地獄の17丁目 ダママとローズの夜3時
闇夜に紛れて一人の女性がうなだれて座り込んでいた。通りすがった人はホラーだと思うか、酔いつぶれたタチの悪い女だと思うだろうか。
この夜一つだけ幸運があったとすれば、この女の存在に誰も関わりを持たなかったという事だけであろうか。
時は遡る事、約30分。時刻は人間界でいうところの午前3時。ローズは小屋の外からダママへ熱い視線を送っていた。
「ああ、あの子犬特有のまだ柔らかそうな毛並。黒々としているけど、まだ艶のないモフモフの毛……。触りたい触りたい触りたい。緩く垂れたプニプニほっぺ……。触りたい触りたい触りたい触りたい!」
「とはいえ近づくと逃げられるし……。エサもお皿に入れておいたものしか食べてくれない……」
「という事で私、ひらめきました。人間の体を借りれば触れるんじゃない? 私、天才じゃない? フフフフ……」
という訳で早速、魔法陣にて人間界への扉を開きましてと! 午前3時ならどこかに酔いつぶれている女ぐらいいるでしょ!
「ん? ここは閑静な住宅街? では私に体を貸してくれる女性は……と」
……。辺りには人の気配なんかなーし。
「ま、このご時世住宅街で酔いつぶれて寝てる人なんてそうそういないわよね」
「では、お休み中に失礼いたしまして。と」
いたいた。20代前半ってとこかしら。この体でダママちゃんのモフプニを堪能させていただくとしますか! ちょっと借りたらすぐに返しますからねーっと。場所は近くの公園にしましょうかね。
「これで、よし。 さあ! アルカディア・ボックスからダママちゃん召喚!」
うふふ、来た来た! 寝顔も可愛いんだから! それでは早速……。
「そーれ! モフモフ! もふもふ! プニプニ! ぷにぷに!」
え、起きた? 起きちゃった? そりゃそうよね。これだけサワサワしたら起きるわよね。
え? 眠りを妨げられたのに怒ってらっしゃる感じ? ちょーっと落ち着きません? その牙むき出しにするの止めません?
ダメッ! この借り物の体だけは返さないと! こっちよ! ダママちゃん!
ウグッ! み、ミゾオチ……。一撃……。
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「ナニ……ココ」
「ダレ……コイツ」
「ネテタノニ……ネテタノニ」
ニオイ地獄チガウ! ン? ローズ!
「オコシタ! ローズ!」
「クサイシ……地獄チガウ!」
「デボラサマナラ……オシオキ!」
ズツキ! ローズ? ネタ!
「アマイ ニオイ シナイ」
「ミタコトナイ イッパイ!」
「オヤスミ」
ネル! ツマラナイ! マー!!! オキル!!!
「マツ、ボウケン! ボウケン!」
「ダン、アッチ アカルイ」
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「ん? あれ? なんで私ここで……」
「!!!!!!!!!!!!」
もしかしてダママを逃がしちゃった……的な?
「デボラ様に知れたら……。いや、知れないはずがない。ここは死ぬ覚悟でみんなを呼ぶしかない!」
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【ヘルガーディアンズ】
ロ:申し訳ございません。不注意でダママが脱走しました。
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「……なんだ? こんな時間に」
神経質な俺に夜間発信とはいい度胸だ。軽い振動でも目が覚めてしまうんだぞ!
……と思ったがどうも緊急事態だ。てか本当にこんな時間にローズは何をやっているんだ?
俺は急いで隣の部屋にベルを呼びに行き、対応を考えた。
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【ヘルガーディアンズ】
喜:今、どういう状況ですか?
ロ:人間界でダママが行方不明になっています! 自分の緩怠です。いかなる処罰も甘んじて受けます!
ベ:落ち着いて。現在地を教えて
ロ:○○の公園です。ダママの一撃で昏倒しており、恐らくですが最低10分は所在知れずです。
喜:今からベルさんと向かいます。手分けして探しましょう!
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「ベルさん、〇〇公園までどのくらいで転送できますか!?」
「私をデボラ様と同じように考えてくれるな。5分くれ!」
「上等です! お願いします!」
「15分行方知れずか……!」
「子犬ですから遠くへ行っていないと信じましょう!」
そこからは長い長い5分だった。きっとローズはこの倍以上に感じているだろう。どういう理由であれ助けてあげないと。魔王様の怒りがどう向かってくるか見当もつかない。その気になれば指先一つでローズすら消滅しかねない。
「陣が出来ました! 乗って!」
「はい!」
魔法陣の上に立つとベルが何やら呪文を唱え始めた。眩い光が視界を覆い、そして幕でも上がるかのように光が上方へ飲み込まれていった。
目の前に崩れていたのはローズと見たこともない女性だった。
「事情は後でお話します! 申し訳ありませんが捜索にご協力ください!」
あのローズが真面目に俺達に協力を要請してくるんだからただ事ではない。ただ事ではないのは転送前から分かっていたがローズの青ざめた顔と態度を見て、事態を再認識した。下手をするとこれがローズを見た最後の姿になるかもしれない。それほどの緊張感が本人とベルから伝わってきた。
「幸い人の気配もありませんし、魔法総動員でいきましょう。【
ベルが何某かの詠唱を終えると、ダママのものと思しき足跡が光だし、まっすぐ公園の先へ伸びているのが見えた。
「足跡を追いましょう!」
「はい!」「はい……!」
俺とベル、ローズは脇目もふらず足跡を追跡した。永遠にも思える数分を費やして、程なくして見えてきたのはケルベロス……とこの世の終わりの具現化した光景だった。
「ローズ、ベル、そしてキーチロー。どういう状況か説明できるな?」
目の前に立っているのはダママとそれを抱えている地獄の魔王、デボラ=ディアボロスその人であった。
ローズが俺たちの身を守るように一歩前に進んだ。正直、俺は足が出なかった。と言うより全身が硬直し、まるで大気そのものがその場に固定されたようにさえ感じた。ローズが動けたという事実さえ嘘のようだ。
「デボラ様。全ての責は私の軽率な行動にあります。いかなる処分をも覚悟しております」
「まずは、聞かせてもらおう」
声はいつもと全く変わりないように感じるがプレッシャーは改めて桁違いだ。何もしていない俺が頭を下げたまま動けない。ベルの様子さえ伺うことはかなわない。
「はい。私は普段の飼育の中でダママにもっと積極的に触れ合っていきたかったのですが、生まれの問題か、はたまた己の気質に依るものかそれが適いませんでした」
「ふむ」
「思い余った私は人間の姿を借りて自らの欲望を叶えんとし、人間界でいくつかの魔法を行使いたしました」
「……そうか」
「しかし、眠りを妨げられたケルベロスの怒りは思いのほか凄まじく、人間の体を傷つけるわけにはいかないと脱出を試みたところ、不意の一撃で昏倒した次第です」
「………………」
時間にして数十秒だろうか、俺達の時は沈黙とともに止まった。
「ローズ」
「……はい」
「すまなかった」
全員の時が動き出すとともに頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。
「すまなかった……とは……」
「お前の行動はお前の性格を考えれば当然のことだ。むしろ己の欲望に従うことは魔族として当たり前とも言える」
「そのようなことは」
「アルカディア・ボックスの事を過信しておったわ」
「デボラ様、どうかそのようなことはおっしゃらないでください」
「ローズ、一つだけ言っておく」
「は、はい」
「今回は誰の目にもケルベロスの存在が止まらなかったようだが、もし、万が一人間の目に触れていたら」
「そいつの記憶と共にお前を消滅させねばならなかった」
「……はい」
「我にそのようなことをさせてくれるな」
「……はい! 申し訳ございませんでした!」
「罰として今からお前の前でダママをモフモフし散らかす! 存分に苦しめ」
そういうと魔王様は全員をアルカディア・ボックスへ転送し、モフモフを見せびらかしたのであった。
それからというもの、以前にも増してローズは真面目に働き、いつしかダママも第二のお母さんとしてローズを認めていくようになったが、それはまた別のお話。
(また、この締め方かよ)
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