地獄の72丁目 もう一つの帰還
「フゥ……、すっきりした」
ドラメレクは裸にローブを一枚のみ羽織るとベッドに転がっているベラドンナに一瞥もくれることなくコンフリー達が待つ食堂へ去って行った。
「フフフ……ドラメレク様は私のもの……。ドラメレク様は私だけのもの……。フフフフフフ……」
呪文のように繰り返すベラドンナの顔はもはや高揚感、幸福感で満たされ、復活の際に受けた仕打ちなど一切合切は夢見の内に霧散してしまったようだ。ただこの瞬間だけが、ベラドンナの欠けた時間を取り戻し、掛けた労苦を忘れさせていった。
「あんな奴らにはもったいない……。あんな奴らには渡さない……」
そして、憎悪の、嫉妬の、敵意の対象が、地下牢のデボラ達に向けられるのも当然の帰結だった。
「
食堂へ向かったドラメレクとは逆に、ベラドンナは地下への階段へと歩を進めた。
「小うるさいコンフリーも間抜けな坊や達もいない今がチャンスってもんだねぇ」
一歩、また一歩と地下牢へ降りるごとに自分の元へ愛する者が近づいてくるような錯覚を胸に、ベラドンナは階段を下った。ドラメレクの性格を考えると、ベラドンナの思考は紛れもない錯覚と言えるのだが当人はそのような可能性を無理やり押し込めているようだ。
「さて、元気にしてるかねぇ」
魔力を、気配を消して地下牢に近づいたベラドンナだったが、何やら牢の中の様子がおかしいので、少し離れた影から様子を探ることにした。
「んー? お口のチャックは閉まったままみたいだけど何やら脱出を考えてるみたいだねぇ」
さて、とベラドンナは思考した。
(このまま計画通りデボラ達を殺したところでドラメレク様は怒りゃしないだろうが、かといって私へ関心が向くとも考えづらい。それならいっそ逃げ出してもらって責任は坊や達が取るってのが最高の形……? だねぇ)
(ククク……。せいぜいお逃げ、小兎ちゃん達。私はお食事に戻らせていただこうかねぇ)
ベラドンナは今見た光景を全て忘れ、踵を返した。
(奴らが逃げたところで私に何のお咎めがあるでもなし。これで、食事の後もドラメレク様にご満足いただける……)
十分なプラス思考を携え、地下牢へと向かう頃よりもさらに足取り軽くベラドンナは食堂へ向かった。
一方その頃、食堂ではドラメレクによるリヒトとシュテルケへの食事マナー講座が始まっていた。
「いいか、二人とも。いただきますなどと言う言葉は使うな。時間の無駄だ。目についたものから手当たり次第食え。好きなものだけを徹底的に。嫌いなものは食べるな。コンフリー以外なら食事を出してきたものに投げつけてやってもいい。文句をいう奴が現れたら徹底的にぶちのめせ。ただし、その喧嘩に負けたら潔く死ね」
ドラメレクは目の前に並んだ食事を手づかみで、自ら教えた通りに食い漁っていく。早食い競争さながらの光景にリヒトとシュテルケも目を奪われていたが、やがて
「そうだ、父様はこういう人だった」と思い返し、自らもその早食いに参戦した。
コンフリーはと言うと、料理は作るのが趣味で食べる事に対してはさほど執着がないので、大好物の蝙蝠の目玉を一粒ずつ味わいながら食していた。
「坊ちゃん、おでこにサラマンダーの舌が張り付いて魔すよ。どういう食べ方をしたらそうなるんです」
リヒトはおでこについた舌を手で剥ぎ取ると口の中へつるりと押し込んだ。
「いいか、食材になど感謝するな。感謝させろ。俺の血肉になることを光栄に思えと。そして、実際そんな強く誇れる男になるんだ。いいな」
子供達はガツガツと食材を口に運びながら父の教えに頷く。
「フフフ。ドラメレク様、素晴らしい教えですな。食材を満足させるよう私も精進せねば」
蝙蝠の目玉は枝豆のようにコンフリーの口に運ばれていく。
「お前はまだ成長する気なのか。貪欲だな」
「ドラメレク様には負けます」
「欲深さでは誰にも負けん。そう生きてきた」
急にドラメレクは何かを思い出したかのように手を打ち据え、食事の手を止めた。
「欲で思い出した。こっちの効果はまだ続くみたいだし、下のメインディッシュにするか」
「あら、ドラメレク様。あんなハムみたいな連中が肉料理になるんですの?」
食堂の入り口には地下室の様子を見てきたベラドンナが悩ましげなポーズで立っていた。
「なんだ、お前まだ満足してないのか。というかお前が例え最高級の前菜だったとしてもたまにはハムが食べたくなるものさ。しかもあいつらは竜王のハムだ」
ベラドンナは前菜扱いされた事に少し顔を歪めたが、すぐに気を取り戻し、ドラメレクの右側の席に着いた。
「私もご一緒して良いかしら」
「なんだ今さら。好きに食べてろよ。俺は行くから」
「私もドラメレク様の食べっぷりが見とうございますわ。今しばらくご一緒していただけませんか?」
「まぁ、腹が一杯になってからでいいか」
再びドラメレクが食事に手をつけ始めたのを見て、ベラドンナは満足そうに食事を始めた。
(これだけ時間をかければあのウスノロ達でも牢を抜けられるだろうねぇ)
「なんだ、ベラドンナ。まだ食べ始めたところなのにえらい満足げだな」
「ふふふ、先程の余韻ですわ。私は今ドラメレク様で満たされておりますから」
「ふーん、そういうもんか」
これは、ベラドンナの嘘偽りない本心だろう。復活に際してほとんどの算段をつけたのは自分だという自負がある。苦労に見合うだけの成果があるかというとまだまだそれほどは満ち足りぬが。
「これこれ、ベラドンナさん、子供達の前ですぞ」
「盛ってんなよ、オバサン」
「一応、食事中でもありますからね」
「おやおや、これは失礼」
ベラドンナは魔草のサラダに手をつけるとゆっくり口に運んだ。
この後、ドラメレク達はデボラ達が逃げたことに気付くが、意外にもドラメレクは淡白な反応を示し、ベラドンナと部屋に消えて行くのだった……。
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