ワイルドボア

 オルレアが帰った日の翌朝、俺は目を覚まして何となく寂しさを感じた。オルレアが帰ってしまって寂しいと思っているのだろうか。彼女もシオンに負けず劣らぬ個性の持ち主だったからな。元に戻っただけとはいえ、三人が二人に戻ったら寂しさを感じるのも当然かもしれない。


 が、そこで俺はふと屋敷内が静かすぎることに気づく。冒険者としてある程度周囲の人の気配には敏感な自信があるのだが、屋敷内から俺以外の気配がしない。


「シオン?」


 俺は不安に思いながら彼女の部屋のドアを開ける。鍵はかかっていない。

 すると中には空っぽの寝室が広がっていた。特に異常な様子はなく、財布や杖などの装備品もないので外出中に見える。


 しかし今は早朝。確かにシオンの朝は早いが、こんな朝から急に出かけるだろうか。それに自分で言うのもなんだが、シオンが俺に何も言わずにどこかに出かけるとは思えない。そんなことを思いつつ周囲を見渡していると彼女のテーブルの上に一枚のメモ書きがあった。


『野暮用で出かけます。出来るだけ早く戻ります。心配はいりませんが、してくれたらそれはそれで嬉しいです。 シオン』


 限りなく何もないのと変わらない書置きだ。しかしそう言われて安心するほど俺はポジティブではない。もちろんシオンが何かに巻き込まれているのではないかという不安もあるが、シオンがどこかで事件を起こしているのではないかという不安もある。

 そんなことを考えていた時だった。


「助けてくれ! ワイルドボアの群れが向かってくる!」

「避難しろ!」

「だがあそこには農地があるんだ!」

「とりあえずオーレンさんを呼びに行こう!」


 屋敷の近くからどたどたという物音と人々の喧噪に混ざってそんな声が聞こえてくる。

 ワイルドボアというのは牙を持った草食動物で、普段は群れで穏やかに暮らしているが、外敵が現れると途端に興奮して襲い掛かってくる。誰かそそっかしいやつが群れを怒らせてこの町に逃げてきたのだろうか。ちなみに肉はそこそこうまい。

 仕方なく俺は慌てて着替えると剣を持つ。そこへ慌ただしく家の扉がどんどんと叩かれる。俺がドアを開けると、そこには脅えた表情の男が三人ほど立っていた。時間が惜しいので俺は単刀直入に尋ねる。


「ワイルドボアの群れか」

「は、はい!」

「どっちだ」

「こっちです!」


 彼らに続いて走っていくと、町の外に広がる荒れ地に出る。しかし今はただの荒れ地ではなく、畑作に備えて石や木を取り除く作業が行われている。また、先行して荒れ地でも育ちやすいと言われている芋の栽培が始められていた。

 そんな畑予定地の向こうから土煙が上がっているのが見える。あれがワイルドボアの群れか。


「すみません、俺がこの辺の地で草むしりをしていたところ、奴らを怒らせてしまったようで」


 男が申し訳なさそうに頭を下げる。

 ちなみに草むしりとはいっても、荒野に生えているのは魔物に踏まれようが、ドラゴンのブレスに巻き込まれようが枯れないような草が多いので、決して楽な作業ではない。ただ、ワイルドボアも生きるためにそんな草でも食べているため、怒ったのであろう。


「とりあえず何とかしようと思うが、何匹かはこちらにも来るだろう。それは任せたぞ」


 そう言って俺はワイルドボアの群れに向かう。見たところ五十頭以上はおり、猛烈な速度で土煙を挙げてこちらに向かってくる。食べていた草がむしられて怒っているのだろう。こういうとき、攻撃魔術師ならファイアーボール一発で終わらせるのかもしれないが、彼らを全員剣で倒すのは骨が折れる。しかも数頭倒している間に残った群れは畑に向かうだろう。

 そこで俺は群れから見て畑とは別の方角へ走っていくと、剣を抜く。


「〈概念憑依〉ストームブリンガー。くらえ、ソードストーム!」


 途端に剣から竜巻が発生してワイルドボアの群れに向かって飛んでいく。

 俺が使える精いっぱいの攻撃魔法だが、群れを全滅させるほどの威力はない。

 突然横から竜巻を撃ちこまれた群れは何頭かが倒れたものの、狂奔してこちらに進路を変える。


「ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 曲がり切れなかった何頭かはそのまま畑に向かっているが、それぐらいなら問題ないだろう。

 俺はワイルドボアたちが自分を追いかけてくるのを見て、とりあえず町から離れる方向に走っていく。ワイルドボアたちは怒涛の勢いで追ってくるが、俺の脚力ならどうにか一定の間隔を保ったまま走り続けることが出来る。

 少し走った後だろうか、俺は探していたものを見つけた。荒野の間を流れる川である。そこそこの幅と水深があり、歩いて渡ることは出来なさそうだ。


「うおおおおっ!」


 俺は気合を入れると川岸から川岸へと跳躍する。脚に力を込めて最後の一歩で地面を勢いよく蹴り飛ばすと、身体が宙へ舞い上がる。幅数メートルはありそうな流れだったが、どうにか対岸へ着地することが出来た。

 ほっとした俺が振り返ると、ついてきたワイルドボアたちは次々と川に突入し、そのまま濁流に巻き込まれて下流へと流されていく。群れの半分ほどが流されたところでようやく冷静さを取り戻し、川岸に残ったワイルドボアたちはとぼとぼと歩いて帰っていった。


 ワイルドボアの生命力は高いので流された程度では死なない。流された奴らもおそらくそのうち下流のどこかで引っかかって戻っていくだろう。

 俺は役目が終わったことに安堵して畑に戻る。そこにはすでに町の冒険者が集まっており、三頭のワイルドボアを倒していた。


「おお、あの大量の群れを全部どうにかしてくれるとは!」

「絶対生きて帰ってくるって信じてたぜ」


 俺が戻ってくると人々が出迎えてくれる。

 悪い気はしないが、まだ作物を植えた訳でもないのにこういうことが起こると心配の方が大きくなる。前途多難だ。


「まあな、ワイルドボア程度にはまだやられない。今後もこういうことはあるだろうが、これに懲りずに開墾を頑張ってくれ」

「そうだ、せっかくワイルドボアを倒したんだ、今夜はこいつらの肉で一杯やろうぜ」

「お、いいな! それならせいぜい日中は頑張って働くか」


 男たちはすぐに元気を取り戻している。過酷な環境で育っているだけあって彼らのバイタリティは高い。


「シオン、そろそろ戻っているだろうか」


 彼らは陽気に騒ぐ中、俺は一人胸騒ぎを覚えていた。

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