地獄の11丁目 こんなに大きくなりまして
例の報告以降、少し会社の方の仕事が雑になっていたかもしれない。処理した伝票のいくつかにミスがあったそうだ。入社して半年以上。慎重というか臆病な性格が幸いして一日の内にミスを繰り返すなどという事はほとんどなかったのだが、今日に限ってはボロボロだ。危うく一桁多く取引先に支払ってしまうところだった。
カブ吉は後から来たメンバーとは言え、もはや俺の大事なペット(?)の一匹だ。カブタンとケンカしたこともあったが、過酷な生存競争と思えばエサの取り合いぐらい大きな問題ではない。遠慮なんかしていたら飢えて死ぬのだから。そう、箱庭を埋めていくにはこんなところで躓いていられない。気持ちを切り替えて今は仕事に集中しよう。
「アンラッキー君、今日はどうしたの? 調子悪そうだけど……」
「すみません。滝沢さん。自宅のペットが調子悪いみたいで……」
「そうか。俺も猫飼ってるから気持ちは分かるよ」
「猫ってエサを食べない事ってありますか?」
「ムラって意味でいうと1食ぐらい食べないことはたまにあるよ。でも、1日以上絶食が続くようなら病院に連れて行った方がいいみたいだね」
病院か……。ヘルワームを見てくれる医者なんて日本のどこを探してもないだろうな。そもそも地獄にすらいなそうだ。
「ともかく、仕事に集中します。すみませんでした!」
「おう。ガンバロー!」
滝沢パイセンは女好きのチャラ男を公言しているが、正直女性の扱いより男の扱いの方が上手だ。このさりげない気配りが女性相手に発揮できれば今頃モテ倒しているだろう。
そんなこんなでどうにか今日一日の業務を終え、帰宅した俺は早速箱庭に入った。すでに、ベルとローズが心配そうにカブ吉の様子を見ている。カブ吉はじっとしていてほとんど動く様子もない。
「『地獄生物大全』にも詳しくは記載がないみたいだ。どうしたものか……」
「この子がオスなら私が元気にしてあげるんだけどなぁ」
オスだったとして何をするつもりなのか。この淫魔は。
「――――――――――。」
? また何か聞こえたような気がする。
「ともかく、これからはなるべく交代で様子を見ましょう。病気ならカブタンと離した方がいいですし」
「そうだな。ヘルワームを全滅させてしまってはデボラ様に申し訳が立たん」
「カブタンは私の家に持って帰るわね。まだそんなに大きくもないし」
ローズの家は箱庭に来た初日に魔王様があっという間に立ててしまった。どうやら地獄のローズの実家より立派な建物で、本人も満足げだった。飼育所とは一応衛生面を考えて、50m程離してある。対策としては及第点だろう。
ところが、翌日になって恐れていた事態が起きてしまった。
カブタンもエサを食べなくなってしまったとローズから連絡があった。その日の仕事は早めに終わらせ、定時で上がった。
「ごめんなさい……。私もなるべく様子を見るようにはしていたんだけど……」
「エサが合わなかったのかもしれませんし、何らかの病気がカブ吉から移ったのかもしれません。とにかく俺達に出来ることはやっていますからローズさんが謝ることは無いです」
「キーチロー……」
こんな時に何だが、ちょっと泣きそうな顔まで可愛いじゃないか。絶対みんなで乗り越えよう。種族を越えて感動を分かち合うんだ。俺達にはそれが出来る!
ところが俺の決意に反して、とうとう大みそかまでカブタン、カブ吉は良くなることは無かった。
俺たちは最悪の事態を想定して、全員が箱庭に集まった。世間は歌合戦だのカウントダウンだので盛り上がっているというのにこちとら虫の生き死にを賭けて頭をひねっている。声をかけてみたり、さすってみたり。毛布にくるんだり、違ったエサを目の前に置いてみたり。
そして、いよいよ年が明け、交代で仮眠をとったものの、みんなの疲れもピークに達していたころ、カブ吉がビクビクと動き出した。
「か、カブ吉!!」
「まずいぞ!」
「ああ、そんな……!」
「いやーーーー! カブ吉ーーーー!」
全員がカブ吉の最後を予想したその時、カブ吉の背中がぱっくりと割れ、中から乳白色のカブ吉が出てきた。
「え?」
「あ」
「ん?」
「こ、これは……」
「「脱皮だ!!」」
なんだ、脱皮だ!! 一回りまた大きくなるのか! 心配かけやがって!
「よかったぁぁぁ! キーチローぉぉぉぉ!」
「むぐっ! ローズさん! ストップ! ストッ……」
おお。カブ吉よでかした。お前には今後もっとたくさんのエサを食べてもらおう。元気で健やかに育て。俺は今、悪魔に
「キーチロー、ベル、ローズ! 見ろ! 夜明けだ。新年だ!」
俺はローズを引きはがし、日の出の方向を見た。
「え、今更ですけど箱庭にも日の出ってあるんですね。今まで何にも疑問に思ってなかったけど」
「素晴らしかろう。やはり朝と夜がないと地獄と同じ環境で育っているとは言えんからな」
魔王様の何でもありにはもう慣れたが、本当に素晴らしい気配りとそして恐ろしいほどの魔力。こんな人が俺と一緒に虫の世話をしているなんてなんの巡り合わせだろうか。
「地獄の夜明けに相応しい一日だ。そうは思わんか、ベル」
「はい、デボラ様」
「でもデボラ様。俺は今回の事で色々考えました」
「ん? どういうことだ?」
「やはり、地獄の生物にある程度詳しい人がいないと我々だけでは対処できません」
「そうだな……。やはり『地獄生物大全』の作者でも探すか」
「え? 作者生きてるんですか?」
「生きておれば500歳ぐらいだろう。地獄は深く広い。消息もつかめん奴はいくらでもおる。出来ることはやってみよう」
なんてことだ。なぜ俺は作者が勝手に死んでいるなんて思っていたんだろう。その人が協力してくれれば非常に心強い。カブタンやカブ吉の世話が格段に良くなるだろう。
「さて、キーチロー。地獄では魔獣の血で作った酒を年明けに飲むのだがお前も一緒にどうだ!」
「遠慮しておきます。それ飲んだらいよいよ人間を止めることになりそうで」
「そうか、ならば形だけでもいい。わいんと言う飲み物で参加するがよい!」
「そういうことでしたら……」
俺は一度部屋に帰り、クリスマスに一人で飲もうと買っておいた赤ワインを手に箱庭へと戻った。
「カブ吉の脱皮に!」
「「カブ吉の脱皮に!!」」
「新しい夜明けに!」
「「新しい夜明けに!!」」
ウーム。地獄の人々や悪魔って思っていたのとだいぶ違うなぁ……。
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