもらって、ちゃんと開けるから」

「おじさん、大丈夫?」

 もえちゃんが声をかけると、ナツメさんのお父さんはにっこり笑ってもえちゃんを見た。

「おう、もえちゃん! 今日、お父さんに豆腐とうふおろせなくって悪かったって、謝っといてくれるかい?」

「うん、言っとく! おじさん、早く良くなってね!」

「おう! もえちゃんはやさしいねえ!」

 背が高くて、がっしりとした体型のお父さんは、片腕をけがしていてもなんだか頼りがいがありそうに見えた。

「おじさんの油揚げ、わたしのお友達が買いたいって! 早く元気になってまたお店がんばって!」

 そう言ってもえちゃんは、わたしをずいっと前に押し出した。

「本当? ありがとうな!」

 お父さんはうれしそうに笑うと、それじゃあねって言って、ナツメさんを連れて家の中に入っていった。

 なんか申し訳ない気持ちが……だってわたしが食べたいんじゃないんだもん……そんな風に思いながらお店の方を見ると、思ったよりすぐ近くにヨジロウが立っていて、わたしはびっくりしてしまった。


「わあっ! ヨジロウ! いつからそこにいたの?」

「今来た」

「ずっとお店のぞいてたの?」

「いや。さっきの男。あの男はどうしてケガをした?」

「え?」

 なんだかヨジロウ、難しい顔をしてる?

「昨日、川の近くで転んじゃったんだって」

「川?」

 そう言うと、ヨジロウは腕を組んて下を向いて、なんだか考え込んでしまった。

「ヨジローくんも心配だよねえ。おじさんが元気になってくれなきゃ、油揚げ、食べられないもんね!」

「なんだと?」

 もえちゃんの一言に、ヨジロウがものすごい形相ぎょうそうで振り向いた。

「あの男が、職人なのか?」

「職人? うん、そうかな? ナツメくん家のお豆腐や油揚げは、だいたいおじさんが作ってるはずだよ!」

「そうか……ならば、あの腕の傷……何が何でも治してもらわねばな」

 ヨジロウ? なんだかすごい顔だし、そのにぎりしめたこぶしはなに?

「行くぞミント!」

「えっ? なになに?」

 急にヨジロウがわたしの手をつかんで、ズンズン歩き出した。

「あっ! ごめんねミント! わたし、おじさんの伝言、お父さんに伝えに行くね。ほんと、今日はごめんね!」

「もえちゃん、いいってば! わたしこそごめんね~! ありがとう~!」

 もう! ヨジロウが急にひっぱるから、変な別れ方になっちゃったじゃない。

 わたしは精一杯せいいっぱい、腕をブンブンふってバイバイと叫ぶと、もえちゃんも大きく腕をふって返してくれた。

 もえちゃんがこっちに背をむけるころには、わたしはだいぶヨジロウに引っ張られて移動していた。


「待って待って! ヨジロウ! どこに行くの?」

「川だ」

「川? なになに? どうして川? もう帰らなくちゃ……」

「油揚げのためだ!」

「油揚げのため? なに言ってるの~!」

 そんなことをわんわん話しながらしばらく私を引っ張っていたヨジロウは、突然立ち止まった。

 わたしはバランスをくずして思いっきりヨジロウの背中に顔をつっこんだ。

「うぶ。いたた。急に立ち止まらないでよ~」

「川はどっちだ。城下じょうかの景色が変わりすぎてわからん」

「じょうか? もう~道わかんないなら無理やり引っ張らないでよ~」

「あの職人がケガをしたというところに行きたい」

「え? ナツメさんのお父さんが? ええっと……河川公園かせんこうえんって言ってたっけ」

「そこに連れてけ」

 もう強引ごういんだなあ。まあ、ここから家まで、ちょっと遠いけど歩いて帰るつもりだったし、通り道の近くだから、寄り道してもいいかなあ。

「わかったわかった。じゃあ、こっちね」

 わたしがそう言って歩きだすと、ヨジロウは真剣な顔で後をついてきた。

 急にどうしちゃったんだろ。

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