地獄の21丁目 門は潜れど希望は捨てず
本決算が終わった。ベルの強力なサポートと阿久津の強烈な嫌がらせが相殺されたのか、税理士の先生方への資料提出と監査法人の審査を終え、ついに世間の皆様に我が社の今期の成績をお披露目することが出来たのだ。
……まぁ、今期の我が社は別に特に良かったわけでも悪かったわけでもないが。ともかく、遅滞なくこの結果を得られたことは経理部にとって最低限の仕事であり、また最高の結果でもあるのだ。
それにしても、阿久津である。決算用の補充要員とは思えないほどの暴れっぷりで、書類の紛失は日常茶飯事。かといって書類を渡さないとなぜか悪態をついてくる。せめて仕事をしないならしないで会社にすら来なくていいのだが仕事をやっているフリなのかたまにやってきては伝票を承認するぐらいのことはやっている。それと、謎の領収書の提出。
近頃、タガが外れ始めたのかみんなが忙しいのをいいことに俺は外交を頑張るだの抜かしていた。セクハラも復活し始め、手当たり次第に女子社員に声をかけては食事に誘っている。まさかとは思うが、この謎の領収書はそういう事ではないだろうな。
「安楽君、ちょっといい?」
広瀬さんから会議室に呼ばれるのは珍しい。下っ端二人で打ち合わせることなどそうは無いからだ。俺は席を立つと広瀬さんについていった。
「もう、ホント最悪!」
「藪から棒にと言いたいところですが、大体の内容は察してます」
「アイツ、復帰してきてから段々しつこくなってきてるの」
「この前も普通に彼氏の存在を聞かれてましたね」
「今のご時世あれを人前でやる? 30や40のおっさんでもない男がよ!? どういう教育受けてんのかな?」
「教育を受けてないのか、はたまた英才教育の賜物か……。とにかく、広瀬さんの事は出来る限り俺や部長、ベルさん、滝沢さんで守りますから」
「あら、頼もしい。とりあえずあの男とは二人きりにならないように注意するから悪いけど本当に助けてね」
「もちろんです!」
会議室から戻ると、皆川部長と阿久津が決算慰労会について話していた。こいつのどこに慰労の必要があるのか知らないが。
「全員で揃って打ち上げって必要だと思いますがどうでしょう? 部長」
「まぁ、恒例の行事ではあるし、みんなよくやってくれたからね。ただ、羽目を外しすぎないように気を付けてください」
「当たり前じゃないですか! 俺がビシッと目を光らしときますから!」
部長が心配しているのはお前だ。阿久津以外の全員の心の声が一致したように思う。
********************
グループ名【ヘルガーディアンズ】
デ:キーチロー! 地獄巡りの用意はいいか? 今週の末には第一回目の出発だぞ!
喜:人間界で用意しておくものはありますか?
デ:特にない! 我が用意する! 弁当と水筒でも用意しておけ!
喜:遠足じゃないですか。
デ:気の持ちようだな。おやつも持ってきたかったら許す!
喜:遠足ですね。
デ:ダママもクッキーが食べたそうなので持ってくるように。
喜:畏まりました。ダママにも頑張ってもらわないと俺の貧弱な体力ではついていけそうにないですからね。
********************
……ふぅ。行先が地獄でなければ他愛無い会話なのだが。
そして、あっという間に旅立ちの日。地獄へ落ちる日がやってきた。出発は朝7時。早く帰ってくるためには早く出るのが鉄則だ。寝ぼけた頭で用意を確認する。
水筒――よし!
お弁当――よし!
ダママのおやつ――よーし!
これらを詰めるリュックサック――よし!
朝ごはんは簡単に済ませた。後は出発の時を待つばかりだ。
「キーチローさん、いってらっしゃい。」
「キーチロー、頑張ってね! 帰ってきたら極上の邪心、待ってるからね!」
ローズは完全に趣旨を履き違えているようだ。
「そういえば、この二人がいない間、俺のピュア・ハートは誰が守ってくれるんですか?」
「取り出すだけなら我にも可能だ。進んで食おうとは思わんがな。どこかに溜めておこう」
ぞんざいなのか丁寧なのか俺の心の扱われ方が気になる。
「せっかく地獄へ行くのだから正式なルートを辿って巡ろう」
「ふふん、俺も少しは勉強してきましたよ!」
「ほう?」
「ダンテの神曲とか仏教に伝わる世界観とか」
「宗教家の主観が入った書物などあてにはならん。せいぜい風景ぐらいだろうな。参考になるのは」
「え……。じゃあ、三途の川や地獄の門は……」
「行ってみればわかる!」
瞬間、魔王様に手を引かれ、俺はどこかへとワープしたのだった……。
目を開くとそこはアルカディア・ボックスの中と同じような光景が広がっていた。ただ一つ違うのは目の前にある30mはあろうかという馬鹿でかい門の存在だ。
我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ
「うわー。ほんとにあるんですね。門。それに有名な文も。なんか足りない気がしますけど」
俺はどこか観光名所にでも来たかのような呑気なテンションで魔王様に訪ねた。
「門は知らんが、文は後から入れたものだぞ。なんかカッコいいからとかいう理由で。神の存在が気に入らなくて一部外したらしいが」
観光名所あるあると言えばあるあるか。成り立ちの雑学をを知ってガッカリするというようなことはよくある話だ。
「ところで、このワープの間に俺に何が起こったんですかね」
俺はいつの間にか半袖半ズボン、麦わら帽子に虫網といった出で立ちでそこに立っていた。これじゃ、夏休みの小学生かどこぞの海賊だ。
「せっかく地獄に来たのだから、ついでに希少種をアルカディア・ボックスにどんどん送り込もうと思ってな」
「こんな虫網で捕まえられるんですか?」
「フフフ……。聞いて驚け! 見て叫べ! こいつは念じるだけで大きさが変わり、捕獲率は結界付きで驚異の100%! 物理法則ムシ網だ!」
相変わらずくだらない名称とチートじみた性能が反比例するアイテムが出てくる。
「半袖、半ズボンと麦わら帽子には何の意味が……?」
「トータルコーディネートという奴だ! 気休め程度に防護魔法はかけてある!」
ほぼ意味ない理由でこんな恰好をしているのか、俺は。社会人だというのに。
「さぁ、ダママを呼び寄せてさっさと行くぞ!」
父さん、母さん、俺は今から地獄に行きます。でも、必ず帰ってきます。どうかご心配なさらぬよう……。
「何をグズグズしておる! 早く来い!!」
「ええい! 南無三! ……はちょっと違うか?」
こうして俺は地獄の門をくぐり抜け、真の地獄への一歩を踏み出したのである。
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