39.フィーは人の街を歩きたい。(二)
「はー、疲れたわ!」
「彼女は愉快だな」
――百面相するフィーを連れ立って、僕たちはライン国の中枢である屋敷のような城の中庭まで、色欲龍像を運び込んだ。道中ずっと重い重いいい続けてきたフィーは本当にお疲れ様だ。
いや、実際三人で運ぶような大きさではなかったが、なにはともあれ、
「……それにしてもこれ、何に使うのよ」
「色欲シンパの概念使い向けじゃないか?」
「えっ、なにそれ……」
信じられないものを見る眼で色欲龍像を見るフィー。彼女からしてみればうざ絡みが果てしなくうざい友人という立ち位置であろうエクスタシアに、信奉者がいるのは意外だろう。
ましてや快楽都市ではなく、ラインにというのは、更に。
「なんだかんだ、色欲龍は人類の救世主だからなぁ、地母神的な側面もないとはいえないし」
「いやでも、だからって……」
「……本人を知らなければ、そんなものじゃないかな」
――と、それは少し真面目な話。
色欲龍は人類に大罪龍への対抗手段を与えた、救いの主という側面もなくはない。大罪龍が跋扈する今の時期だけの考え方ではあるが、概念使いという特別な力を福音と考え、大罪龍を試練と捉えるものも、そこそこいる。
この世界には昔から衣物と呼ばれる人智を超えたものが存在し、そこに神を見出す考え方はある程度存在したためだ。
そして実際にこれは機械仕掛けの概念という創造主が存在し、その狙いが人類に対する試練であることから、概ね当たっている考え方だ。
決して、不自然な帰結ではない。
何も知らないからこそ、ロジカルに人は思考して、それ故に感情を無視して論理的な結論を出す。そういう側面も、人の中にはあるはずだ。
「…………私にはよくわからないわ」
「大罪龍は感情を根底に置くからね、そういうものさ」
――と、そうやって会話する僕たちの元へ、ルゥがやってきた。手には何やら瓶に収めた飲み物。休憩のためにもってきてくれたのだろう。
「おまたせしました。この度はお手伝いいただきありがとうございます。兄さんも、どうぞ」
「いいのよ、別に」
僕らに深く礼をすると、それから兄にも声をかけ、ルゥは甲斐甲斐しく世話をしてくれる。その姿は、家族というよりは、給仕とか、小間使いとか、そういったような甲斐甲斐しさだった。
僕たちだけに対してではなく、兄のアスターにさえ。
「これも役割分担ってやつだよ、フィー。概念使いが身体を動かし、そうでないものがそれを労る。ここじゃあそれが普通の考え方なんだから」
「――彼にとって、妹のルゥは守るべき存在ってことね」
と、そこまで言ってフィーは何かを考え込む。何かをいいたげな様子で、しかし悩んでもいるようで。何かいいにくいことだろうか、そして恐る恐るといった様子で、
「あの二人なんだけどね――」
「――あの」
そこで、ルゥが僕たちに声をかけてきた。びくっとした様子でフィーが一瞬震え、僕たちはルゥの方へと向き直る。
「お手伝いいただき、ありがとうございます。――これ、お礼です」
ぺこりとお辞儀をした彼女が手渡したのは、一組の腕輪だった。……ん、これって?
「これは?」
「使い方がわからない衣物なのです。他にも色々あるのですが、ペアの腕輪ですから、お二人に丁度いいかと」
衣物は、中には使い方がわからないものもある。そういうものは値段をつけられないのだろう、こういうときの適当なお礼としては最適というわけだ。
中には凄まじい効果のものもあって、どう考えても損をしているときもあるが、そもそも不良在庫だから、その結果論さえ無視すれば、別に損はしていない。
いや、これはその損しかねない凄まじい効果のものなのだが。
「……なるほど、どう?」
少し考える僕に、フィーが受け取るか、といった様子で聞いてくる。これをもらえるとありがたいけれど、しかしそうか、この時代だと、こいつの使い方はわからないんだな。
とすると、僕はその使い方を知っているわけで、もらってしまうのはなんだかズルな気もする。
けど、説明するとそれはそれで怪しいんだよな……
と、考えたところに、
「……似合う?」
――フィーがそういって、腕につけたところで、僕は考えるのをやめた。フィーがそういうふうにしたいなら、僕はそれでいいと思う。
「似合ってるよ」
問題は、これ使い捨てなんだよな……どう説明したものか。
「……羨ましいですね?」
「え?」
「――いえ。とにかく、ありがとうございました。ほんと、こんな大きな物持って帰ってきても処理できないのに、困った兄さんです」
ぼんやりとつぶやいて、ルゥはお辞儀をすると僕らから離れ、兄、アスターへと少し言葉をかける。
「それじゃあ兄さん、私は店に戻りますので、身体を休めてからもどってきてくださいね」
「ああ、わかってるよ」
献身的、という言葉が似合うだろう。少し手伝っただけの僕たちにすらこれほど親切にしてくれている。――役割分担。彼女は概念使いではなく、兄は概念使い。この関係は、きっと自然に構成されたものだろうな。
良くも悪くも、今の時代は、そういう時代だ。
「――改めて、俺からも礼を言わせてくれ」
「手は空いてたからね、むしろこんな素敵なものまで受け取ってしまってよかったのかな、ってくらいだ」
そういって、受け取った腕輪を見せる。
――いや本当に、これ、もらってしまっていいのだろうか。今からでも使い方を説明したほうがいいのでは?
……いいや、きっと教えても受け取ってくれというな、この兄妹は。
優しいけれど、優しすぎる、なんとなくそういう兄妹だと感じた。
「――なんというか、見ていてびっくりするくらい、そっくりな兄妹だね」
だから、僕は率直に言葉にする。それにアスターは少しだけ気恥ずかしそうにしながら、
「あー、いや」
少し、意外なことを言ってきた。
「血がつながってないんだよ、俺たち。だから、本当の兄妹じゃないんだ」
――少し驚いた。
顔立ちもなんとなく似ているし、振る舞いなんてそっくりだ。これで兄妹じゃないのかと、思わず困惑してしまうくらい。
ああいや、そもそも……
「どうしてそれを 僕たちに?」
「……そっちの子が気付いてるみたいだったので」
「えっ? ……あっ」
――あの妹は、エクスタシアの血を引いていないんだ。
フィーは概念使いの才があるものを目覚めさせる権能を持つ。その力は未だ健在で、だから血を引いているかいないかの判別もできる。
兄妹を名乗る二人が、片方は概念使いでもう片方が血を引いていないとなれば、二人は義理の兄妹ということになる。
「……なんかごめん、ちょっと気になっちゃって」
フィーはそう言って、少しバツが悪そうだ。さっきいいかけてたのはこのことだったんだな。とはいえ、二人の関係は良好で、ならそれでも問題はないのではないか。
まぁ、どうしたって相手の事情に踏み込むことになるわけだから、少し気まずいのは当然だが。
「しかしすごいな、俺たちのことを初見で気付いた人は初めてだ。そういう概念?」
「ん、まぁそんなところね」
――一応、フィーは知らない人には概念使いで通している。多分、人前で他の大罪龍とやり合うことになったらためらわず龍化するだろうが、それ以外の場所では人の姿のまま戦闘することになるのだ。
ちなみに概念は「羨望」。
「……俺たち、同じ村の生き残りなんだ。俺の住む村は、俺の父さんと俺が概念使いで、二人で守ってたんだけど、ダメだった」
「……そうか」
――ありふれた、と言うには重い。だが、生き残りという意味では師匠も、リリスも特殊だがそうだし、強欲龍と出くわした僕も、生き残ったと言えなくはない。
だから、敢えてありふれた過去、と言うべき過去。
「父さんと村の人達が、俺とルゥだけを逃してくれてさ。小さい村だったから、若いのは俺たちしかいなかったんだけど、それでもなんか、俺たちからすれば生き残っちまった感じで」
「……」
「顔立ちが似てたし、ずっと同じ村で家族みたいに暮らしてきたから、ここでは兄妹で通してる。別にそうしなきゃいけないってことはないんだけど……それが自然だしな」
そう言って苦笑するアスターの顔は、どこか寂しげなものが混じっていた。
――それは、ああ、僕でもわかる。
そして、更にそういう感情には、諸般の事情で敏いフィーは、少しだけ難しそうだ。もどかしいのだろう。
「……ねぇ」
「どうした?」
「…………ううん、なんでもない。これからも頑張ってね、応援してるわ、あなた達のこと」
応援、か。
素直にそういう気持ちで言っているのだろう、ごまかしたとは言え、フィーは嘘は言っていない。だからこそ、そこに嫉妬はないのだということも、僕にはよくわかってしまう。
――これが正しい形なのだとしても、フィーにはもどかしくて仕方がないはずだ。
「ああ、ありがとな。――よし。俺も帰るよ、いつまでもルゥを一人にはしておけない。俺がルゥを守るんだ」
「頑張ってね」
僕も、手を上げてそう送り出す。
アスターとはそこで別れた、俺たちは二人でエクスタシア像の前に座り込みながら、もらった飲み物に口をつける。
だいぶ冷めてしまったかな。
「――あの二人って、好き合ってるわよね」
「……師匠みたいな例もあるけど、まぁ、僕からみてもあの二人は男女としてお互いのことを好きだと思う。ただ――罪悪感、かな」
「……何よそれ、人なんていつかは死ぬじゃない。遅かれ早かれよ」
寿命のない者らしい考えを吐露させるフィー。
「羨ましい?」
「ううん、そういうわけじゃない。……うまくいくかしら、あの二人」
「彼らは時間が解決してくれるだろうさ。人はそうやって、時間で傷を癒やして前に進むからね」
少なくとも、彼らはためらっているだけで、決してお互いのことを嫌っているわけではないのだから。マイナスでないなら、彼らはいくらでもプラスを積める。
二人の間に、障害と呼べるものはないだろう。
――もちろん、それは大罪龍の凶行がなければの話だが、それを防ぐのが僕たちの使命であり、やるべきことだ。こんなところで、それを再確認するまでもない。
「なぁ、フィー……どうして師匠にあんなことを聞いたんだ?」
だから、僕は別のことをフィーに問いかけた。
つまり、なぜ師匠に僕のことが好きかと聞いたのか。
「……羨ましかったからよ、羨ましくて、気に入らなかった」
「フィーらしい理由だ」
「だってあいつ、自分の感情が何なのか分かってないのに、アンタの隣にずっといるのよ? そりゃ、好きとか恋とかじゃないかもしれないけど、あいつにはあいつの特別があるはずなのに!」
「……フィーはそう思う?」
――僕は、よくわからない。
師匠は決して僕のことを嫌っていないと思う、好ましく思っているはずで、それは本人も否定しない。けれど、それが具体的に何であるかはわからない。
フィーはそれは恋ではないといい、師匠はそれが何かわからないという。
ムリに恋と当てはめてしまっては、師匠は余計殻に閉じこもるだけで、僕では結論が出せない。今回のデートで、そこら辺を聞ければな、というのが僕の考えだ。
自分も割り込んできたリリスにも、何故かとか聞いてみたい。
「――それに、あいつは持ってる時間が限られてるのよ。あの二人もそうだけど、人間っていう短い時間を浪費して、立ち止まって二の足を踏む。そんなアタシにはできないことしないでよ! 妬ましくて仕方がない!」
ルゥとアスターは、お互いに罪悪感で踏み出せずにいる。今の関係を変えられずにいる。それは、時間が無限にあるフィーだからこそ、もどかしくて仕方がないだろう。
だから妬ましい。本当に、フィーらしい。
「ああ、いやでも師匠は……んー」
「何よ」
「いや、でもそうだね。恋をする、人を愛するってなると、たしかに師匠の時間は限られてる」
「人間なんだから、当たり前よ」
――そうやって、アタシたちを置いていくんだわ。
嘆息しながら、どこか寂しげにフィーは言った。それから、こちらを横目に眺めて、
「……アンタは、アタシをおいてかないのよね」
「まぁ、多分ね。確証はあるけど、確定はしてない。とはいえ、まぁ、君と約束したからね、もしダメなら、何かしら方法を探して君と一緒にいるさ」
「……そう」
そうだ。
だから――
「だから、僕は君を一生かけて守るよ、フィー」
そう声をかけ、手を差し出す。飲み物を飲み終わり、休憩は十分だろう。立ち上がって、フィーにも同じように促したのだ。
それを見上げるフィーは、不思議な顔をしていた。
嬉しさと、それから何かの引っ掛かり。
「……どうかした?」
「…………ううん、なんでもない。なんだろ、既視感っていうか。なんかこう、引っかかるの」
「僕にはよくわからないな」
「アタシも」
そういいながら、フィーは手を取って、
「なんか、色々あって結構いい感じになっちゃったわね。このまま、なにか食べて帰りましょうか」
「うん、それがいいと思う。何が食べたい?」
「んー」
人差し指を口にあてて、フィーは可愛らしく考え込む。そして、
「アンタの好きなもの、かな?」
ちょっとだけ、いたずらっぽく笑って、その指を僕の頬にくっつけるのだった。
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